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2017
11.04

自転と公転

Category: 信心

 ここ10年以上、私は聖教配達をさせて頂いたお陰で、朝は5時過ぎに起きることが習慣となっている。代配がいないこともあり、新聞休刊日以外、休みはない。その代わり日曜だけは7時代の配達でお許しを願っている。最近は朝晩、寒くもなってきたので、朝一番、布団から出るのが億劫になってきた。

 目覚まし時計を恨めしげに止めて、しばらく布団に潜ったままでいると、やがて大宇宙から声が届く。「さあ、今日も広宣流布のために戦おう!」この声に自分の命もやがて呼応する。「よし、広宣流布だ!」そう言い聞かせ布団から這い出す。そして目を覚ますためにお茶を一杯入れて、車のカップホルダーに載せたらいざ出発である。

 最近になって広宣流布という目的に、自分が生かされていると感じることが多くなった。自分の小さな一日、活動がどう広宣流布に繋がっていくのか・・・池田先生が切り開かれた世界広布の大潮流の中で、私が20数件の家に聖教新聞を配達し、勤行をし、仕事に出かける。仏法対話や友の激励に走り、学会活動に汗を流す。こうした行動が、広宣流布に、また「一生成仏」や「宿命転換」にどう作用するのか・・・凡夫にとってはわからないことと言っていい。

 しかしそれはちょうど、大海の一滴のようなものだと考えていいと思う。つまりその一滴が集まって大海となるのであり、大海といえど、その一滴がなければ成り立たない。一人ひとりが、今いる地域で広宣流布のために小さな活動を積み重ねる。その一人の行動は即法華経という大海の水に同化するところとなり、我が身また大海となり法華経となりゆく。そうであるなら、私達の地道な民衆運動が、法華経を法華経たらしめているのだと言える。

 以前、ある方から、「自分の欲望や功徳のために信心するうちは、まだ本当の信心ではないのではないか?」と、コメントを頂いた。しかし、私はこの信心においてはそれは違うと思う。確かに自分を空しくしたり、欲を持たずに広宣流布に生きればきれいに思うかもしれない。しかし、人間の生命はそうはできていないし、そんなことはできないものだ。

 私たちは食欲があるから元気を出せるのであり、物欲があるから、経済も活性する。夢があるから向上することもできれば、功徳が欲しいから仏道修行に勤しめる。それが人間の本来であり、自分なりの願望や欲望を捨てれば、かえって無気力になり、生きる希望もなくなるだろうと思う。私など功徳が欲しくてしょうがない方の衆生だ。

 欲を上手に使いながら、またコントロールしながら人は生きているのであり、自分を良くするために、また自分のために一生懸命生きようとするその働きは、地球でいえば自転の働きに例えられる。

 そして地球は自転だけではなく、同時に公転をしている。信心で言えばそれが広宣流布の運動と言える。自分のために一生懸命頑張りながら、広宣流布という大きな公転に則っていく・・・これが正しい宇宙の法則である。公転を仏に、自転を凡夫と見てもいいかもしれない。凡夫でありながら、同時に仏の生命である。

 信心が進むということはこの公転を意識した生命、つまり広宣流布に生きる仏の生命、生活になることだといえる。自分だけの幸福から友の幸福、世界の平和と言った、菩薩の生命へと変わっていく。それでも五欲もあれば、地獄も餓鬼界も捨てはしない。そして自転と公転のどちらも大事にしながら、それぞれが最高の使命に生き抜いていく・・・仏の生命、生活が貧相で、明けても暮れても喧嘩ばかりしているなどというのは、それは公転の働きに生命が合致していないからだ。

 私もようやく、広宣流布に生きる生命へと変革してきた。朝な夕な祈るのは地域の広宣流布であり、世界の広宣流布である。その上で自分のことも祈る。その祈りから広布の戦いに出発し、一日の活動を終えて、また夜の眠りにつくのである。

 太陽も地球も毎日、単調といえば単調な動きの繰り返しだ。しかし、その単調な動きの中に、波乱に富んだ多くの人の生き様がうごめいている。その人の生命は地球よりも太陽よりも大きく宇宙大であると説かれる。しかしそのことを誰も知らない、そのため争いがこの世から絶えることもない。

