2017
03.01

幸福のデパート

Category: 信心



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 先日、「信心していても苦しいです」という婦人部員さんと話をしました。その方はまじめな方で100万遍の題目にも挑戦されています。でも思うように晴れない・・・そんな悩みでした。

 それで私はその方に「御本尊様の中にはあなたのほしいものが全部ありますよ。お金も健康も一家和楽も、なんでもあるんですよ。まさに幸福のデパートです。どんな不幸をもっていっても、幸福へと転じてくださる「幸福製造機」とも言われます。だから御本尊様の前に座ったら、「ああ、ありがたい。これでもう私は大丈夫、助かった。」そういって喜んで安心して題目をあげるといいですよ。そして「これこれこんな悩みで苦しんでいます。どうかこの悩みを解決する智慧と力を出してください。よろしくお願いします。」そう拝めばいいのではありませんか?」と言いました。

 その方は「絶対の御本尊」を拝みながら、どこか疑いながら不安な心で拝んでおられたのです。それではせっかくの100万遍のお題目も苦行です。それで功徳が感じられなくて、また疑うということでは「不信の悪循環」というものではないでしょうか?

 どうせやるなら「祈りは叶うに決まっている。私の元気な題目が御本尊様に通じないわけがない。今日もよろしくお願いします。」とはつらつと勇んでやるほうが、仏様もきっと喜んでくださると思います。「白馬がパッパッと駆けていくように」お題目は確信をもって迷いなくあげたいものです。

 そういえば昔、先輩から「仏様の気持ちになって信心はやるもんだよ。」と言われたことがあります。「半信半疑の題目」をご供養するか、「信強き歓喜の題目」をご供養するか、聞かされる仏様の側に立てば、どちらが喜ばれるか簡単なことです。

 諸天善神は苦しんだり恨んだり、怒ったり・・そういう命には寄り付かないし、守護はしないものです。諸天善神は楽しくってうれしくって、歓喜と感謝の命に集まってくるのです。私はそう思います。

 「広宣流布のお手伝いをさせていただける、うれしいなあ!」「宿命転換させていただける、ありがたいなあ!」「その上、一生成仏もや約束してくださる、もうめっちゃ感激です。」と、どんなことも歓喜と感謝に変えて、御本尊を拝していく・・・その心に諸天も感応して信者のために一生懸命働くに違いありません。そうなるとまたうれしくって、歓喜の信心に一層、拍車がかかります。今度は「信の好循環」です。


 とはいえ・・・・たったそれだけのことに気が付くのに、私も10年20年かかりました。(笑)だから人のことは笑えない・・・病多き、疑い深い末法の衆生です。知恵も福運も枯れ尽きた愚かで寒い衆生です。それをすべて直してくださるのですから、「こりゃありがたい。ぜひ、あの人にもこの人にも教えてさしあげたい」となるではありませんか?

 そんなわけで、会う人ごとに自然と仏法対話になります。信心している歓喜をもっともっと爆発させて、仏法の素晴らしさを語っていこうと決意しています。




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コメント
こんばんは。

読みながら、うん。うんと…婦人部員さんの気持ち、分かります。
私も100万遍を目標に唱えていた頃は、苦しくて何度も御本尊様にありのままの思いをぶつけていました。
折れそうな心になりながらも諦めないとの思いだけを支えに、今は1550万遍までいきました。

先日職場の人を折伏しましたが、悩みも話してくれて、1遍のお題目を唱えてくれました。PR版も、読んだよ。良かったよと感想を言ってくれました。

お題目の積み重ねなんだと思いました。弱さから、強さに変わりひとつ、ひとつ壁を破ってきたのですね。

今日の夜は唱題会がありましたが、御書をひかれながらお話がありました。
『法華経題目抄』でした。
「お題目を唱えられることが福運なのですよ。
お題目を唱えると、乗り越えようと力が出るし功徳もでます。
人に語ろうと仏法対話をしていくことも出来るのです」でした。

御書は毎朝、拝読しています。
最蓮房御返事までいきました。
拝読していくと、不思議に今自分におかれている状況の中で、教えてもらっています。
はっとさせられることもあります(笑)

部員さんが、新聞購読に挑戦してくれたり、会合にもよく参加してくれるようになりました。
新聞購読は、今までは「いない」と言われてたのです。

今月下旬は、地区の人と一緒に新聞のお願いと仏法対話に行ってきます。

自分の悩みもありますが、お題目を唱えて、地区の同志と一緒に活動出来ることは、福運なのだと思います。
地区の同志に支えられて、感謝しています。






プリッツdot 2017.03.01 22:01 | 編集
プリッツ様

いつもありがとうございます。
折れそうになる気持ちを自分で励まして、やり続けることが素晴らしいですね。
1550万遍とはすごいですね。

精進行ですので、戦いは最後まで終わりはありませんが、その途中で必ず思いもかけない
境涯が開いていくものだと思います。

私も根底の生命に変毒為薬、宿命転換を感じています。煩悩即菩提と言えるかもしれません。
さほどの行を積んだわけではありませんが、御本尊の功徳の素晴らしさを感じる毎日です。

