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2020
02.20

折伏に歩かぬ仏はいない

Category: 信心

 ところどころ梅の花も咲き始め、春がもうそこまでやってきたようで心は華やいできました。国内ではコロナウイルスの問題で混乱が続いています。国民の生活全般に支障が出ており、人々が不安な毎日を余儀なくされています。こういう伝染病は仏法上は総罰と言ってもいいのかもしれませんが、魔の所為でもあり、鬼神が乱れてウイルスをもって世界で暴れているというふうに言えるかと思います。

 学会でも小会合も含め、当面、人々が集うことは控えるようにとの打出がありました。折伏闘争の機運が盛り上がっている時ですので残念ではありますが、この災いを信心の心で上げ潮に転じていきたいと思います。


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 組織でもこんな時、どういう戦いをすればいいかとの話がありましたが、私は個人活動に頑張れるいい機会ではないかと思います。平日は夜の会合が入ることも多いですが、ここしばらくは何も予定がなくなりましたので、個人折伏や家庭訪問に時間を使えます。

 昨日も今朝も外部の方に、「ワールドセイキョー」という冊子を贈呈し、仏法対話に挑んできました。どなたかに差し上げようと20部ほど買いましたが、あっという間になくなってきましたのでもう少し買おうかと思います。それをもって毎日、二人を目標に対話に挑戦です。またSTBモバイルをいつでも見れるように、小型のテレビも購入しようと思います。出先でもすぐに視聴できるのは有効です。

 地域でも折伏が進んでいますが、先日、友人の折伏に同行させてもらい、自分の功徳を語りました。私の功徳は生命が変革したということです。それを自分なりの言葉でまた人に伝わるように平易に語りたいと心がけています。その方に「暗かった私の生命に明かりが灯ったんですよ」とそう言いました。「その明かりは自分だけでなく、人を照らし、世界を照らし、未来を明るく照らしてくれます。悩みがたくさんあっても、その明かりが灯っていれば悠々と見下ろしていけます。その明かりのおかげで今日も明るく、明日も明るく生きていける・・・死んでも明るいと思えるようになりました。」と・・・

 折伏に歩かない仏などいないことでしょう。「あの人にもこの人にも語りたい・・・」そんな思いであふれるようになれば、やれと言われなくても体は自然と仏法対話に向かうものです。そうなるとますます生命が頼もしく感じるのです。

 折伏に行って何を話していいかわからない・・・と、そんな人もおられるかもしれません。でも私は小さくてもいいから自分の体験を一言でも話して来ればいいと思います。自分の体験がなければ聖教新聞の体験をもっていけばいい。(笑) 「ありがたい御本尊様です」と言い、悩みのある人には「必ず解決していきますよ」と教えればいい。そして例え相手が入会しなくても「今日も仏様のお使いをしてきました。嬉しくてしかたありません。ありがとうございます」と御本尊様を見つめて報告すればいいと思います。

 この信心をする以上、宿命転換も内なる生命が変革しなければならない。されば暗くて不幸の強い人ほど、この信心は大歓迎です。不幸なことが不幸なのではなく、その不幸を吹き飛ばせることがわからないことが本当の不幸です。100万年冥(くら)き生命の洞窟に妙法という明かりが灯れば、その人はどんなに不幸が強くとも明るい仏となり、不幸に負けなくなります。その上、この仏様は無敵です。妙法が何かに負けるということは絶対にない・・・絶対不敗の金棒を身に持っているようなものであり、どんな魔性も不幸も叩き切ることができる。使い手に必要なのは妙法への絶対の確信だけでいいのです。


「ワールドセイキョー」には池田先生の次の詩が掲載されています。

「他人と比べて一喜一憂する生き方は、
 最終的に必ず行き詰ってしまう。

人生は桜梅桃李である。
 自分が他人になることはできない。

自分は自分らしく大輪を咲かせていけばよいのだ。」
(四季の励まし)


 桜のあなたも梅の私も、スモモのあの人も、みんな大地に根を張り、春の訪れとともに一斉に花開く時がやってきました。耐えて、耐えて、耐え抜いて、常楽我浄の仏の花を、今世の内にともに咲かせきっていこうではありませんか!

