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2019
12.27

この一年に感謝を込めて・・・

Category: 徒然の記

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 2019年もいよいよ押し詰まり、皆さまも慌ただしく年末をお過ごしのことと思います。今年も『広布の大河に君ありて』を訪問していただきありがとうございました.。多くの方に訪問していただき、そのことに励まされつつこの一年続けることができました。

 もし私が地道に学会活動をしていなければ、また池田先生との師弟を根幹に信心していなければ、おそらくブログはやっていなかったと思います。なぜなら、「師弟」のない信心をする人が信心の話を書いても、あまり世の中にいい影響を与えないというのが私の考えです。

 実は私も昔は組織が苦手で、活動には渋々という時期もありました。今、男子部時代から学会でやっていた人たちが、県長や圏長などの組織の中核におられます。その方々は男子部時代の信心が、壮年になって信頼や福運に結実しているように思います。ところが私は若いころにさぼっていた分、あとあと苦労をしました。最近になって錆び付いた命にやっと信心の油が回ってきたのか、遅まきながら60代になって生命に活気が増してきました。稲で言えば私は相当な奥手です。

 こんな私が学会から離れずにやってこれたのは、ある意味不思議なことです。過去の宿縁か、はたまた仏様の憐みか・・・周りの友人の多くが法華講に行った中、私は学会に踏みとどまり、異体同心の組織に身を投じたことで三世の苦海に沈まずにすみました。それどころか太陽の光が降り注ぐ幸福の大道を歩かせていただけるのですからありがたいことです。



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 この一年、私の心に常にあったのは「師弟」ということでした。入会して何年も池田先生が雲の上のような人としか思えませんでしたが、ある時、学会に池田先生にすべてを賭けてやろうと決意した時から、少しづつ生命に変革が起きました。それは自分の我を折って創価学会という大きなギアに合わせて生きていこうと決意したのであり、その時から私も人間革命の軌道に載ったものと思います。

 その決意から始まった信心が、今年は一つ結実した感があります。信心が深まるということは「師弟」「師弟不二」という世界により深く入っていくことだと思います。このことを知るのに私は30年もかかっているのですから、度し難い衆生です。池田先生は戸田先生とお会いになって即座に「師弟」を悟られ、ほどなく「師弟不二」の生命を覚知されたのでしょうから、本当にすごい人であります。妙法の根幹をなすのはまさしく「師弟不二」であり、そこからつつがなく仏の智慧も流れ通い、今日の世界広宣流布の基盤を完成されました。

 信心をしていきますと、玉ねぎの皮を剥くように、だんだんと本当の自分の核が現れていきます。カメラに例えれば、ぼやけていた光景がピントリングを回すにつれ、すっきり見えてくるようなものです。長年、暗い谷底に落とされ、仏という鉱脈を求め泣き泣きさまよっていたのが、「これだ!」というものに行き当たったのでしょうか。そこへ行くまでが大変でしたが、お金には代えられない「宿命転換」ができたと喜んでいます。

  「宿命転換」にも様々あるでしょうけど、私が感じる宿命転換はすべての不幸を転じて幸福になるというものです。何をやっても不幸に向かう生命が、何があっても幸福に向かっていく生命になる・・・それはまた自分のために生きる「自利」の生命から人のために生きる「利他」の生命への変革だともいえると思います。ともあれどんな時も御本尊を信じ、「すべてに意味がある」と言い聞かせ、一歩も引かずに前進し続けたことがよかったに違いありません。

 私もようやく仏様の家の門のあたりにたどり着いたのでしょうか?門がわかったら後は門をくぐり、仏様の大邸宅に入っていこうと思います。仏の家に住むようになれば私も仏の家の人であり仏です。その代わりしっかりと使命を果たさなければなりません。たっぷり水を含んだ綿のように、煮えっぷり、燃えっぷりの悪い私ですが、仏となれば命も乾き、燃え上がる時を迎えるだろうと確信します。

 信心は確信をもってやればいくらでも進んでいける世界です。「お金や名誉はないけれど確信だけは日本一!」どんな時もその心意気でやろうではありませんか!

 どうか皆様も良いお年をお迎えください。学会創立90周年、去りゆく年に感謝を捧げつつ、私も新たな決意で新たな年を迎えてまいります。

 訪問されます方々のご健康、ご多幸を祈りつつ、また明年お会いしましょう!