長い間、上り坂のように喘ぎながらやってきましたが、ようやく一山超えたのだと思います。
これからは歓喜と感謝の信心で、化他行にまい進したいと思います。

プリッツさんもきっとその精進が報われる時が来ると信じます。
さらに一歩壁を破る思いで、ともどもに前進していきましょう!


王者の剣dot 2017.03.02 15:05 | 編集
王者の剣さん、お久しぶりです。

題目といえば、女子部時代は2000万遍あげきり、主人を本尊流布したときは10時間唱題を7回しました。

婦人部になってからも題目はかかさずあげているのですが、
惰性でご本尊にむかっているときは、あげてもあげてもなかなか開きません。

辻先生が指導会で
「信心は歓喜と確信です」
「嫌々あげる10時間唱題より歓喜であげる1時間唱題のほうがよっぽど功徳がある」
と仰られていました。

私はその指導をきいて以降、自分の御本尊へ向かう姿勢を反省し
勤行唱題するときは、「自分自身が南無妙法蓮華経の当体なんだ、自分自身が御本尊なんだ、ありがたい、嬉しい!」と歓喜の心で御本尊へむかうようになりました。

今、折伏戦の真っ最中ですが、自分自身が歓喜していると、その歓喜の生命に吸い寄せられて信心を求めている人が自ら求めて、自然に集まってくるから不思議です。

近所の人たちが3名、我が家に遊びにくる機会があったのですが、
うちの仏壇を見て、3人ともいきなり正座をして御本尊に手をあわせたのです。(我が家が創価学会だということは知っています)

私はチャンスと思い、「これから妙の字をみて南無妙法蓮華経と唱えます。願い事があれば心で念じてください」といって題目三唱しました。

3人は声は出しませんでしたが、そのまま合掌していました。

いきなり入会とはいきませんが、ご近所に仏縁を拡大できてよかったです。

やはり「歓喜の題目」が大事なのですね。
素晴らしい記事、ありがとうございました。


ランdot 2017.03.04 12:15 | 編集
ランさんへ

ほんと、お久しぶりですね。
お元気でしたか?どうされているかと思っていました。

その節はよくコメントいただきありがとうございました。
私もあれから少し成長いたしまして(笑)今は歓喜の信心となりました。

勤行唱題は義務や強制でするものではないですね。
大聖人様も「拝んでほしい」などとはいっておられません。
義務的、惰性の信心ほど怖いものはない。歓喜や感謝が薄れ、やがて信心がよどんでいきます。

100万遍の題目とか10時間唱題とか、私も苦手です。
あげたくなくてもあげないと10時間はできません。それでは半分以上、苦行になるのではないでしょうか?

信心に歓喜の出ない人は、たいてい義務感でやっている人ですね。
受動の人か?能動の人か? そこに信心の厚薄も、功徳の大小もあると思います。

ランさんもお住いの地域で、思う存分、歓喜の信心で躍動し、使命を果たしていってください。

久しぶりにコメントをいただきうれしく思いました。
これからもともどもに、前進していきましょう!

はばたけランさん!(笑)
王者の剣dot 2017.03.04 14:42 | 編集
王者の剣さん、激励ありがとうございます。
そして壮年部結成記念日、おめでとうございます。

記事のご婦人のように、100万遍お題目をあげても落ち込んでいる話をたまに小耳にはさみます。

それで先輩に指導を受け、スッキリ題目をあげると数週間もたたないうちに悩みが解決した・・・・とか。一念なんですよね。

信心は「自分の一念」で、同じことをしていても結果は180度変わると思います。

結婚前、主人を折伏しているとき、最初は正直、成果をだすことばかり考えていました。でも10時間唱題を何回しても、主人はまったく「入会する」とはいわない。

「こんなに題目をあげているのに何故?」と首をかしげました。

そんなとき、池田先生の「折伏は相手の仏界を最大に礼賛する行為」というご指導を目にしました。

(そうか、私の一念が悪かったんだ。折伏をしていてもどこか【相手を救ってあげる】といった上から目線の傲慢な自分がいた。そうじゃない、折伏は相手を最大に尊敬することが大事なんだ)

