広布の大河に君ありて tori

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仏の住む場所


 27歳で創価学会に入会した時、私は宗教というより、友人から私の生き方について、折伏を受けた形で、即座にやってみたいという気持ちになりました。「創価学会のことをよく調べてから」とかそういう理屈は全くなく、(笑)ただ「南無妙法蓮華経」という言葉が心に響いたのです。そしてそれに賭けてみようと思いました。普段は優柔不断な私が、こんなにも迷わずに、物事を即決したことは後にも先にもなかったことです。

 その後、ほどなくしてある初老の信者の方との出会いがあり、そこで信心のすごさを知ることになりました。それはこの身が「仏と開く」・・・「一生成仏が信心の目的である」ということを教わるという、望んでも得がたい出会いだったのです。この方との出合いが私の一生の方向を決定づけたと思います。

 もちろん初信の私にとって、仏と言っても何もわかりません。強いて言えばスーパーマンのようなイメージしかありませんでした。(笑)きっと空だって自由に飛べるに違いない。願いはすべて魔法のように叶い、もちろん不老不死だ(笑)と、そんな感じを心に描いたことを覚えています。

 ところがそれから紆余曲折があり、10年たっても20年たっても、いっこうに仏らしき匂いも香りもしてきません。(笑)あいも変わらず、苦し気な自分です。一体、仏というのはどこにいるのか?仏界が湧現と言っても、このような頼りないものでもあるまいし・・・と、それは「日が暮れて道遠し」のような心境だったのです。

 生活面においても、新しい事業を始めたのですが、ますます窮地に立たされ、うんともすんとも開かない・・・お金も底をつき、深い苦悩の闇の中をさまようといった状況でした。「なんとか早くこの苦悩から逃れて、仏の世界に行きたい。私がほしいのは苦悩なんかじゃない。ほしいのは仏の世界なのだ・・・」とそんなことばかり思っていました。




ぼたん②



 思うようにいかない日々でしたが、毎日、1~2時間の題目はあがっていました。不思議な事に信心はむしろ強くなっていくのです。それで私は「これは何かきっと意味があるに違いない。よし、背水の陣で頑張ろう」と秘かに思いました。


 何年かたったある日のことです。ある思いが唱題中に起こりました。「あゝ、仏とは他ではない、どこか遠くの離れた場所でもない、私のこの苦悩の底に、この苦悩と共におられるのだ」というひらめきにも似た不思議な感覚に襲われたのです。

 蓮華は汚泥の中に咲く・・・この言葉通り、垢まみれ、煩悩まみれ、毒気深入して苦のみ多き私の命・・・その不幸の中に、仏はおられる・・・いや幸も不幸も、罪の軽重も関係ない、それらすべてが「南無妙法蓮華経」という私の生命なのだ・・・そういう思いがふつふつと湧きあがったのです。

 もっと清浄で美しい花園のような場所に仏は超然と住まわれている・・・そう思っていた私です。しかし、そうではない、人間生命の穢れた汚泥の奥深くにその住まいはあり、「あなたの煩悩、業、苦から一歩も離れずに私は蓮華と咲くのです」と苦を忍ばれつつ、私達の信心をじっとご覧になっているように思えるのです。

 私はそれまで、自分自身を否定し、自信も持てず、力も出せずに信心してきたことを思いました。法華経にある雖近而不見(すいごんにふけん=近しと雖(いえども)而(しか)も見えざらしむ)の言葉は、自身にある仏の生命を、凡夫には見えないことをいわれたものに違いありません。

 その日から「仏とは我が生命なのだ」その確信で信心できるようになりました。これさえあればいいのだ、「私は南無妙法蓮華経仏」これで生きるのだ・・・そう確信できたのです。

 仏の住む場所・・・それはどうしようもなくひどくて捨てたい、逃げ出してしまいたい、そんな凡夫の生命の中にあり、その人の胸中深く、その人のお題目に呼び出されて、花の如く開花する時をじっと耐えて待っておられます。

