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2018
04.13

題目の人となる

Category: 信心



                      


 ここ最近は唱題が快調で、精神面、健康面と充実した状態が続いています。生活のリズムもほぼ安定しており、朝は聖教配達、勤行唱題、仕事に行き、夜は学会活動、帰宅後に唱題・・・そんな中でも最近はよりお題目に精進できるようになりました。

 過日の北海道総会の中の池田先生のスピーチです。
一、信心の根本は「祈り」である。自身のこと、友のことを、具体的に祈っていくことである。「慈悲」の根本も祈りである。「指導」の根本も祈りである。「指揮」をとる根本も祈りである。その根本を忘れると、すべて御本尊から外れた“策”になってしまう。策は、結局、空転し、皆に迷惑をかけるだけである。

 祈り(唱題行)に挑戦しない人は、御本尊から外れた「策」の人となり、皆に迷惑をかけるだけと言われています。厳しい指導です。仏法は世法とは違う一面があります。世法は策を大事に考え、祈りで悩みを打開するということはありません。しかし、信心の世界は祈りが根本であり、悩みの打開を願うならば一番に御本尊に向かう・・・それが学会員のあるべき姿だと思います。

 御書にも「同じ仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる結句題目の行者となれり」(寂日房御書902P)とあります。「題目の人」とは「題目しかない」「題目だけでいい」との決定(けつじょう)した一念で、一心に唱題に励む人だと言えないでしょうか?その意味で私もやっと法華経の信者らしくなってきました。

  そうなると信心への取り組みもとてもシンプルです。何があろうとお題目だけでいいのですから、あれこれ難しいこともありません。妙法こそ師子吼であり、「いかなる病障りをなすべきや」・・・御本尊に祈りゆくのみです。その心に歓喜が湧き、題目にも拍車がかかります。智慧が足りない私にはピッタリのありがたい信仰です。なまじ頭のいい人が、不信を起こし、邪智をめぐらし、学会を批判するといういうのですから、仏法は恐ろしいものです。


 今日の聖教新聞の随筆の中で池田先生は、「大文豪ゲーテは、「悪意」や「悪口」、また「否定するしか能のないもの」を厳しく戒め、「破壊するときなら、どんなに誤った論拠でも通用するが、建設するときには決してそうはいかない。真でないものは建設しない」とのゲーテの言葉を紹介されています。(13日付聖教新聞「永遠なれ創価の大城」より)

 事あるごとに創価を批判するだけでは、「悪意」「悪口」「否定するしか能のないもの」であり、悪意の人の中には学会の破壊や分断を画策する人もいることでしょう。創価学会も一つの生命体と見れば、そこに善悪あるのは当たり前です。その悪だけをつついて批判する、ことさら破壊のためにあらゆる論拠を用い、結果、人々の不信と退転を煽(あお)る人・・・そういう人は魔の思いをなす人であります。

 学会員の信心は、自身の生命に御本尊と同じ宝塔を、事として打ち立てる「建設」の戦いです。その「建設」のために唱題行を根本に「人間革命」に挑戦していく・・・それこそが真の価値創造です。創価を批判し分断しようとする人の不信や嫉妬、憎悪の心に比べ、自他共の幸福建設に挑戦しゆく心は、なんと生気にあふれ清々しく明るいものであることか・・・「信の道」と「不信の道」・・・まさにそれは天地雲泥の相違となって、いずれ自身に返ってくるものだと思います。

 今は創価を批判する人であっても、どの人も仏の生命であることに変わりはありません。自分の信心で、また自分の生き方で一人でも縁する人に仏法理解の輪を広めたい・・・その心で私はやっていきたいと思います。

 さて、明日は「座談会」、日曜は「壮年大会」、「創価ファミリー大会」と多くの同志と共にまた力強く前進です。私も風を切るような唱題行で、一切を切り開く「題目の人」となって、広宣流布の新しい道を開拓していきたいと思います。



<4月14日に一部、加筆、訂正をしました>

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コメント
夜桜とお月様…綺麗ですね。

日曜日にブロック座談会を終えて、催しへ長女と長女の彼氏と一緒に行きました。
11日に10時間の支部唱題会があり、仕事を終えてから家で2時間拠点で2時間半と5時間半唱題しました。
(5・3折伏に向けて、18日と25日もあります)
ブロック座談会の成功、無事故、晴天を祈りもあり、催しは友人2人に断られたので、一念を込めた祈りをしました。
ブロック座談会前日は、副地区婦人部長さんと家庭訪問へとまわり、お誘いをしました。
座談会の終了後に、入られた幹部の方から「白ゆり長さんは、たくさん題目をあげたのでしょうね」と言われました。
自分の折伏もありますが、部員さんのこと、まだお会い出来てない部員さんもいるので、祈りも深くなります。
お題目の力は、行動した時にスムーズにいきます。

新・人間革命(今は14巻読んでます)で、先生が何があっても、前へ前へと進んでいくんだと激励している場面があり、私も何かあるとその言葉を思い出しています。

20日夜は本館中継です。楽しみです。
プリッツdot 2018.04.17 22:08 | 編集
訂正です。拠点で3時間半の5時間半の唱題となります。
プリッツdot 2018.04.17 23:22 | 編集
プリッツ様

