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「困った、南無妙法蓮華経」



 7日付聖教新聞には、お元気な池田先生、奥様の姿が掲載されました。牧口記念会館、東京富士美術館を訪問されたご様子で、昨日8日付の新聞にはそのことにも触れ、随筆を寄稿してくださいました。梅雨の合間の晴れた空のように、私にはうれしい記事でした。先生のブレザーのブルーも、紫陽花のブルーのようで爽やかで、(笑)多くの会員さんの心にも、あかりが灯ったのではないかと思います。

 
 私達のいただいている御本尊様は世界最高、いや宇宙最高の無上の御本尊様です。福として、また智慧として汲めども尽きない、甚深無量の法力、仏力が収まっている宝の蔵、功徳聚です。 宝は取り放題、もうなくなるということもありません。しかも信心をやりぬけば、三世永遠にこの御本尊と共に生きていける、仏の境涯が約束されています。

 いかにしてこの宝を受け取るか?それは信力、行力を強く出す以外にありません。私も信心しながら、組織から離れたり、拝めなかったりと、あれこれ遠回りしました。まさに「修行の枝をきられまげられん事疑(うたがい)なかるべし」(四条金吾殿御返事)との御文の通りです。これからは、素直で強い信心で、しっかり功徳をいただいて実証を示したいものだと思います。

 かつて、私も仕事のことで行き詰まり、自分の智慧ではどうにも打開できないというところにいきました。その悩みの底で、「御本尊様があるじゃないか、御本尊様しかない、今こそ信心だ!」という境地に立てました。それでようやく、信心に開眼し、生命に火もついて、反転攻勢できたことがありました。





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 御本尊様は衆生に信心を教えんがために、時として崖っ淵や谷底に私達を連れていってくださります。そこでもがき苦しみ、信心で這い上がってくるのをじっと見つめておられます。まさに試練こそ、その人にとって最高のパートナーです。またすべての出来事に深い意味があるということだと思います。

 そこでいや増して、強く御本尊様にぶつかって行けば、「妙法」の世界に入れます。信心をつかむことができます。私もその時、「妙法」の世界に一歩深く入ることができたと思いました。「南無妙法蓮華経」が生活上、最高の策であり、智慧だと強く知ったのです。題目によって、いつでもどこでもその最高の智慧、力をいただくことができる。「困った、南無妙法蓮華経」でいいのだ。その代り、この命は御本尊様に捧げていこうと、そういう思いになりました。

 いかに御本尊様を強く信じるということが大事な事か、御本尊様への確信がないことがどれだけ不幸なことか・・・そういうことをいくばくか身で読めたことは本当にありがたい体験となりました。

 信心をがんばっている、仏法対話も100万遍の題目もやっている・・・でも祈りが叶っていかない、功徳が出ない。そういう時は本当に御本尊を信じきれていない、命のすべてでぶつかっていない・・・結局、そういうことではないかと私は思います。100%御本尊を信じて、行が足りて、それで祈りが叶わないということはやはりないと思います。

 人間の不幸の原因は邪宗教にあるわけですが、生命でいえば、それは「御本尊不信」です。我が生命と御本尊様の間に横たわる不信の命・・・その不信こそが不幸の根源なのだと私は常々思います。そこで多くの人が御本尊を信じきれず道を誤まる・・・魔の誑惑に負け、「疑網」に絡めとられていく人を見ると、結局、その人の信力の弱さに魔がつけ込むことがよくわかります。

 誰しも心に不信の命が出るものです。しかし、そこを必死で、信力、行力を奮い起こして立ち向かって生きていく。その姿自体が正しい勝利の信心だと思います。「負けない、あきらめない、くさらない」を合言葉に、どこまでも御本尊を信じ抜き、不信の魔を粉砕していきたいと思います。

<記事は7月10日に加筆しました。>






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Comment

不信こそ堕地獄の本因
編集
http://ossandesugananika.blog.fc2.com/blog-entry-270.html
『創価学会のおっさんです/奥底』に
こちらの記事を紹介させて頂きました(承認待ち状態)。
まるで、おっさんに向けてのメッセージのようでしたので。