 どの人もわが生命の苦悩、悲哀と向き合って、お題目でそこを掘り抜いていくしかありません。その苦悩が出た時こそ仏の生命を開くチャンスの時です。「足下を掘れ、そこに泉あり」まさにそれが信心の精髄だと、いよいよの心でお題目に精進していきたいと思います。




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Comment

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私は学会三世です
信心が身に染みてるのか、小さい頃から何かあったら、お題目でと母から教えられてきました。小さな頃にお腹が痛かったりしたときは、とにもかくにもお題目唱えてました。
そんな私ですが王者さんのように深く、お題目しながら自分の境涯を見つめたことはありません。
いつもいつも何らかのご祈念ばかりしているような気がします。時に泣きながら時に喜びのお題目を、、。信心して50年以上になりますが、この5年間でやっと学会員として堂々としていられるようになりました。まだまだひよこの私ですが、このblogも私の成長にはとても有りがたく読ませていただいています。また写真も人柄を表しているように綺麗でみとれています。
2015年05月12日(Tue) 22:39
Re: タイトルなし
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糸吉さん

人はそれぞれですね。あれこれ考えながらやる人も、願いだけで信心する人も、題目を唱えることに違いはありません。

ただ、目標を掲げて生きていくときには苦悩が出てきます。それは高い山に登る時には、それなりの苦難がついてくるようなものです。その場限りの信心ではなく、「一生成仏」「広宣流布」という高山に向かえば、それはもう命を懸けるぐらいの苦闘が予想されます。冬のエベレストやヒマラヤに登るようなものですね。お気楽には行けないところです。

自分に負けない、粘り強さ・・・信心は持久戦です。それゆえ、水の流れる如くいつも退せず、挑戦していく以外にありません。多少、自分もしぶとくなった、粘り強くなった・・・そう言えたら一歩成長だと思います。その一歩に何年もかかっている私です。でも負けませんよ。必ず最後は勝つ!そう決めて1㎜でも1cmでも前に進むしかありません。

一緒に前進していきましょう。
2015年05月13日(Wed) 11:20
No title
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こんにちは!
「仏とは我が生命なのだ」。

私はまだまだその境地にには至りませんが、胸が苦しい中でも絶やさず題目をあげ続けています。

時に投げ出そうかと思う心をおさえて、持続することに今執着しています。
今朝は久しぶりに、胸がスッとした気持ちで目覚めることが出来ました。

感謝の題目を早速あげたあと、PCの前に座ると、また王者の剣さんのBlogを開いて読んでいました。

最近、先生が「若き日の日記」に綴られていたのを読みました。

第一に、ご本尊を信ずること。
第一に、ご本尊を疑わざること。
第一に、ご本尊に祈りきること。
第一に、ご本尊に訴えきっていくこと。

と、ありました。 そして、更に、

仕事がない、金がない。
大変に苦しい。大変に厳しい。
しかし、それでこそ信心が進む。御書を身で読める。
まさに願った境涯か。
満たされた生活には前進はない。
悩みのない生活で成長するのは難しい。

と。
先生でさえ、若き日はこうだったのか、と改めて思い、また一番の信心のお手本を示してくださっていたのが先生だったんだなと、感じながら読ませて頂きました。

検査後、内臓には異常はありませんでしたが、背中と腰の痛みと闘いながらご本尊様にすがるように祈っています。今の私には、題目しかありません。

もっともっと書きたいのですが、長くなりますから、また読ませて頂きます。

いつも勇気を頂いています。本当にありがとうございます。
2015年05月13日(Wed) 11:40
No title
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自分に負けない、粘り強さ・・・信心は持久戦です。それゆえ、水の流れる如くいつも退せず、挑戦していく以外にありません。多少、自分もしぶとくなった、粘り強くなった・・・そう言えたら一歩成長だと思います。

