広布の大河に君ありて tori

TOP信心 ≫ 「一緒に題目をあげよう!」

「一緒に題目をあげよう!」


 信心の目的は「人間革命」であり、私もいつもそれを求めてやってきましたが、決して平坦でたやすい道ではないというのが正直な思いです。

 いい家に住むとか、すごいお金持ちになるとか、いわゆる蔵の財というのは、私は追いかけませんでしたし、また縁がありませんでした。本当の功徳は自身の体内にあると学びましたので、それはどういうものなのか、我が身に仏を悟るとはどうなることか・・・それだけはつかみたいと思ってやってきました。

 私なりに30年ほど悪戦苦闘しまして、やっと最近になって、生命にかすかに確信を得ることができたのですが、その間、功徳というより自分のひどさを思い知らされたようにも思うのです。

 それは本当に過去の謗法の害毒というのは、生命に沁みこんでいる…邪宗の家で育ち、お題目もあげづらいところから始めた私にしてみれば、(親と同居のため、7年間ほど、邪宗の家で信心していました。)世の中で間違った宗教の害毒・謗法ほど人を苦しめるものはない・・・このことだけは今も身をもって感じ、御本尊様に深くお詫びするしかないと思うものです。

 考えて見ますと、なまじ立派な自分であれば、こんな風に信心を求めることもなかったと思いますし、このひどい自分をなんとかしたい・・・それだけの理由でまっすぐに信心に向かえたことは良いことだったかもしれません。

 またそのひどい私を責めることもなく、理解しようとし、「焦らずに君らしくやればいいよ。」とおおらかに言ってくれた先輩、同志がいたからこそ、負けずに今日まで来れたことも事実です。



20150134_0.jpg



 「足下を掘れ、そこに泉あり」との言葉は、まさに自分というものと対峙して、どこまでも生命を掘り下げ磨いていく・・・そのことを教えているのだと思います。

 私がお世話になった先輩も「信心は玉ねぎの皮をむくようなもんやで・・やればやるほどきれいな自分が出てくる。人やない、自分が変わるんや!」と励ましてくださいました。


 環境や人のせいにする、人の事ばかりあれこれ言って自身の変革を怠る、これは外道の信心です。相手が悪くても、どこまでも自分が変わることによって、環境を変えてみせる・・・それが「人間革命」であり、信心するものの姿勢でなければならないと思います。

 悪いところだけを指摘する姿勢は、「角(つの)を矯(た)めて牛を殺す」と池田先生が戒められたように、人間を萎縮させ、息苦しくさせてやがて生気を奪っていくものです。善悪は誰にもありますし、善だけの人も悪だけの人もいない・・・

 逆に言うと、人を追い詰めたり、息苦しくさせる対話、指導は間違っていたり、こちらの独善であることが多いものです。まして相手が傷つくような言動は絶対にやってはいけないのは当然です。それでは余計に相手は心を閉ざしてしまいます。

 善悪あるがままに許し合って「一緒に題目をあげよう!」と御本尊に向かっていけばいい・・・それが学会の指導主義であり、「大丈夫、悪だってお題目で素晴らしい個性に変えていけるよ」と教え、励ますのが妙法です。

 「俺もひどいけどあんたも駄目か?駄目な者同士一緒に拝もうや!」私はこう言うようにしています。

 自他の仏性を信じて行く道は、「角を矯める」のではなく「許し合う」「認め合う」・・・それこそが人を生かす智慧だと思います。

 今月の御書講義 「異体同心事」 においても、いかに同志への尊敬と励ましが大事か・・・これを先生は強く指導されています。これを実践できる人が正しい信心の人であり、この指導に反する人はやはり師弟の道から逸れていく増上慢の人です。時に異体同心の団結を破り、広布破壊を企てる魔の所業を犯す人です。

 「人を愛し、仲よくする」・・・その姿あるところ、自然と尊敬と励ましがにじみ出ます。
私ももっとそういう自分になり、地域の人からも信頼される人間になって、広布の道を開いて行きたいと思います。



 「角を矯めて牛を殺す」・・・曲がった牛の角をまっすぐにするために叩いたり引っぱったりすると、牛は弱って死んでしまうことから、わずかな欠点を直そうとして、かえって全体をだめにしてしまうことをいう。
「矯める」とは、矯正する。曲がったものをまっすぐにするという意味。<故事ことわざ事典>





にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村






Comment

No title
編集
桜梅桃李 
ありのまま
今日より明日
人と比べることはないよ
過去の自分と 今の自分 
そして未来に希望を持って
今から ここから
どんな言葉で伝えても 伝わらなかったら もう お題目しかないよね
2015年02月02日(Mon) 17:04
コメントどうもです。
編集
非公開様 

 仰ることはよく理解できます。どの人にも仏性はありますが、一方で元本の無明も第六天の魔王の生命もありますよね。どの生命が強いかによって、如是性、如是体、如是力・・・とすべて違ってきます。当然、魔と言っても人の身に出ますので、同じ会員でもそういう生命の強い人はいますし、気をつけるべきだと思います。「師子心中の虫」という言葉がある以上、そういうのがいることも考えないといけませんし、「魔競わずば正法と知るべからず」です。「魔を魔と見破るしかない」・・・どの人にも仏性があることを弁えつつ、そこは注意したいと思います。

 「善知識に親近して悪知識を遠ざけなさい」と大聖人様もご教示されています。

 実は私の地区にもそういう人がおられます。「どの人とも仲良くしなさい」と言っても、この人の信心は危ないと思う人と仲よくすればこちらがおかしくなってしまいます。それほど魔は強くしたたかですよ。だから私はその人と距離をおいています・・・これは防衛本能みたいです。

 その人から希望や歓喜、さわやかな心が伝わってくるか・・・そういうことはとても大事です。何か濁ったきな臭い匂いを醸し出している人も世の中にいます。言葉の裏に隠された「心」「一念」を見ぬくしかないと思います。

 最後は冥の照覧です。御本尊様はすべてお見通しなわけですから、よく祈っていく・・・絶対に信じて間違いがないのは御本尊様だけですね。

2015年02月02日(Mon) 17:24
Re: No title
編集
ちよさん

お題目に向かう人に負けはなし・・・・です。

春風の匂いのする人達と縁を結んで・・・(笑)

自分の命の命じるままにしか人は生きていけない。

それが自分らしくということですね。

人の評価は正しくない・・・
みんな人が勝手に判断しているのですよ。

自分のことは自分が一番知っている。
だから自分を信じることができたらそれでいいのです。
2015年02月02日(Mon) 18:22
訂正
編集
非公開様

「師子心中の虫」は「師子身中の虫」の誤りです。訂正いたします。
2015年02月02日(Mon) 18:25
No title
編集
家庭訪問は一緒に十分の題目を目標に動いています。某男子部の家庭訪問はいつも玄関先で日程を伝えるだけでしたが、ブロック長が一緒に題目上げようの言葉に押されて私の足はドアが閉まらないよう踏み込んでいました。       男子部はあっけにとられたのか、どうぞといいました。3人で10分題目を上げました。私は思わず彼をハグしていました。ブロック長は必死に涙をこらえていました。その姿を見て感動しまくりました。                  本音会も部員との10分題目をしています。某男子部は先週、本音会に初めて参加し題目十分上げたら、朝が早いからと、すぐ帰りました。でも、題目を10分上げた後の笑顔が最高でした。                        朝4時出勤で帰宅は九時の壮年部は仕事に疲れきっていました。題目三唱して、帰りました。人生で最高の喜びを感じた三唱でした。題目三唱だけでもいいからきてくれとの私との約束を守るために疲れきった体に鞭を打ってきてくれました。仕事が遅く座談会には参加しませんが、凄い男だと思いました。      ブロック長が家庭訪問しても居留守を使い電話メールには返答しない壮年部がいました。もう信心止めたい。活動しないと言っていました。道を開くには題目しかないとブロック長と彼のことを祈りました。先日、彼が王城会の面接をOKしたとの電話がありました。なぜ、活動しないと言っていた彼が、面接を受ける気持ちになったのか理由は、わかりません。題目の力を感じました。      ただ、はっきり言えることは、一緒に十分の題目をあげていこうと実戦したとき、組織が活性化したことです。活動が今、最高に楽しいです。
2015年02月02日(Mon) 22:55
Re: No title
編集
非公開2様

