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善きことはカタツムリの速度で




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 日中の暑さは大変なものですが、私の住む田舎では朝晩、少しずつですが涼しさを感じるようにもなりました。一日の変化は大きくなくても、季節は夏の盛りからゆっくりと秋に向かっています。

 「善きことはカタツムリの速度で動く」とはガンジーの言葉だそうですが、信心もやはりその通りかもしれません。私も30年ほど、あまりいいことがない中を辛抱してやってきたのですが、ここ1、2年で大きな変化が現われ、生命に信念とも言うべき何ものかが成就したことを実感しています。

 無冠の友としての聖教配達、拠点会場、王城会、そして日々の勤行唱題、学会活動と、10年20年の陰徳はやはり生命に刻まれ、陽報となってあらわれるものです。地道な精進行に冥益はある・・・これが本当だと思います。

 「祈ってすぐに叶うのは手品の信仰だ。「明日、宝くじに当たりたい」「明日のテストで百点を取りたい」と祈って、簡単にそうなるものではない。しかし、もっと深く、長い目で見た場合に祈った分だけ、全部、幸福の方向に行っているのです。(池田先生・「青春対話」より)

 むしろ簡単に祈りが叶う方が自分を堕落させるとも言えます。思うように行かない中を「これでもか」との思いで、粘り強く信心に励んで行く・・・その試練がいつしか自分の心を金剛の魂へと磨きあげてくれるのだと思います。

 先日、娘と二人、STBモバイルでベートーベン「苦悩を突き抜けて歓喜に至れ」を鑑賞しました。音楽家にとって耳が聞こえないという致命的なハンデの中、また病や経済苦の中で自殺まで考えた境遇から、自分の使命、人生の闘争に目覚め、交響曲第九番「歓喜の歌」などの傑作を生み出しました。自殺して自分をあきらめるか、「死んだ気で戦って見せる」と立ち上がるか・・・その一念の差が人生を大きく分けたのです。「苦悩を突き抜けて歓喜に至れ」・・・これこそ仏法の真髄に通じる人間勝利の言葉です。

 ベートーベンがもし貴族階級にもてはやされ、金銭的にも恵まれた境遇のままであったなら、これほど人の心を打つ作品は作れなかったかもしれません。その意味で、自分が潰されるかもしれない、すべてを奪われるかもしれない・・・そういう逆境、試練こそ、秘められた本当の自分、人としての底力、真価を現わす最高の時であり、条件であることを教えられます。

 「阿頼耶識」と言われる生命の蔵に我らはどのような悪業、宿業を持って生まれたかはわかりません。しかしその絶望的とも言える宿命の奥に「仏」と言う「九識心王真如の都」があることを日蓮大聖人様は教えてくださいました。

 その生命が湧現するところ、どんな悪業も宿命転換が可能となる・・・智慧のない凡夫にも「信」の一字でこの「仏界」を湧現できるのです。この法理を知れば、智慧のない私など喜び勇んで仏を信じ、高らかに題目を唱えたくなります。

「南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤(もっと)も大切なり、信心の厚薄によるべきなり仏法の根本は信を以て源とす」(日女御前御返事、1244P)

 この御文を深く心にとどめながら、今日もたゆむことなく精進していきたいと思います。







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