その事実感しています。
家庭訪問で幹部は誰一人10数年会えない壮年部がいました。
そんな彼でしたが私とは信心の話はしない条件で会ってくれました。
一緒にいつも家庭訪問するブロック長生とは話をする事も目を合わす事もありませんでした。
時には会うことを拒む事ありましたが通い続けました。
ブロック長と会話の糸口を模索しながらの家庭訪問でした。
私は必ず心が開くと言い続けました。
ブロック長は、この人は、そんな事はないと言い続けました。
ところが先日、某壮年部の家庭訪問したとき突然、ブロック長に話し出したのです。忌憚なく自然な会話でした。
ブロック長は地道にコツコツ続けたら道が開ける事を確信しました。
家庭訪問の醍醐味に二人は酔いしれました。
座談会に参加するまでには時間が必要ですが、必ず参加するようになると確信しています。
一ミリの前進大事と思います。
2015年05月13日(Wed) 12:20
Re: No title
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hide優さん

いつもありがとうございます。
hideさんはじめ、コメントをくださる皆さん、読んでくださる方々の元気が私の元気です。
「松栄(さかゆ)れば柏悦ぶ芝かるれば蘭なく情(こころ)無き草木(そうもく)すら友の喜び友の嘆き一つなり」(光日上人御返事 934ページ)とあります。

>仕事がない、金がない。
大変に苦しい。大変に厳しい。
しかし、それでこそ信心が進む。御書を身で読める。
まさに願った境涯か。
満たされた生活には前進はない。
悩みのない生活で成長するのは難しい。

いやあ、私のためにあるような指導です。私も長く似たようなところを歩いています。
境涯なんて難しいことはわかりませんが、この信心は「覚悟」の信心だと思います。
貧乏でも病気であっても、自分を「仏」と「覚悟」する。それだから仏の力が出る。決めきったもん勝ちだと思います。決めきらないところに、弱さがある・・・それで私は腹を括りました。(笑)

身体の痛みはつらいものですね。私も40代の時、3年余り、首から手にかけての激痛が出て入院など苦しみました。結局、医者では治らず(原因不明)いつの間にか、信心で治しました。
大涅槃経というお経には「今世に悪業成就し乃至必ず地獄なるべし乃至三宝を供養するが故に地獄に堕せずして現世に報を受く所謂頭と目と背との痛み」等云云」(太田入道殿御返事1009P)とでています。転重軽受を確信していきたいと思います。

hideさんも大変だと思いますが、応援していますよ。焦らずに自分の使命の道と覚悟していきましょう。

真面目に題目をあげる人を御本尊様が放っておかれるはずはありません。
ご家族、奥様、娘様にもお題目を送っていきます。





2015年05月13日(Wed) 14:43
『娑婆即寂光』ですね
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『妙法蓮華経如来寿量品第十六』に次のようにありますね。

「我(われ)常に此(こ)の娑婆(しゃば)世界に在(あ)って、
説法教化(せっぽうきょうけ)す」

仏が住する国土(=仏国土)は、常に、この現実世界であり、
穢土(えど:穢(けが)れた国土)とも言われ、度し難き(救い難い)
衆生(しゅじょう)ばかりが集まった、苦悩に支配された世界である
とされていた娑婆(しゃば)世界(人間の生きる現実世界)こそが、
仏の住居であり、仏は衆生の苦を除くために衆生世界(人間社会)
の中に分け入り、その真ん中で、成仏への確かな道を説き示して
いくのだと。

大聖人が南無妙法蓮華経の旗を掲げる前の日本に蔓延していた
『浄土願生 (じょうどがんしょう) 思想』の根本は、
『厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)』でした。
苦悩多い穢 れたこの娑婆世界を厭 (いと) い、離れたいと願い、
(せめて死後には)安楽な世界である極楽浄土に行けることを切望し、
そのために、西方億万浄土に住むと言われる「阿弥陀仏」の称号を
一心に唱える。

その浄土思想とは全く逆に、
『仏は、苦悩多き穢土(現世)を変革し「常寂光土」とするために、
現実世界に住して苦悩の衆生救済の法を説く』(仏の本国土を明かす)
としたのが、法華経の真骨頂でした。

更に大聖人は、「仏とは凡夫そのものである」と宣言しています。
「自分の胸中に仏は厳然と存在する」と悟った者が仏であり、
それに「迷う」者が凡夫なのであると。
「凡夫成仏の姿こそが本仏のである」という御金言もありましたね。

