広布の大河に君ありて tori

TOP未分類 ≫ 魔王が支配するこの世界で

魔王が支配するこの世界で


 私達がすむこの娑婆世界は「第六天の魔王」の世界と説かれます。魔王ですのでその体は妙法不信であります。妙法不信は人間不信に通じ、諸悪の根源となっていくように思います。国と国であれ、人と人であれ、不信と怨嫉から争いが起きていきます。日頃、起きる出来事を見ていてもこの世界は矛盾や不条理にみちており、心が悲しくなるような事件もあとを絶ちません。

 無実の人が冤罪(えんざい)によって、一生を牢獄で暮らさねばならないこともあれば、善良な人々が大災害に見舞われたり、罪なき子供が殺人鬼の標的になることもあります。因果と言えばそうでしょうが、これほど理不尽なことはありません。悪人が善人の顔をし本当の善人を迫害することも常であり、正邪も紛らわしい・・・まさに顛倒(てんどう)の世界であり、善よりも悪が幅を利かす世界に違いありません。


 私達はその娑婆世界に何の不思議か「妙法」を抱いて出てきました。しかもあえて苦悩を願い受けた不幸な姿で、人々を救わんがために出現しました。そしてこの魔性の世界を仏国土に変革する戦いに挑戦していく・・・信じがたいことではありますが、それこそが創価学会員の生きる真の目的であり、それを知った人を仏というべきだと思います。

 華々しく颯爽(さっそう)と娑婆世界に登場したいところですが、それぞれ宿業も重く、身なりもそれなりです。(笑) なにせ枯れ尽きて入会したわけですのでしばらく時間をいただかないと・・・人から馬鹿にされながらも、「なにくそ、今に見ていろ!」と思いつつ、「冬は必ず春となる」との御聖訓を抱きしめてみんな励んでいくことになります。

 それでも「妙法」をたもち、自身の宿命と戦いながら、広宣流布に立ち上がる人は皆仏です。本人が自覚しようとしまいとその本地、内証は仏であり、それゆえに決して互いを謗ることがあってはならないと思います。同志を謗る人は、いまだ自他共の仏性を信じることができないと自ら認めているようなものです。



IMG_0374b.jpg





 「第六天の魔王」にしてみれば悪が栄えるこの世界に、妙法をたもった地涌の菩薩が出現することほど忌々(いまいま)しく腹立たしいことはありません。この人達が栄え広宣流布していくことは魔王自身の世界が仏国土に変わることを意味します。そのためには学会員を悩まし、苦しめ、退転させねばと、あの手この手で狙うのも道理です。信心が強く、広宣流布に貢献しゆく人ほど、大きな魔と対峙しなければならないことでしょう。

  ネットのように自分の姿、生活も見せないで、物が言える世界は魔の格好の棲家ですね。言葉だけで正邪を言えばいいのですから、ある意味理屈の強い人の世界だとも言えます。人は実際にあってお付き合いしないとわからない、生活を見ないとわからない・・・これは真理だと思います。理屈だけで善良な人々を狂わしていくのですから、信心に確信弱き人はよくよく気をつけねばならないと思います。

 魔の働きをしっかりと見定めることができれば紛動されることはないはずです。そのためにも御書を拝読し、池田先生の指導を生活の中心に据えることがもっとも確かであり、迷った時こそそこに帰るべきだと思います。

 最後はこの命を仏様に差しあげる以外に「一生成仏」はないのですから、どうせなら最初からそういう覚悟で行こう、私はそう自分に言い聞かせています。魔王も必死ですので、こちらも一生懸命やるしかない・・・それは理屈ではなく現場での実践しかないはずです。

 「今日も自分のいる場所を「娑婆即寂光」と開いて行こう!」「魔王の試練に打ち勝とう!」との強き心で、地域広布に挑戦していきたいと思います。




にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村




Comment

編集
頑張ってくださいm(_ _)m
僕は宗教も、創価学会とも無縁で、魔とか神とか宿命とかは信じていませんが、興味はあります。
世の中には確かに宗教は必要だと思いますからね。
まぁ日本人は正論っていうかはっきり理解できないのは避ける人が多いんですかね?
でも、盲信、狂信者は怖い…
僕は、幸せも不幸も、生まれも育ちも、ただの運。
それ以上でもそれ以下でもない、なんて思っちゃいますね。
2015年11月03日(Tue) 21:11
Re: タイトルなし
編集
たける様

はじめまして。またコメントありがとうございます。

このブログを読んでコメントをくださる時点で、創価学会と十分御縁があると思います。(笑)

私も27歳の入信ですけど、入る前は宗教を自分がやるなんて思っていなかったですね。
ただ一つ、入信前に思っていたのは、運や運命というのはどうして作られていくのか?ということでした。
人間は平等と言いながら、差別がありますし、社会で成功する人、しない人・・・その差はどこにあるのだろうと考えていました。

友人から「南無妙法蓮華経」と聞いたとき「あ、これだ」と思いました。

「すべて運命だよ」ということで片付く間はいいですが、私なんかあまりにひどいものでしたので、それでは困る。(笑)何とか変えないと生きていけないところにいましたので、素直に「南無妙法蓮華経」と唱え始めました。

盲信に見えるかもしれませんが、最初からそう信じれるものではありません。疑いながらやるのです。(笑)まずは「試みに」信心する形で入っていきましたよ。今では信心一つでいいとわかりましたので、人から見ればかえって、「洗脳されている、盲信だ」と言われるかもしれませんね。

自分の悪しき運命をいい方向に転換できるのが信心です。その力がこの御本尊様にはあります。幸福の因がなくても、信じて行じるなら即座にお釈迦さんが持っている因行果徳を譲って差し上げます…という気前のいい信心です。

たけるさんもいつか必ず信心されることになっています。(笑) それはないと思われるかもしれませんが、好む好まないに関わらず、それも運命のしからしむところなのです。



2015年11月04日(Wed) 09:56
No title
編集
深い考察ですね(お世辞ではありません)
情報化社会が進むにつれて日々の情報量が増大し悪縁に接する機会が無意識に増えてしまいます。知らない間に縁に粉動されてしまうこともありえます。
魔を魔と見破れる謙虚な信心が大切だと思いました。
生命力を奪うもの=奪命者 
信心根本で生命力ある毎日を送っていきたいと思います!  
2015年11月04日(Wed) 20:29
Re: No title
編集
兵一 様

コメントをありがとうございます。

妙法の旗を掲げ、魔の世界に飛び込んで私達は戦わねばなりません。
胸を張り、微笑みながら正義を語り抜くしかありませんね。

「味方は少なし、敵多し」です。広宣流布が進んだと言え、8割9割は非学会員の世の中です。
マスコミを始め、世間は創価を決して認めようとしない・・・池田先生が世界の要人と会われても無視です。
いくら平和に貢献しても正しく評価しない・・・かえって悪口罵詈、中傷です。
世の中に溢れる俗衆増上慢・・・その本質は不信と嫉妬、ねたみであり、魔に操られた姿です。
その中に飛び込んで人々の仏性を呼び覚ます戦いこそ折伏戦ですね。

誰しも不信の心があります。そこに悪しき情報が入り込むと信心が狂わされます。そういうものを寄せ付けないためには信力を強く出す以外にない、「月々日々に強り給え」です。そのために御書があり指導があり、善知識の集いである組織があります。

こんな五濁の娑婆世界で戦いができる学会員こそ、選ばれし真正の「地涌の菩薩」です。
威風堂々、戦っていきましょう!  
2015年11月04日(Wed) 23:22












非公開コメントにする
Trackback

Trackback URL

06
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30