と思い、自分の傲慢な生命を見つめなおし、「この人は凄い人だ。凄い人材になるに違いない!」と信じて強く祈りました。

自分の一念が変わると不思議にも次の朝、主人が自ら「御本尊を受けるよ」と言ってきました。

この経験から学んだことは、題目をあげても自分の一念が変わらなければ開けないことと、折伏は相手を心から尊敬し感謝しながらさせていただくことが大事だということでした。

久々に登場した上に、長々と私事を書き連ねてしまい失礼しました(ーー゛)

悩みをご相談された婦人部員さん、王者の剣さん温かい励ましに勇気づけられたと思います。きっと開けると思います。

生命は一瞬で変わりますから・・・・(*^^)


ランdot 2017.03.05 12:25 | 編集
>諸天善神は苦しんだり恨んだり、怒ったり・・そういう命には寄り付かないし、守護はしないものです。諸天善神は楽しくってうれしくって、歓喜と感謝の命に集まってくるのです。私はそう思います。

いつもコッソリお邪魔して、励まされています。
今回、初コメントです。
感謝したくても、そういう心になれないから苦しんでいる…。
そんな命の私でも見捨てず、誰かの身を借りて、救おうと何度も何度も現れてくれます。
見捨てはしません。
本当にありがたいです。
tdot 2017.03.05 19:45 | 編集
ランさんへ

素晴らしい体験ですね。

>「折伏は相手の仏界を最大に礼賛する行為」・・・本当に折伏業は大変ですね。
相手を最大に尊敬してやっているかと言われると???無慈悲な自分に代わるのが勇気だともあります。
人を尊敬して愛せるようになることが、境涯革命、人間革命の証なのかもしれません。

信心=成果だと思ってやっている人も多いですね。成果が悪いということではなく、数字だけで信心を測ることが
悪いのではないでしょうか?信心は「心」第一ですからね。
数字で測れば1000万のご供養をした人が立派になりますが、仏法は1000円でも真心で供養する人が立派ですよね。
表面の数字で見るから、無理に数字合わせの成果を考えてしまう・・・これは悪しき慣習です。

心は一瞬に変われます。「巧みなる画師のごとし」ですね。自分の一日をどういう心で生きていくか?
人にどう言われようと、御本尊様と池田先生に嘘のない生き方をしていきたいですね。
王者の剣dot 2017.03.05 21:34 | 編集
t様

コメントをありがとうございます。

また読んでくださっているということでありがたく思います。

「御本尊様は私には幸福を下さらないのではないか?」・・・私もそんな心境で長く信心していました。
それが長い試練だったのですが、諦めやすい私でしたが、御本尊様は粘り強く化導してくださいました。

以前は「不信」と「不安」が渦巻く命でしたが、今は「歓喜」と「安心」が表に出ます。
やはり辛抱も大事ですね。

いろいろとあるでしょうけど、すべては自分を強くしていくためと心得て、いきたいですね。

どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

王者の剣dot 2017.03.05 21:55 | 編集
暖かくなってきましたね。
今日15年ぶりに友人と会いました。
去年の法戦で勇気を出してコンタクトを取り
このご縁を大切にしようと思っています。
聖教新聞のPR版を渡すことも出来 又
これからも時には会いましょうと約束しました。
宗教の話は必要じゃない とは言っていましたが
思いがけずその人が悩みを打ち明けてくれたので
これから勇気をもって少しずつ
信心の話をして行こうと決意しました。
私にとって尊敬している方なので
これから祈っていきます。
小さな一歩でしたが
帰りは 春の陽気と同じ心がポカポカして
等身大で前を向いて少しずつ頑張ろうと
決意した次第です。
王者の剣さん
いつも 勇気をありがとうごさいます。
花水木dot 2017.03.05 23:18 | 編集
花水木さん

よかったですね。
仏法対話は、時にかみ合わないことも多いものです。
相手にも思いや考えがありますので、それはそれはいつも難事となります。

美味しいものを食べに行こうという話とは違い、生命の肝心の問題となりますので
一筋縄ではありません。

それでも相手の命を揺さぶり、仏性を呼び覚ます戦いに挑んでいくしかありません。

今回も仏の使いをされたのですから立派だと思います。
その勇気に花水木さんの仏界が歓喜し、現れ出ていくのだと思います。
これからも粘り強く対話していきましょう。
どこであれ、誰であれ、正々堂々と仏法を語りゆくことが大事だと思います。

寒さも少し和らいだ様子ですが、体調はいかがですか?
寒さのきついのがまた来るかもしれませんが、季節はいよいよ春まじかですね。

天に向かって大いに成長する時が来ました。
温かい風を心に吹かせて、元気に前進していきましょう!