また、『御義口伝』には、
『如来とは三界の衆生なり
此の衆生を寿量品の眼開けてみれば十界本有と実の如く知見せり、
三界之相とは生老病死なり
本有の生死とみれば無有生死なり生死無ければ退出も無し
唯生死無きに非ざるなり』
とも。

更に大聖人は、竜の口への道中に駆けつけ、師に殉教の覚悟で
付き従った四条金後を振り返って、次のように語られています。

『もし、あなたの罪が深くて地獄に堕ちるようなことがあれば、
日蓮を仏になれと、どんなに釈迦仏がいざなわれようとも、
従うことはないであろう。あなたと一緒に地獄に入ろう。
日蓮とあなたと共に地獄に入るならば、釈迦仏も法華経も必ずや
地獄におられるにちがいない』

これは、大聖人と大聖人門下の死後の行き場を提示しただけ
なのでしょうか。それはそれで、三世の生命観からの大確信なの
ですが、私には、「それだけ」とは思えません。
南無妙法蓮華経という、釈尊も含めた三世十方の諸仏を成仏させた
宇宙根源の法を奉じる人、また、その人に生涯を捧げようとする者。
それらの人たちがいる現実の場所は、凡夫の眼では、どんなに
過酷な状況であるように見えたとしても、そこがそのまま「仏国土」で
あるのだと、そうご教示して下さっているように思えてなりません。

「在在諸仏土 常与師倶生」
久遠の誓いを立てた師弟は常に、苦るしむ民衆を救済するために、
敢えて業火盛んな現実世界に飛び込んで行き、共に炎に焼かれ
ながら、寂光の都へと転換していく。
救う側も共に苦しむ。
しかし、南無妙法蓮華経を胸にかき抱く者にとっては、
その現実世界こそが、「娑婆即寂光」であると。

凡夫には、それが観じられない。
しかし、王者の剣さんは、それを観じた。

『垢まみれ、煩悩まみれ、毒気深入して苦のみ多き私の命・・・
その不幸の中に、仏はおられる・・・いや幸も不幸も、
罪の軽重も関係ない、それらすべてが「南無妙法蓮華経」という
私の生命なのだ』

まさにそれは、先師・戸田先生の悟脱にも通じるものですね。
それが唱題の力であると。
『凄い』としか、言いようがありません。
2015年05月13日(Wed) 14:50
Re: 『娑婆即寂光』ですね
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福島の壮年様

いつもありがとうございます。

このコメントだけでりっぱな記事ですし、教学ですね。

確かに浄土思想と真逆にあるのが法華経であり、日蓮大聖人様の仏法ですね。それだけでもすごい仏法です。それを私もこの身にかすかに感じさせてもらったのかもしれません。ありがたいことです。

ただ、戸田先生の悟達とは天地雲泥の開きがありますので、それに通じるというのはおこがましいのでどうか勘弁してください。(汗)
本当に私は自堕落で人生の落伍者ともいうべきひどい人間でしたので、信心していても幸せは来ないだろう(笑)と思っていたほどなのです。(笑)

>『もし、あなたの罪が深くて地獄に堕ちるようなことがあれば、
日蓮を仏になれと、どんなに釈迦仏がいざなわれようとも、
従うことはないであろう。あなたと一緒に地獄に入ろう。
日蓮とあなたと共に地獄に入るならば、釈迦仏も法華経も必ずや
地獄におられるにちがいない』

>これは、大聖人と大聖人門下の死後の行き場を提示しただけ
なのでしょうか。それはそれで、三世の生命観からの大確信なの
ですが、私には、「それだけ」とは思えません。
南無妙法蓮華経という、釈尊も含めた三世十方の諸仏を成仏させた
宇宙根源の法を奉じる人、また、その人に生涯を捧げようとする者。
それらの人たちがいる現実の場所は、凡夫の眼では、どんなに
過酷な状況であるように見えたとしても、そこがそのまま「仏国土」で
あるのだと、そうご教示して下さっているように思えてなりません。

今回の記事を書く時に、私もこの御文が思い浮かびました。

自分の生命を「仏」と開きその地を「仏国土」とわかるには強い信心が必要だと思います。しかし、無いかといえば絶対あるのだと大聖人様が御断言です。
「一生成仏抄」を拝しても「阿仏房御書」「諸法実相抄」を拝しましても、大聖人様は凡夫が仏だ、仏だと言われています。大聖人様は御本仏であり、その方のお言葉ですので信じる以外にありません。(笑)