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2019
12.12

常在戦場

Category: 徒然の記


 12月も半ばとなり、少しづつ今年も押し迫ってきました。私も昨日は新年勤行会の案内などを以て会員宅を訪問しました。とはいえ座談会もありますし、私は年末になってもまだ目標に向かって戦っている最中で、年内折伏の決着をつけたいと思ってやっています。

 「未曾暫廃」(みぞうざんはい・未だ曾て暫も廃せず)、「毎時作是念」(常に自ら是の念を作さく)と仏は片時も休まず、広宣流布に生きておられるように、私もそう生きたいものだと思います。それが自分の道であり、本望であり、今はいよいよそう生きていく自分となってきました。「常在戦場」・・・戦いゆくその心あれば今の姿は立派でなくても、未来は開けてとても明るいものです。

 昨日も本部が新体制の元、出発式を行い、折伏の結果を出そうとみんなで決意いたしました。会合後も幹部が残り、一つづつ下種先や入会の可能性のある家の確認を行いましたが、私も三名の方の入決について同志の方に相談をいたしました。皆さん、真剣で本当に立派なリーダーの方たちです。その人たちのことを昔は「この人は今一つ」「あの人はここがどうも」などと見ていたこともありましたが、最近は皆さんが自分よりも素晴らしい人に見えて、「どの人も仏の使いの方々」と思えるようになりました。それだけ私も変わり、皆さんも人間革命なされたのだと思います。



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 信心は行き詰まれば題目ですので、折伏にしても策や方法ではないと思います。入会に導きたいと思えば相手の幸福を御本尊に祈るしかありません。その志と実践の中に必ず結果が出ることを確信します。

 題目に挑戦している人には行き詰まりはないというのは本当ですね。唱題会に勇んでくるような人はやはり輝いておられますし成長されています。どんな苦しい立場にあっても、「題目しかない」と挑戦する人こそ、信心が進んでいる人と言えないでしょうか?「進まざるは退転」ですので、題目に挑戦しない人は厳しく言えば退転している人だと私は思います。

 外部の方と縁を結ぶのは対話しかありません。いかに対話にもっていくか・・・聖教新聞の集金に回っても、集金するだけではなく、地元の学会の代表として和やかに話をする・・・何かしら心を通わせることが大事だと思います。話が上手とかではなく、「対話力」とはまず相手と打ち解けて話をする力のことだと思います。

 先日も外の高齢の婦人の方ですが、昔の仕事の関係の方からの啓蒙で新聞をひいておられ、その集金で訪問しました。いつも通り「こんなん読まないのに仕方なしにひいてるんや」と、最初はそんなことを言われます。それでも気心がわかってきたのか最近は玄関に腰を下ろしてその方と1時間は話をするようになりました。家庭の話から地域の話、世相の話とその内容はいろいろですが、相槌を打ちながら聞いて話しているうちにどこかしら心が解け合っていくものです。

 もちろん信心の話もしていきます。田舎は因習が深く、どの家も仏壇が大きく他宗のものや先祖のものなどたくさんありますので、題目を唱えることは了解されても、謗法払いには相当な抵抗があります。私の折伏の場合、行き詰まるのはたいていその点です。それでも相手の口に題目を唱えさせんと根気よく励むしかありません。

 唱題に励み、仏法対話に励む・・・それが私の信心のリズムです。ほかにあれこれ難しいことはありません。その修行を喜んでやるなら自然と生活上の悩みも解決し、功徳は湧いてくることを実感します。

 ある幹部の方が、結局、外部の人は学会員の生活をよく見ており、それ自体が折伏に通じるという趣旨の話をされておられました。その通りですね。それは田舎も都会も関係ないと思います。地域とどう関わっているか?生活態度は真面目か?ご近所を大事にしているか?人間性は信用できるか等々・・・そういうところをとてもよく見ておられるものです。人は普段の些細な行いを大切に振る舞うことでしか信頼を勝ち取ることはできません。また仏法と言ってもそういうところに出るものでしょう。もちろん私ももっと人間力を磨かないとなりません。

 新年と言っても、会館の勤行会に参加し、創価大学の駅伝を応援する以外、これといって何も予定がありませんので正月を返上して題目でアクセルを吹かしていきたいと思います。「常在戦場」を誓い、年末年始を地涌の菩薩の心意気で駆け抜けてまいります。
 

 
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