広布の大河に君ありて tori

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さくらはおもしろきもの・・・

 教学の方で最初に覚えた仏法用語の一つに「十界互具」という言葉があります。
「地獄、餓鬼、畜生。修羅、人、天・・・」と何度も繰り返し覚えました。十界にまた十界が備わっている・・・「うーん、一体それが何を意味しているのか?」などと不思議に思ったものです。

 でもその十界互具がすごいことだと知ったのは、ずっと後になってからのことでした。それは実に九界に仏界が具足していることを教えておられるわけですので、一切衆生が仏だという、仏法の根幹ともいえる大事な法義だったのです。

 信心することは、この十界互具があるゆえに仏の生命を体得できるのだとなっています。
それも釈迦の時代のように歴劫修行をするのではなく、信心さえ強ければ即座にわが生命に仏界を顕現していくことができると説かれています。

 地獄や餓鬼界に生命が落ちようが、「南無妙法蓮華経」とひたぶるに御本尊を信じて唱えれば、仏界をあらわすことができる。そして現実の悩みを乗り越えて行く・・私のような三毒や煩悩の強い者にはうってつけの信心です。
 頭のいい人でないと駄目、生命が清らかでないと駄目というのではとても私は救われない・・どんなに汚れていても、どんなに悩みが深くても、あなたは仏なのですよといってくださるのですから、この信心はそれだけですごいですね。

 世間を見渡しても私のことを讃嘆してくれたり、敬ってくれる人など、正直、一人もいません。(笑)
仏様だけです。私を見捨てないで仏ですよ、最高に尊貴ですよと言ってくださるのは・・・だから私は信じてついていけるのです。 

 仏と言うと、どこか悟り澄ました聖人のように思いますが、この凡夫の身がそのままで仏だというのですから、法華経はまさに難信難解です。仏様にも当然、餓鬼や畜生の九界が備わっていると説かれます。
 「実はこう見えてお父さんは仏なんだよ」と言っても家族ですら信じてはくれない・・・普段、息子には軽くあしらわれ、奥さんには見下げられ・・・現実はあまりにも厳しい(泣)

 私の周りの方も「自分が仏だなんて俄かには信じがたい・・・」という人もいます。それも無理からぬ話ですが、「あなたが仏です、そして地涌の菩薩です・・と日蓮大聖人がそう言われているのだから、そうでないといえば仏様を疑うことになる。ここだけは大信力を出して信じましょう!」ということにしています。

 いずれにしろ、この「十界互具」と言う法理は本当に素晴らしいと思います。これがあって私たちは初めて幸福になれると証明できるのですから・・・

 他の宗教にはこれは絶対にない・・・あなたこそキリストです、親神様です、大師様です・・・などということはなく、教祖はあくまで衆生から離れた特別な存在で、信者はどこまでも罪深きしもべなのです。

 さくらはをもしろき物木の中よりさきいづ・・と十字御書(1492ページ)で日蓮大聖人は仰せになられました。
 衆生を桜の木に、仏を美しい桜の花にたとえられていると思いますが、いつか春になれば、自分の仏界も咲き誇れる時が来るからと、この御文に何度も励まされ生きてきました。

 また「冬は必ず春となる・・」という有名な御金言があります。多くの学会員の方がこの言葉を抱きしめ、宿命を打破して勝利の人生を勝ち得てこられました。
「冬は必ず春となる・・」なんとシンプルで希望にあふれたお言葉でしょうか?仏様は本当に励ましの名手だと思います。
 
 縁あって学会の信心をした以上、この凡夫の身に仏界の生命を顕すことが本当の目的です。まさに目指すべきはわが身の仏界であり、「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也 」(富木入道殿御返事、955ページ)との御金言を心に掲げて歩みたいと思います。

 それにしても冬が長いなあ・・と内心思うのですが、それはまだまだ信心が足りていない証拠、今一度初心に返り、信心を強盛にして、必ずやこの人生で晴れやかな仏国土の空を仰ぎたいと強く願うものです。


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