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信は道の源功徳の母

 



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 私は凡夫であり迷いの衆生ですが、迷いがあるということは何が正しいのかわかっていないということです。「大聖人様の仏法が正しいとわかってらっしゃるのでは?」といわれても、それは頭でわかっている、身体で少し知っているという程度であって、「まだまだこれからです」というほかありません。

 昔、宗門側の人達が数人そろって私の家へこられたことがありました。手には御書を持って、私に改心を迫るべくやってこられたのです。

 その時、何の御書かも忘れましたが、「この御文に照らして創価学会は間違っている。わかりますよね?」と相手は言うのです。御文といってもわずかに一、二行だったように思いますが、それで創価学会は間違っていると言い切るではありませんか?

 それで私は「御書をわかるというのは私には恐れ多いことであり、私はどこまでも御書を信じていく立場です。」と答えました。創価学会であれ、池田先生であれ、これまでわかろうというより信じてついてきたのです。それで長い年月をかけて心と心が「異体同心」となり、学会は正しい、先生は正しいと生命でわかったのです。生命でわかるともう誰からも何があっても崩されることはありません。

 なまじ頭のまわる方が陥るところは、何でも自分の智慧で浅薄にわかったと思いこむところではないかと思います。その人達も御書は多少拝していたかもしれません。しかし、その読み方は自分達の考えを正しいと思うために御書を利用する読み方であり、それ故に「切り文」になるのだと思いました。その心の底には「御書は読めている、わかっている」という驕慢があると私には見えました。

 戸田先生は「御書がわかったといったら増上慢だ、わかんないと言ったら謗法だ」と言われました。それを読んだときは「一体どうすりゃいいのさ・・・」と思ったものです。(笑)
今になって見ますと、わかるわからないではなく、「どこまでも信じていきなさい」「信解なのです」と言われているのだと思います。

 身体の悪い人にとって、身体の構造を知ることは目的ではなく、身体を治すことが目的です。それと同様に不幸の強い私は、ひたすら幸福になりたい。三世に崩れなき幸福を獲得することが目的なのであって、そのためには何よりも強い「信」が必要になります。その「信」を高めるための教学であり、理論であるはずです。私自身も内なる不信の命を打ち破るために長い時間がかかりました。

 有名な新池御書には「有解無信とて法門をば解りて信心なき者は更に成仏すべからず、有信無解とて解はなくとも信心あるものは成仏すべし」とあります。(p1443)竜女や修利槃特のように、この御文を証明する一人でありたいものです。

 「南無妙法蓮華経」の偉大さ、不思議さなど考えてもわかりません。みんなわからない中を信じて行く。だからこそ仏様も凡夫の「信」の志を尊くまたありがたく思われるのでしょう。その意味で我々にとって「信」こそがすべてだと言っても言い過ぎではありません。

 御本尊様に対して大確信を持つ・・・それができるようになって、私の生命も安心し、迷いの霧は晴れ、歓喜と感謝に溢れた力強いものとなりました。まさに「信」こそ「道の源」であり「功徳の母」です。強く信じる心があれば「信力」「行力」以外の策や智慧など不信の属物のようにさえ思えるものです。

 どんな状況であれ信心が強ければ、生命に勢いが出て立ち上がっていけます。そして「信」のみで我らは「蘇生の道」「成仏の道」に入れるのです。まさに「法華経を信ずる心強きを名づけて仏界と為す」(日寛上人)です。「自分はこの信があればもう大丈夫、人生に勝利するのだ!」とそう言える大信力が出れば即「勝利」の日々となります。

 娑婆世界を悠々自在に舞い、桜梅桃李の花を見事に咲かせるために、創価の皆様、ともに強い信力で前進して行きましょう!