長文のコメントありがとうございます。返信はあなたさまではなく、別の方へのものでした。

 善悪のモノサシを当てて、スパッと線引きできるほど、人間も世の中も単純ではありませんね。人を見ることも難しいことです。今、おかしいと思った方が、明日には人間革命して成長していることもあります。私たちはその成長をお互いに祈って行動していくしかありません。

 今、間違った心得の人も御本尊の方向へ、御本尊の方向へと向かっていく・・・それしかありません。だから「一緒に題目をあげよう」ということです。私とあなたが三大秘法の御本尊様に向かって一緒に題目をあげる・・・それだけできっと何かが変わります。そして何かが通じ合う・・・角を矯めていては人をつぶすことがあります。共に成長したいという相手を思う一念、希望と歓喜を送り続けるしかありません。そんな心で人に接しようとしているか・・・大事なのはそこだと思います。それは相手に通じると信じます。

 まさに「心こそ大切なれ」です。その心の規範は池田先生です。先日も「心の師とはなるとも心を師とせざれ」の御文を引いて、師匠の心に合わせていく大切さということで指導がありました。

 記事を一つ発信する時も「池田先生 これでよろしいか?」と私は問いかけます。みんなに勇気を与えられるか、信心の歓びや希望はあふれているか?そう確認しながら・・・

 実はこのブログ村にいつか先生がお越しくださって「みんな、仲よく切磋琢磨しているね。うれしいよ」と言ってくださるかどうか・・・そんな風に師匠を求めていこうという姿勢も大事だと思います。

 こんな私ですが、明日には一皮むけてもっと考えも見方も変わっているかもしれません。(笑)間違いも多いと思いますが、まだ未熟者なこともわかっているつもりです。

 地区の傲慢な先輩幹部を「この人のお蔭で成長できる、ありがたいなあ」と思える時も「この人がいなければいいのに」と思う時も一念三千・・・様々な心が私にもありました。今以上にその人の幸せをより祈れる自分に成長していきたいと思います。




2015年02月03日(Tue) 00:11
Re: No title
編集
うるとらまんさん

いつもありがとうございます。題目の結集、本音会とご苦労様です。人を導き励ます姿にリアルの戦いを感じます。私も今度、活動を休んでいる壮年が家に来てくれることになりました。別の壮年と3人で勤行して本音の話をしましょうと言ってあります。うるとらまんさんのパクリです。(笑)

現場で戦いましょう!そこにはネットにはない迫力とリアリティがありますね。
応援しています。お互いに地域を前進させましょう!ガッツ!
2015年02月03日(Tue) 00:20
No title
編集
しばらくでした。懺悔滅罪、個人的には今でも祈りの中で欠かしてはいけないものだと思ってやっています。「本当に過去の謗法の害毒というのは、生命に沁みこんでいる・・・」その通りだと思います。それと、やっぱり感謝のお題目ですね・・・なかなかできてませんが・・・でも下記の辻先生の指導は実に参考になります。

http://soka-gakkai-international-0507.jimdo.com/%E8%BE%BB-%E6%AD%A6%E5%AF%BF-s51%E5%B9%B4%E6%8C%87%E5%B0%8E/

2015年02月03日(Tue) 13:31
Re: No title
編集
marimoさんへ

 いつもありがとうございます。辻先生の指導は私も聞いたことがあります。一番簡単で難しいのがお題目ですよね。感謝と言ってもとってつけたような感謝では駄目でしょうし、御本尊様に通じる感謝となると、生命から自然と湧きあがるものでしょうから、そんな簡単ではないかもしれないですね。

 苦しい時は苦しいなりに、苦楽思いあわせて…ともあります。ただ、お題目そのものに苦しんではいけないとは思いますね。眠い時はよく寝て、体調の悪い時は無理しない方がいいとは思います。。調子のいい時のお題目は確かにやめたくない(笑)ずっとあげていたくなります。反対に調子悪い時は三唱で済ます時もありますよ。

 いつもすっきりさわやか…でいけばいいですが、魔も競いますし…題目は永遠のテーマかもしれないですね
2015年02月03日(Tue) 15:59












非公開コメントにする
Trackback

Trackback URL

05
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31