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2018
01.13

我ら、春を呼ぶ人

Category: 信心
 
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 年明けから一段と寒さが厳しくなってきた。私だけでなく、多くの方が暖かな春の陽射しを待ち焦がれながら、寒さの中を頑張っておられることと思う。

 思えば「冬は必ず春となる」のであるから、この寒さも辛抱できる。春がくるかどうかわからなければ、人はもっと寒さをつらく感じることだろう。生きる上で「希望」ほど人を励ますものはない。

 信心していても必ず自分は幸福になるという確信があれば、不幸な宿業の最中にあっても、不幸に負けないものだ。妙法を信じた人がかならず幸福になることを仏様はご存知だ。ところが凡夫はそのことが信じられず、いつしか疑い道に迷う・・・

 身を切る寒さの中を、活動に配達にと勤しむ時、実はすでに未来の幸福は約束されている。仏法は「本因妙」であり「因果倶時」である。私はストイックでもマゾヒストでもないけれど、苦しさの中に歓喜を見いだせるということは、生きていく上で何よりも心強く頼もしい。それも仏法を信じるがゆえだと言える。


 さて今月も間もなく座談会が始まる。「新春座談会」と銘打って、信心の歓喜あふれる会合としたい。毎月の座談会に、私はハガキで地区の皆さんへの案内状を作る。ハガキの表裏を使い、日時・会場、地域の写真、御書や先生の指導など、またその時々の打ち出しや連絡事項、イラストなどを書き込む。それを印刷し部員さんに手渡し、参加を呼び掛ける。

 今月の案内には一月の本幹での先生のメッセージを載せることにした。

 「地涌の誓願に生き抜く人生ほど、強く尊く朗らかな人間革命の劇はありません。何かにすがるのでもない。誰かを頼るのでもない。自分自身が妙法の当体として師匠と共に誓い祈り、動き戦って、一つ一つ大願を成就するのです。自ら誓って躍り出た使命の国土に、楽土を築くのです。(中略)そして距離も時間も超え、「誓願」によって、師弟は永遠に不二なのであります。」(メッセージは同中でも紹介され、また8日付の新聞に出ている。)

 仏法は一人ひとりが妙法の当体として、御本尊と境智冥合を目指す中に幸福を開いていくものだ。御本尊とは我ら凡夫の生命だと説かれる。そしてその悟りは師匠とともに広宣流布を目指す、不二の誓願の大地の上に花開いていく。その陣列につながる歓喜で、私も仏法を行じる事ができるのだから、私は幸せ者である。

 「この道を行こう!」と一度決めたなら、始中終捨てずして貫かなければ、仏法の真髄に到達することなどできないと思う。途中でやめたなら、一切が水泡に帰してしまうのみならず、退転が堕地獄の因となってしまう。池田先生を見限り、学会を捨て去った人たちは、きっといつか後悔してもしきれないだろうと、悲しく思うのは私だけではないだろう。

 最後まで師弟の道を違(たが)えることなく戦って、「あの人は立派だった、負けなかった」と、そう言われる信念の人として、この一生を駆け抜けていこう。世の中広しといえど、不幸の底に沈んだ私に手を差し伸べ、本当に救ってくれたのは創価学会だけだ。忠犬でさえ主人の恩を忘れず、その帰りを待ち続ける。いわんや人と生まれて、仏法を教えてくれた創価学会を捨てたなら、それは犬にも劣る不知恩の人になってしまう。

 我らの煩悩・業・苦など暗夜の星々のようなものだ。朝に明るい太陽が昇れば、星が幾千あろうとも、余すところなく瞬時に消すことが出来る。それが妙法の偉大な力だ。学会とともに信心を貫いてその時をご覧ぜよ・・・そう確信しながら、寒さを吹き飛ばし、春の太陽を呼びに行く人となって、今日も活動に打って出たい。

 



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