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Comment

いつもこのブログに励まされてます!
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私は学会3世です!
沢山の不信を抜け出しやっとこさ信じる事ができる様になりました‼︎
この3年間色々あったけど、そのおかげだと今は思えます‼︎
これからもブログ楽しみにしてます!
2016年05月08日(Sun) 22:24
Re: いつもこのブログに励まされてます!
編集
タカ様

コメント、どうも有難うございます。

学会3世には3世なりの大変さがあると思います。
信心をがんばろうというだけでもすごいことですよね。

>沢山の不信を抜け出しやっとこさ信じる事ができる様になりました‼︎

みんないろいろあります。不信や疑いは出さないようにと思っても縁に触れて出るものです。
しかしそれを打ち破るのも「心の信」に違いありません。

御本尊様と学会3代の師弟の道から離れなければ、必ず所願満足の人生になります。
苦難に会うたび、強い強い信力を「湿れる木から火を出す如く」に湧き立たせ、乗り越えていきましょう!

私も頑張ります。
「共に励まし、ともどもに征かなむ・・・」

晴れやかな未来が開きゆきますようお祈り申し上げます。


2016年05月09日(Mon) 10:21
仏法には無駄はない
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こんにちは。

昨日は信濃町へ行き、元気をもらって帰って来ました。
民音音楽博物館での私ひとりのための(この時はまだ来館者がいなかったため)、ピアノとバイウォリンの演奏。オルゴールを聴き、古典ピアノの演奏、素敵な時間でした。新聞社の見学も行き、大誓堂も外観だけですが、観てきました。他にも観てきました。
先生のお話をたくさん、聞いてきました。
先生がお題目を染み込ませたところですから、行けたことは、境涯が高くなっているのだと生命で感じました。
私もまだまだ色々ありますが、「信」はブレなくなったので、全部無駄はないと思いました。
大変なことをよい方向へと転換できているのだと、そして仏縁にも私はよい人達に恵まれています。
たくさんの人達との出逢いと対話により、本当に救われてることばかりです。
ここまで思うようになれるには、簡単ではなかったです(笑)

行きのお土産より、帰りのお土産が重い状態になりました(笑)
地区でのお土産だけでなく、お話もたくさんして、地区の皆さんと共に、7月に向けて頑張って行きます。
2016年05月09日(Mon) 11:00
Re: 仏法には無駄はない
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プリッツ様

信濃町まで行かれたのですね?
それは良かったですね。

>行きのお土産より、帰りのお土産が重い状態になりました(笑)
心にいっぱい「創価大道」「勇猛精進」の血流が流れたのでしょうか?

もちろん仏法には無駄はありません。
長くやればやるほどそう感じますね。
どうしてこういう目にあうのだろう?ということが後になって生きてくる・・・
私もそんなことを感じます。

御本尊を強く信じて、池田先生に心を合わせて、それで何があろうと粛々と前進するのみです。

更なるご活躍をお祈りいたします。
2016年05月09日(Mon) 16:42
信じる道
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こんにちは (^▽^)/

今回のブログは難しいので10回以上繰り返し読みました。

「分かる」を使っている私たちは、二通りの使い方をしているのですね。
①100%分かった
②自分なりに分かった
①などで使うことはほとんどありませんね(笑)
私たちが日常使っているのは②の方ですね。

「頭のまわる方が・・・・・」、私は頭のまわる人間ではありません(笑)
猜疑心の強い人間だと思います(笑)
頭のまわらない、猜疑心の強い私は、池田先生のことを人から聞いたりして等ばかりでは本当のことが分からないと思い、大決心して創価大学・通信教育に入学しました。

卒業をするときには②の方ですが、私なりに牧口・戸田・池田先生の立派さが分かりました。
特に、牧口先生の「価値論」には心を揺さぶられました。
牧口先生の肉体を抹殺しても、牧口先生の心まで抹殺できなかったのだ。
だから、創価大学があるのだ!!これが証拠なのだ!!
現在、世界中から創価大学に学びに来られています。
「価値」とは「永久」のものだと思いました。

ーーーー ブログに書ききれない、いろいろなことを学びました ----

今の私は、池田先生を心から尊敬しています。
誰が何言おうが、心が揺れることはありません。
猜疑心って、私にとって信!!に繋がる良い結果でした(笑)

人生に永久はありません。
いつか王者の剣さんのブログも終わりになる日は来ると思います。
でも、王者の剣さんが私たちを思ってブログからいろいろと呼びかけて、
私たちの心に信心の苗を植えてくださっていることは、人から人に伝わって永久に滔滔と流れて行くでしょう。