 私もまだまだそういう一人であり、それ故に我見に走らず、仏の教えに殉じ、創価の師弟の道で、一日も早く生命の真実を得たいと願う。あとから続く道を求める多くの人のために、雪山童子の如く悟りを得て、仏法の本義を正しく伝えゆく自分とならねばならない。







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コメント
こんにちは
毎日 配達 お疲れ様です
販売店並みですね

女子部の時の地区で 配達員さんがいない時代がありました
3B ブロックごとに 配達してましたよ
下町の ごく狭い 地区だったんですけど・・・


そのうち 聖教新聞オンラインが 主流になる時代も来るのでしょうか?
そうなると ますます 販売店主さん 配達員さんは 大変になってしまうでしょうね

ちょっと 話がそれてしまいました

煩悩即菩提 凡夫即極で いきますね!(^^)!
ちよdot 2017.11.05 12:09 | 編集
ちよさんへ

「無冠の友」に徹することで、自分も信心を学ぶことができていると思います。
広宣流布という公転に自身という自転のギアを噛ませていく以外に、境涯革命はないですね。

その自分の信心と心が御本尊様に通じるかどうか・・・誰しもそこで決まると思います。
人の評価とか、幹部さんがいいと言ったとかは、まったく関係ない。
私は原田会長に誉められてもうれしくはない・・・御本尊様に誉められることが本望です。
どこまでも御本尊様の心に適うかどうか・・・そこは厳しいものだと思います。
ですから自分もそこだけに的を定めて挑戦していきたいと思います。

新聞はある時期、オンラインが増えるとしても、紙の新聞はすたれないと思います。
最後はぬくもりのある方、手触りが感じられるものが、残るのではないでしょうか?

私も身体が続く限り、まずは20年を目指して配達していきたいと思っています。
王者の剣dot 2017.11.05 22:06 | 編集
毎日の配達お疲れ様。
こちらは扇風機がなければ寝れません。そちらは、寒くなっていると思います。
寒い中での配達、頭が下がります。
こちらのブログは信心の躍動を感じます。
信心頑張ろうとの気持ちになります。
更新を楽しみにしています。
うるとらまんdot 2017.11.10 00:51 | 編集
うるとらまんさんへ

コメントをありがとうございます。

扇風機ですか?なんとまあ・・・常夏ですね。
だからいつもそんなに熱いのですかね?

記事に信心の躍動が描かれていればいいのですが・・・
私は実践派ですし、学会で実践するほどに楽しく、自分が変わっていきます。
その味を知ったものですから、やめられない。
そのことを伝えたくてやっているようなものですね。

四の五の言わず、地元で活動をやるだけです。
やれば自分が変わり、功徳がわかり、闇が晴れていきます。

ポラリスさんも折伏を決め、学会で教学も頑張っておられますよ。
壮年が学会を牽引する時代が来ています。

おおいにやりましょう!
王者の剣dot 2017.11.10 14:01 | 編集
はじめまして、こんばんは。

私は代配をしています。
まだ1年ちょっとです。
1時間ほどかけて自転車で回るんですが、
とても大変に思うこともあれば、楽に感じることもあります。

昔からやってみたかった聖教新聞を皆さんの家に届けること。
今はそれがとても幸せで嬉しいです。
無冠の友の功徳は大きいですからね。

王者の剣さんも、配達がんばってください!!
代配ゆきdot 2017.11.13 18:01 | 編集
代配ゆき様

初コメントをありがとうございます。

私と同じ「無冠の友」ですね。
自転車で一時間ですか?なかなか大変な配達ですね。
私は車で45分ほどです。
代配に挑戦されたことが素晴らしいですね。

今朝は秋雨が強くて大変でしたが、そんな日は自転車はなおさら大変ですね。
どうか事故だけはないように、注意してください。
私もヒヤリとすることがたまにあって、油断が一番怖いです。

何事も続けていくことが大事だと思いやってきましたが、気がつくと10年超えました。
そして生命に功徳を頂いたと思います。

ゆきさんも、広布のために労苦を惜しまない生き方を、目指してください。
私もそうしたいと思っています。

いちばん大事な命を法華経に奉る故に、この汚れた身を仏の命に変えてもらうことができます。
その思いで信心に、活動に励んでいきましょう!

ゆきさんのご多幸をお祈り致します。


王者の剣dot 2017.11.14 14:44 | 編集
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