「よく私は業が深いから」と言われる方がおられますが、信心が強いと関係ないと思います。(もちろん宿業は出ますが)「凡夫即仏」「九界即仏界」です。地獄から即仏界を開くことができる。業を減らしてからなんていってると、歴劫修行になってしまいます。やはりそうではない。信心の強さで仏を開くことができるということだと思います。まさに業の深い人向けの信心です。(笑)

悟るか迷うか・・・人それぞれあると思いますが、お題目を唱える人は皆同じ「位」だと思います。創価の人間群が、娑婆即寂光と生命を開き、輝き乱舞していく時代が来ました。私もその列に漏れることなく、皆さんと共に新時代に先駆けていきたいと思います。



たくさんのご教示ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

2015年05月13日(Wed) 16:27
No title
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>hideさんも大変だと思いますが、応援していますよ。焦らずに自分の使命の道と覚悟していきましょう。

真面目に題目をあげる人を御本尊様が放っておかれるはずはありません。
ご家族、奥様、娘様にもお題目を送っていきます。


上記、本当にありがとうございました。
胸を押さえつけるような苦しさが、中々抜け切れません。

しかし、自分の使命の道であるならば腹を決めてみます。
倒れていようが、仏前であろうが題目をあげて、再び大確信を頂くまでやってみようと思います。

私には、本当にもう題目しかありません。
本当にありがとうございました。






2015年05月13日(Wed) 18:03
No title
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王者の剣さん

私は今の組織にとても大きな危機感を持っています。王者の剣さんなら理解されていると思います。私も約10年間地区の座談会推進長で地区を盛り上げてきましたが、残念ながら衰退してしまいました。原因を考えると、時代は大きく変わっているにもかかわらず、組織は時代遅れのままです。特に以前は青年が地区の中心であったのに、今は60~の婦人部がしきっています。社会性の乏しい視野の狭い、上からの組織活動が信心であり、そこに功徳があり、先生にお応えする事であると、そこではこのブログ語られる、信心とは
仏とは、師弟とは、究極の人間主義について語られる事は一切ありません。
これほど魅力のない組織はないでしょう。活動家が減るのは当然でしょう。
人は楽しい処に集まるものです。自発能動で新しい組織、池田大作研究会を
外部の方々と立ち上げ人間主義を学び、実践していきたいと思います。
2015年05月13日(Wed) 21:43
Re: No title
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hide優さんへ

胸の苦しみというのは心配ですね。
本当に苦しい時は無理をしないで休んでくださいね。

声に出さなくても横になって心で静かにお題目をあげることもできます。
また医者に診てもらうべきところはきちっと見てもらってくださいね。

大事な体ですので、決して無理をなさらないでいいと思います。
ご自身の精神面と体調をよく考えて、苦しまないようにしてください。

健康の回復をお祈りいたします。
2015年05月13日(Wed) 23:08
Re: No title
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ポラリスさん

実際の組織内と、先生の言われる人間主義・・・そのギャップに苦しまれているお気持ちは理解できます。ポラリスさんはまっすぐなお方だと思います。それ故に真剣なお気持ちだと思います。

私は役職もあって、同志の方に対して責任もあります。その方たちと手を携えて、新しい地区、組織を作る決意です。まずは自分が変革して波動をおこしていきたいと思っています。

こちらも田舎で皆さん6~70代の方が多いですよ。大変ですが人材はこれから折伏して作るしかありません。地区に青年部がいませんので。

池田先生はかつて「創価学会をもう一つ作る勢いで・・・」と呼び掛けられました。
新しい学会を作ろう!その心意気は大事だと思います。やり方はいろいろとあると思います。今は理解者がいなくても、先生の指導を学びながら時間をかけて、組織の人と話し合っていくことも大事かと思います。

学会の組織とは別に、個人的に主宰して信心の会合をやることに対して、学会の理解が得られるかどうか、私にはわかりません。またそれが価値的であるかは慎重に考えるべきだと思います。それでも純粋な信条で、道を求めておやりになるかどうか、最後はポラリスさんの判断になると思います。