いつぞやは、「農業」について何度もしつこくお訊きし、
失礼いたしました。
お陰様で、大変に勉強になりました。

>7日付聖教新聞には、お元気な池田先生、
>奥様の姿が掲載されました。

そうでしたね。
その日の朝、家内が私に聖教を手渡す時に、
そのお写真を見て、「先生と奥様の写真があるよ」と
嬉しそうに言ってきました。
私には、「嬉しい」というより、「安心」「安堵」の思いが
強く湧き上がりました。

>人間の不幸の原因は邪宗教にあるわけですが、
>生命でいえば、それは「御本尊不信」です。

そうなんですよね。
大聖人も厳しく「念仏」を弾苛していますが、浄土系各派の
依経を否定しているわけではありません。
他土の仏である阿弥陀仏を賞賛する余り、釈迦仏法の
最高峰である「法華経」が「難解」であり、その意を解して
成仏できたものがいない。だから、法華経を「捨閉閣抛」し、
称名念仏に専心して、死後の成仏を念じよと。
それが、結局は「法華経」否定であり、釈迦仏法の究極の
法に不信を起こし、真実の教えに背くことになるので、
「無間地獄」に堕ちる因になると。

御書を具に拝していくと中国・天台宗は、法華経を依経と
しながらも、出家僧たちの修行の中には、念仏を唱える
という修行も存在はしているのですよね。
まだ、釈迦仏法の域を出ないがための修行法では
ありますが、法華経を貶め、不信を抱かせぬ限りは、
法華経以外の経典に説かれている教えも全て正しき
仏教の悟りの側面のひとつとして捉え、包摂していけるし、
そこから森羅万象の真実を導き出すこともまた可能だと
いうことですよね。

したがって、堕地獄の最大の因は、法華経誹謗であり、
末法今時では、「南無妙法蓮華経」への不信であると、
そういうことになりますね。
2015年07月10日(Fri) 10:32
Re: 不信こそ堕地獄の本因
編集
福島の壮年様

 いつもありがとうございます。

 学会員になると邪宗教の信仰とは縁が切れますね。御本尊を持つことで、それで幸福であればいいのですが、話はそう簡単ではありません。今度は、自身の生命に仏界を顕すため、魔との闘争を勝ち越えねばなりません。

 創価の三代の会長先生を見ても、特に広宣流布の大使命を帯びた人には、命に及ぶ魔との壮絶な戦いが宿命付けられています。その人に成仏されると、多くの眷属を仏へと導くからでしょうか?

 私達個人も、元本の無明が魔となって顕われ、御本尊に対する不信を惹起させます。それを見破り、どう勝ち越えていくか・・・「爪上の土」の御文をよくよく肝に銘じたいと思います。

 創価の戦いは「生命不信」「人間不信」への挑戦ですね。世の中、外交を含め、政治の世界も、根本は相手の国なり人への「信・不信」が大きな鍵になります。「新・人間革命」に見る、池田先生の中国での行動も、未来を見越して、「お互いを尊敬し、お互いを信じる」という、人間主義の種をまかれていると思えてなりません。権力者が持つ人間不信を転換し、どう平和の世界に導くか?いずれにしても「仏と魔との戦い」「信・不信のせめぎ合い」であり、先生の闘争の心を受け継いでいきたいですね。

 「どの人も仏の生命」と言いながら、相手の仏性を信じられないということが、私達もあります。それが不信であり、凡夫の姿(迷い)です。それを克服するためには自らの生命に、仏を顕す戦いに精進するしかありません。自身の十界互具がわかれば、他者の仏界も認められるからです。

 末法は大聖人様の仏法が、東天から赫々と出る太陽の如く出現し、ひとり利益する時です。私達の信心で日蓮仏法をいっぱい繁盛させなければなりません。私もより一層、御本尊への信心を真剣にやっていかねばと思います。

 関西のおっさんと共々、勝ち越えていけますように・・・ですね。
2015年07月10日(Fri) 17:13
Re: Re: 不信こそ堕地獄の本因
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すいません。前のコメント7行目。「元本の無明」は「元品の無明」の間違いです。訂正します。
なかなか学習しない漢字変換ですね。(笑)
2015年07月13日(Mon) 16:56












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