 

 

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2020
02.02

波浪を乗り越え、我らは進む

Category: 信心

「広宣流布も信心も同じだよ。ひとたび帆を上げたら、嵐がこようが、何があろうが、前進するしかないんだ」
(「新・人間革命」第8巻・布陣の章・62p)

 これは奄美大島に指導に向かわれる船上で、船酔いに苦しむ同行の幹部の方に、「港を出た以上、船から降りることはできない。前に向かって進むしかない」という意味で、先生がお話しされたものです。

 私たちはこの世に生を受け縁あって、「創価丸」の一員となりました。魔軍が待ち構えていようとはよもや夢にも思わずに・・・(笑)大海原に「一生成仏」という楽土を目指して航海に出たのです。池田先生を師匠・船長と仰ぎ、襲い来る波浪を団結で乗り越え広宣流布を目指していく・・・それが創価池田丸の大船団です。今や世界192か国から呼応して船が集まってきました。



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                     ( 京都府・丹後半島)



  各地域にあっては、誰一人、下船することのないように、皆で励まし合っていかねばなりません。幹部や役職など関係なく、困っている人、苦しんでいる人に寄り添って、ともに最後まで旅を全うする・・・その意味で親や兄姉の思いで同志を慈しむのは当然です。

 最初は自分のことしか考えなかったような人間が、他者に愛情を注ぐようになる・・・これは大きな「人間革命」だと言えないでしょうか?私も自分の人間革命を問われれば、「人嫌いで自己中だった自分が、多くの人を尊敬し愛せるようになりました」と言いたいと思います。相手の欠点ではなく良い部分が見えるようになれば、どなたも自分より素晴らしい人材に思え、尊敬できるようになるものです。
 
 長年、私も研究しましたが、夫婦や家族は褒めて讃え合うようになる以外に、一家和楽の道はないことを発見しました。(笑)大発見です。あり余るお金を奥さんに持って帰れば夫婦円満かもしれませんが、お金が切れた時は悲惨です。そんなお金のない時も互いを尊敬し褒めあっていけば何とか楽しくやれます。心まで貧乏になることはありません。沢庵と白いご飯を出してくれるだけでも感謝できます。それに焼き鮭でもあれば「素晴らしい」と讃嘆できるではありませんか。

 まだまだ人の素晴らしさが見えないとすれば。そこに境涯革命が必要になってきます。心の眼、生命の眼が濁って、相手の悪いところしか見えない。その曇ったレンズを相手の良さが見えるまで磨かねばなりません。題目で磨いて仏の生命が開いてくれば、どの人の生命も素晴らしく見えるに違いありません。

 さて新年から気持ちも新たに「新・人間革命」を少しづつ研鑽始めました。組織では7巻を今やっていますので、私は予習の意味で8巻から再スタートです。「法華経の智慧」も並行して読みます。私はとても遅読で少し読んでは気になるところに線を引いたり書き込みもします。そこでしばらく立ち止まり、思案したりまた前に戻ったりといった調子ですので、1巻読むのにとても時間がかかってしまいます。30巻通しではいつ全部読めるやら・・・

 その代わりゆっくり読むことでいいこともあります。食事と一緒で、よく噛んで味わえるということです。
描かれている時や場所に自分がそこにいればどうするだろうかと考えます。登場人物の人間性や善悪なども深く洞察できます。描かれる事象から仏法を考え、吸収し、自分の血肉としていかねば、せっかく読むのにもったいないというものです。ザルの目から黄金をこぼすまいとの思いで学びたいと思います。

 記事冒頭に紹介しました一節も何気ない言葉ですが、多くの人が退転していったこれまでの歴史を振り返れば、とても意味深い言葉に思えます。悪知識にあって創価丸を見捨て退転した人の末路ほど哀れなものはない・・・それゆえ「誰一人としてこの道から落とすまいぞ」との信念と、仏法の因果の厳しさを知っておられるゆえの親心のような心情が、行間から伝わってくるのです。

 
 さあ「伝統の二月」がスタートしました。折伏と言えば難しい戦いのように思いがちですが、感謝と歓喜の生命をもって楽しくやりたいものです。私も歓喜の生命をもって渦巻く娑婆の大海に躍り出ます。そしてシャチの如く体を躍動させ、弘教に邁進していきたいと思います。






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