王者の剣さんに感謝して、終わりにします。

2016年05月09日(Mon) 21:45
Re: 信じる道
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nekoさんへ

こんにちは。

記事を10回以上読まれたということで、汗が出ます。((^_^;)
粗が見えますのでほどほどで・・・

信じることにはわかって信じること、わからないけれど信じること・・・いろいろあります。
宝くじを買う人は当たるかどうかわからないけど、信じて買っています。
絶対当たらないと思えば買えませんね。

信心もわからない道を信じてやることになります。

私は2世でも3世でもなく1世です。
折伏を受けて、「この信心に賭けてみよう」と思い入会しました。
何もわからないけど信をもって入ってきました。

確信もなく理屈も知らずに信じたのですから、ある意味、盲信であり、
天から降りてきた糸に夢中でしがみついたようなものです。
それが妙法だったので救われました。邪宗の糸なら地獄に落とされていたことでしょう。

私は「賭ける」という言葉が好きです。(博打はしませんが・・・)
その言葉には「勇気」と「信」が感じられます。
「命を賭ける」「人生を賭ける」・・・怒涛の海原に幸福を求めて、船を出すように
人生はロマンがある方が面白いものです。

今は、みんな安全なレールの上を計算高く生きすぎますね。
だからどことなくせせこましい世の中です。

不信があって信が生まれます。「煩悩即菩提」、「無明即法性」だからです。
不信が出ても強情な信心で乗り越えていくたび、我が身が信で固められていきます。

そして固めきってしまえば「仏」です。
その意味で「信」がどれほど大切か・・・一生成仏も「信心の厚薄」で決まると仰せです。

共々にその高みを目指してまいりましょう!
nekoさんは竜女で、私は修利槃特で行くとしましょうか?(笑)

ブログの記事ですがいつも「これでもう最後」と思って投稿しています。
そのわりにまだやめないでいるのが自分でも不思議なんですが。(笑)






2016年05月10日(Tue) 12:46
王者の剣さんは
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信があったのに

また難にあって
不信になった事ありますか⁉︎
2016年05月10日(Tue) 18:50
Re: 王者の剣さんは
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たかさんへ

こんばんは。

不信というのは御本尊様に対してですね?

ありますよ。(笑)

御本尊様というのは自分です。その自分が信じられない・・・

信は「仏」不信は「魔」ですね。
そして信心は「仏」と「魔」の戦い、せめぎ合いです。

難しいですが、紙の表裏のように仏と魔は常に一体なのです。
仏には必ず魔がついてきます。
それは太陽に雲がかかるようなものです。

その意味で不信や魔が出るのが本当です。
ですから魔が競うのは御書にもある通りですので、避けることはできません。
出た時にどうするか・・・それが大事になりますね。

その不信と戦うこちらの武器は「心」と題目です。
信を奮い起こし、自分を信じて励ましてやっていけば大丈夫です。
雨や嵐の後には必ず爽やかな青空が広がります。

「不信」と「信」・・・その繰り返しで心が強くなっていくというのが私の体験です。
2016年05月10日(Tue) 22:17
とてもわかりやすく
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とてもわかりやすく
本当にありがとうございます‼︎
王者の剣さんもあったんですね!
雲がかかるよう!なるほど!と思いました!
でも、それでいんですね^o^
気が楽になったのと、また前進前進がんばるぞ!と思いました^o^
2016年05月12日(Thu) 21:42
Re: とてもわかりやすく
編集
たかさんへ

ありがとうございます。
わかりやすく感じてもらえてこちらもうれしいですよ。

信心の話は一見、難しいように思いますが、結局、「心」と「志」で
すべて決まっていくと私は思います。

元が清らかであれば流れは清らかです。
元が濁っていればどうやっても臭いものです。

苦難や不信があっても、どこまでも清らかで愚直な「信」を
御本尊様にに入れ奉って、幸福になろうではありませんか?
赤子がお母さんに抱きついていくように、御本尊を求め抜いて
行けば、誰しも幸福になれます。

その心さえ失わなければ大丈夫です。
「信」の心を強く持って共に前進して行きましょう!



2016年05月13日(Fri) 04:58












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