私はいろいろと問題はあっても、学会を良くしていくという意味では、組織の中でどこまでも頑張るというスタンスが正しいと思います。内部が腐りつつあると感じられるときに、外で行動をして、果たして内部が変えられるかということがあります。やはり、内部にとどまって、そこを良くしていく努力をしないと、独りよがりにならないかと心配します。

池田先生の平和主義、人間主義を学んだ人であれば、革命精神をもって、新しい時代を作っていくことは自然の流れです。そういう一人立つ精神の人同士が団結して、これからの組織を担っていくのが理想ですね。

多くの同志の方の理解や共感を得て行動すること・・・そのことも大事なことだと感じます。



2015年05月14日(Thu) 00:02
Re: No title
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うるとらまんさん

いつもありがとうございます。
沖縄は暑いですか?それともうるとらまんさんの情熱で熱いですか?(笑)

地道に活動されていて頭が下がります。
私も昨夕は雨の中、壮年部のある方を訪問、少し癖のある人で、「学会は池田教」だと批判と疑いがあって
あまり出てこられていません。今まで辛抱強く容認していましたが、昨日は私も少し強い口調で思うところを言いました。

現場は大変です。私も悪戦苦闘でやっています。しかし、そこに仏道修行があると思います。どの人も使命の人に…との思いで言うべきことは言い切って、忍耐強くやるしかありません。

「不信の生命」、「元品の無明」、「第六天の魔王」もしたたかで粘り強いものです。その皮を一枚づつはがしていかねばなりませんね。(笑)

更なる挑戦で、地域の妙法流布に邁進していきましょう。御健闘をお祈りしています
2015年05月14日(Thu) 10:10
初めまして
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初めまして、麦と申します。
宜しくお願いいたします。

「仏の住む場所」は、広布に闘う「私自身の命」と信じ、
学会の師弟不二、異体同心の団結で広布の前進をしてまいります。

創価の哲学・創価の対話・創価の挑戦で、
共々に健康第一で闘ってまいりましょう。
2015年05月14日(Thu) 22:51
Re: 初めまして
編集
麦様

初めまして。
コメントありがとうございます。

信心は無限の可能性ですね。御本尊様と池田先生・・・その世界に連なると不可能が可能になる
無限の力が湧いてきます。使命ある人には苦悩や悪しき宿命も、それを証明するためにあると思います。

>創価の哲学・創価の対話・創価の挑戦で、
共々に健康第一で闘ってまいりましょう。

題目と折伏、仏法対話、励まし・・・ほんとうに日々、挑戦ですね。体を大切に楽しくて仕方ない
人間主義の世界を作る思いで、ともに前進していきたいと思います。
2015年05月15日(Fri) 01:59
No title
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なぜこのブログが好きかと言えば、人間主義と言うフレーズが普遍的に使われて
いるからです。それは王者の剣さんがこれからの学会の組織の発展には絶対に必要だと確信しているからだと思います。
昨日、壮年三人で、座談会で発表する「幸福と平和を創る智慧」の勉強会をしたら、今朝の新聞の一面トップに先生の「小さな集い」こそ勝利の「港」とありました。また、座談会には二人の友人をお招きする予定です。二人にとって、居心地の良い楽しい座談会を開催したいと思います。
2015年05月17日(Sun) 23:15
Re: No title
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ポラリス様

いつもありがとうございます。「人間主義」はポラリスさんの影響ですよ。(笑)

「小さな集い」が素晴らしいのは、人が飾らずに、そのままの自分で対話できるからではないでしょうか?
大きな会合の幹部さんの話にはない、一人の人間の想いや声こそ、「人間主義」の原石ですね。

そこで起きる小さな渦がやがて大きな波動となって行けばいいと思います。
座談会や協議会、家庭訪問・・・世界広布の船も、この小さな港から旅立っていくのだと思えば、
夢が広がります。

先生の言われるように、地味な活動こそ、大事ですし、私も好きですね。
2015年05月18日(Mon) 21:32












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