王者の剣dot 2017.03.06 15:04 | 編集
王者の剣さん

「数字だけで信心を測るのが悪い」
本当にそうですね。
常に「何のためにするのか」原点にたちかえっていかないと
本末転倒になると思います。

「慈悲に代わるものは勇気」
先生が本幹でご指導されていました。。
本当に折伏は勇気がいります。
生命力がなければとてもできません。

私の組織はのんびりしていて、奥ゆかしい?方が多く、担当幹部の方が例えば「3・16までになんとしても折伏の結果をだしていきましょう!」というと皆さん、下をむいてしまうんです。

性格的に内向的で折伏とか外に打って出る戦いが苦手な方が多い(私もそうです) 今度、小グループで「なんのために折伏するのか」みんなでディスカッションしようと思います。

確かに結果をだしていくことも大切だと思いますが、それのみにとらわれたら苦しいし「喜んで」できませんよね。

折伏の苦手な方、大人しい性格で会合にいっても肩身の狭い思いをしている方が、一歩でも前に進めたら褒めたたえる、光を当てる。そんな組織が増えたら学会はもっともっと発展すると思うのです。



ランdot 2017.03.07 18:34 | 編集
ランさんへ

そうですね。確かに日本人は「自信なげ、頼りなげ」で内向的な人が多いかもしれませんね。
念仏文化なのか、島国根性なのかわかりませんが、法華経に来るともどかしい性分だと言えます。

私の地域も「さあ、やろう!」と声掛けしても、うつむいて小さくなられる方が多いですよ。
私もそんな人間かもですが、折伏をやってみると、功徳が出るものですから、今ではすっかり、
臆せず仏法対話をするようになりました。

題目を唱え、折伏することが楽しくてしょうがない・・・まずはこうなりたいものですね。
そのためにはやはり「勇気」ですね。

>折伏の苦手な方、大人しい性格で会合にいっても肩身の狭い思いをしている方が、一歩でも前に進めたら褒めたたえる、光を当てる。そんな組織が増えたら学会はもっともっと発展すると思うのです。

自分が率先して戦う・・・そして少しでも弘教に精を出す人がおられれば、大いにたたえてほめて激励する・・・
そういうことの積み重ねが地区の大きな原動力になると感じています。楽しんで、喜んで、みんなが信心していくにはどうすればいいか・・・そういうことを考える人が立派だと思います。
愚痴や批判のあるところ、怨嫉と不信が寄り付いてきます。それでは広宣流布の後退です。

ランさんもリーダーの自覚で、一人でもこの信心の喜びに目覚めていかれるように、引っ張っていってあげてください。

王者の剣dot 2017.03.08 13:51 | 編集
はじめまして、こんばんは(*゚▽゚*)

私は15歳の夏5時間唱題をしているときに、虚空会の儀式を体験しました。

燦然と輝く太陽と玲瓏たる月を融合したような生命の光。

無数の人たちが同じでありながら個性豊かな光を放っていました。

いじめとうつ病に苦しんでいた小学生時代の心の闇が一気に晴れました。

題目をどれだけあげたかはそれほど重要ではないと私は思います。

扉を開く鍵は「信」以外にないのですから。

それを体験して暫くは、何をしていても愉快でしかたなかったです。

怒られても笑われても生命の底から喜びが溢れているのです。

私は今、聖書を勉強しています。

これからの時代は他の宗教を排斥するのではなく、お互いが切磋琢磨して学び合っていく時代になると思っているからです。
ぷりんdot 2017.03.12 22:01 | 編集
プリンさんへ

こんばんは。
コメント2通読ませていただきました。

いろんな貴重な体験をされているのですね。
また自身の宿業を見つめられ、様々に思索されているように思います。

悩みこそその人の境涯を深め高めていく素となるものです。
悩みなき人に境涯革命などあろうはずがありません。

私もあまりにひどい自分の宿命にいったんは悲哀と絶望を感じたものですが、「この信心しかない」との思いで
過去の謗法の重罪をお詫びし、前を向いて宿命転換の戦いに挑戦してきました。
そして今、御本尊様に歓喜と感謝の心で生きていける自分となりました。

一人一人、宿業も環境も異なります。プリンさんのことをあれこれと言うことはできませんが、どうか前を向いて
一歩ずつ前進していきたいですね。」

>扉を開く鍵は「信」以外にないのですから。

本当にその通りだと思います。
永遠に崩れぬことのない、幸福境涯の確立を目指して、御書と学会指導に学びながら、尊い日々を生き抜いていきましょう!





王者の剣dot 2017.03.12 23:20 | 編集
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