2015
06.24

長者窮子の譬え

Category: 信心
 

 法華経には難解な法理をわかりやすく説くために、よく譬えが用いられます。「譬喩品」などはその名の通りとも言えますが、それら代表的なものを集めて『七譬(しちひ)』と呼ばれています。(法華経の七譬


 一つ一つ読みますと「自分に当てはまる」と思うものが必ずあるものです。仏様も妙法を子供に飲ませるために、あれこれ方便を用いてご苦労されます。お母さんが一生懸命、子供にお乳を飲まそうとしているようで、うなずけますね。

 『化城宝処の譬え』ですと、一生懸命やっているのに思うように結果が出ない・・・前に進む気力も萎えた頃に、先輩がやってきます。「あとひと踏ん張りできっと開けるよ。さあ、一緒に題目をあげよう!」なんて、激励に来たりします。そうした希望をもたらす対話も『化城宝処の譬え』と言えるかもしれません。

 『七譬』の中で私が一番自分に当てはまると思うのは、『長者窮子の譬え』です。27歳で創価学会に入会したわけですが、生まれは真言宗、それもお寺と親戚つながりの家でした。久遠の時の父元(仏)を離れ、諸国を放浪するうちに、どっぷりと邪宗に染まり、法華経の信者を見ては見下し、罵っては、「真言こそ真実なり、法華経の者はわしらの履物でも揃えておけ」などと偉そうなことをやっていたのかもしれません。

 とうとう今生で精根尽き果て、枯槁(ここう)の衆生となり、息も絶え絶えとなったところを、見かねた仏様によって、創価学会に拾ってもらいました。

 ところが創価学会に入ったものの、池田先生はどこか遠い雲の上の人、組織や幹部さんも肌が合わず居心地が悪い・・・なぜ自分はここに来たのだろうと思いつつ。「だがもう流浪するのは嫌だ、俺にも確かに信じられるものがほしい・・・池田先生という人もどこかすごい、よし、これに賭けてみよう」と、そう思ったのです。そう思えたところに私の福運がありました。(笑)




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 私が信心をやめることなくこれたのは、そのすごさを教えてくださった、ある先輩との出会いがあったからです。この方が私にとっての『化城宝処の譬え』そのものでした。「がんばればこういう人になれるんだ」とその人のあとを追いかけたのです。

 そして30年ほどたって、最近ようやく、学会員らしくなってきました。地区部長やって、家を拠点に提供し、朝から無冠の友として走り、何をおいても信心第一、地域の広宣流布は自分がやると思えるようになりました。

 今では「あなたはもともと学会でしょ?」などと言われます。「いえいえ、とんでもない、わたくし、生まれも育ちも邪宗教、大日如来で産湯をつかい、姓は真言、名は密教、人呼んで謗法の窮(ぐう)と発します」と答えています。(冗談です)

  今、 いい調子で学会を謗り、見下げる人々も、あとを思えばかわいそうな人です。謗法の酒が深く沁みて、諌(いさ)めても言うことを聞かない・・それも毒鼓の縁なればやむを得ませんが、同じ一生、あまりにもお気の毒というほかありません。

 人をうらやんだり、妬(ねた)んだり…そんなことしなくても私達の衣の裏には、仏の命が縫い付けてあります。それが『衣裏珠の譬え』です。他人をうらやむより、自分の宝を見つければいい。仏の生命ですから「如意宝珠」です。自分の本地を悟るまで、たとえ苦しくても、大聖人様の衣の裾にしがみついて行かねばなりません。

 「ありゃ、自分にも仏の生命があるやんか」とわかってみれば、それは100万年暗き洞窟に、パッと灯りがついたようなもの、どんなにうれしいことでしょう。

 一日も早くそうなれるように、今日も自分磨きの信心を、窮(ぐう)ちゃんは頑張ってまいります。






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コメント
人をうらやむより、自分探しをする、あー
私もほんの少し人だけ、わかるようになりました。
人をうらやむのではなく、自分にしか出来ないことをさがそうと、やっとです。
そうは言っても、すぐに命が元の羨む命になったりします。
私の人生多分あと30 年生きるつもりですが、いくつになったら変わるかな?
糸吉dot 2015.06.25 01:17 | 編集
糸吉さんへ

いつもありがとうございます。

自分の命が宝だとわかれば、人をうらやまなくてもいいでしょうね。


ひがみ根性や、いじけ根性、妬みやら恨み心まで、どこでこんなに余計な根性を拾ってきたのでしょうか?

そんな困った末法の衆生のために、御本尊様を顕してくださいました。
それだけで感謝ですね。

仏法は内道ですので、どこまでも自分の中に幸福を求めていくようにできています。
ほしいものは自分の中にあると信じて、そこからスタートですね。。

そう決意して、お互いに功徳をいただきましょう。

これからもよろしく・・・
王者の剣dot 2015.06.25 12:20 | 編集
非公開2:56様

コメントありがとうございます。

>私は人生において大きな失敗をしてしまいました。
其のことが世間や学会員さんの中で広まり・・・苦しい日々を送っています。

 大変なことと同情申し上げます。どういう失敗なのか事情はわかりませんが、今のお立場は苦しいことと思います。

 学会内で騙されたり、いじめられたり、またいわれなき中傷をことさら受けたり・・・様々なことを私も
見聞きしてきました。弱い人の味方になるべき学会にあって、そういう冷たい雰囲気や、ダークな部分があるのは
人の集まりとはいえ、嘆かわしいことです。

 ある先輩から、「記憶は消えないけど罪は消える」と聞いたことがあります。私も過去のことで長年、くよくよとしたことがありました。そのくよくよとしたり、心を痛めること、悶々とした日々が償いだったと今は思えます。ようやく罪は消えたのか晴れやかに生きていけるようになりました。確かに記憶は消えませんが・・・

 私達は凡夫ですし、聖人ではありません。失敗や過ちを繰り返しながら生きていくものです。言わないだけで、苦い過去の一つや二つみんなありますね。その傷口をつついて、ちくちくやるのは人の不幸を喜ぶエセ信者です。人の幸福を喜ぶ姿ではないと思います。

 仏法では「過去は問わない」ことになっています。御本尊様に純真な信心を貫いていくしかないと思います。

 時間はかかるかもしれませんが、必ずすっきり、これでよかったと思えるところへ行くと思います。今は心苦しいとは思いますが、その思いをを御本尊様にぶつけて、罪障消滅を祈っていくことが大事ではないでしょうか?あまり自分を責めないでくださいね。

 記事が励ましになっているなら、私もうれしく思います。
拙い記事であることはよく承知していますが、またよろしければお寄りください。
王者の剣dot 2015.06.27 12:56 | 編集
非公開02:45様

重ねてありがとうございます。

人が絡んでいる出来事も、すべては自分の因果です。
これから信心でいくらでもよくしていけると思います。

「罪として滅せざるはなし」と説かれます。
御本尊様に解決できない悩みはありませんよね。

まわりの目や雑音は嫌なことだと思いますが
どうか負けないでいかれますようお祈りいたします。

共に前進してまいりましょう。

(このコメントに返信はいりませんので、よろしく・・・)




王者の剣dot 2015.06.29 11:04 | 編集
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