写真のお月さんはブルームーンといって、一月に2度満月になる月です。
決して青い月ではありませんが。
今年の3月31日の夜、仕事帰りに街路沿いで写しました。

信心も頑張っておられますね。お題目がよく上がる人は、それとなくわかるもののように思います。

>お題目の力は、行動した時にスムーズにいきます。

本当にそうですね。日常の中で、本当に思いがけずうまくいくものです。私もそういう体験がたくさんあります。昨夜も導師役で唱題会に参加しましたが、夕方まで風邪気味でひどい鼻水が出ていたのが、唱題会に入る前にピタッとやみました。(笑)そしてそのまま、風邪の気も治まってしまったのです。不思議なものです。

前へ前へと進んでいく・・・お題目がエンジンです。唱えた分だけ開けていくのが実感できます。折伏の相手を出だしてください、と祈っていましたら、出てきますね。御本尊様の力用が出せるようになればもう大丈夫です。そのためにも「題目しかない」との一念でいくべきです。どんな悩みも乗り越えられないわけがありません。

私も5.3までに結果を出す決意です。折伏、任用試験と忙しいですが、張り切って充実した日々を送りたいと思います。プリッツさんもお体を大切に前進してください。
王者の剣dot 2018.04.18 11:47 | 編集
よく弘教したい人に巡り会わせて下さいと御本尊に祈っていけば必ずそういう人と巡り会えると言われますが私の場合は祈っても全くそんな結果が出た試しが有りません
確信の無い学会員dot 2018.04.24 06:59 | 編集
確信のない学会員さんへ

折伏は難事中の難事だと言われます。対話から入決までスムーズにいかないことは、今月同中の原田会長のユーモアあふれる指導にもありましたね。
入決は難しくても、対話する人はきっと周りにおられると思います。
親戚や仕事の関係、友人など顔を思い浮かべて、「必ず対話をします」と決意して祈っていけば、そのチャンスが来ると私は思います。「今度、銀行の人が営業に来たら対話をしますので、ここにもう一度連れてきてください」そう祈って、対話をすることもあります。時には学会宣言だけで終わることもありますし、手元の聖教新聞を差し上げることもあります。その昔はすごい勇気を振り絞って挑戦していましたが、今は堂々と話せるようになりました。

こちらから対話に出かけていくぐらいの行動力も大事だと思います。「折伏したい、仏法対話したい」との強い心で祈れば、相手はいくらでもいるはずです。私もこの人に言ってもダメだと決めつけないようにしています。

<確信のない学会員>ではつらいものがありますので、大いに信じて祈っていきたいものですね。
王者の剣dot 2018.04.24 12:38 | 編集
信心や学会に全く興味が無い人ならいくらでもいます
というかそういう人しかいません
要するに相手の反応はどうでも良い
話を聞いていなくてもとにかく無理矢理にでも強引にでも話だけすれば良いということが大事なのでしょうかね?
それで功徳が有るならばやってみる価値は有るかも知れないですね
とにかく嫌々ながらでも宿命転換のひとつの作業として割りきって弘教をするということが肝要なのかもとは思います
確信の無い学会員dot 2018.04.25 06:34 | 編集
確信のある学会員様

>信心や学会に全く興味が無い人ならいくらでもいます

そういう人でいいですよ。初めから学会に入りそうな人なんていませんし。私が入会した時も、私など入らないと思い、周りの学会員はだれも折伏してくれなかった。それがある友人だけが「今の君の生き方でいいのか?」と言ってくれて妙法を教えてくれたのです。それですぐに私は入会しました。そんなものですので当たって砕けろでおやりください。
聖教新聞の体験談や記事などを「僕はまだ確信がないんだけど、この記事はいいよ」とか、ありのままに語っていけばいいと思います。相手に悩みがあるなら、そこから話もできますしね。

>それで功徳が有るならばやってみる価値は有るかも知れないですね

その通りですよ。入会するしないが折伏ではなくて、語っていくことが「下種」と言って折伏です。その人はあなたによって種が心に植えられて、いつか必ず信心するようになると言われます。その種を植えたあなたの功徳は絶大で、仏の智慧をもっても量れないほどだそうです。非常識はダメですけど、勇気を出して、少し強引ぐらいに行かないと話ができませんのでやりましょう。折伏するのが楽しくなれば、あなたに確信がついて、どこからともなく光輝いてきますよ。そうなるのが楽しみですね。
王者の剣dot 2018.04.25 12:22 | 編集
こんばんわ
何となく立ち寄ったこのブログですがコメントして良かったです
毎日一時間の題目は欠かしていない私ですがその祈りを弘教の為の祈りにしていくべきだなと感じました
一時間唱題すること自体が目的になってしまっていたのかと思います
確信を得たい学会員dot 2018.04.25 21:19 | 編集
確信を得たい学会員さん

>毎日一時間の題目は欠かしていない私ですがその祈りを弘教の為の祈りにしていくべきだなと感じました

素晴らしいですね。(笑)
すぐに肝心なことに気がつかれるのはあなたの筋がいい証拠ですね。

拝む的は御本尊様ですが、祈りの的は決意、願望です。「こうなりたい、ああするぞ」という決意、願望に向かって祈っていくのがいいかと思います。すぐに叶わなくとも後になればそれで良かったと言えるものです。

そうでないと確信がいつまでもつかめません。題目をあげることが目的なら、それは叶っているではありませんか?「折伏をするぞ」と決めて「あの人に対話させてください」と祈れば叶うはずです。自分が決めたらそうなる御本尊です。自分が決めないと何も起こりませんし変わりません。

それができればあなたは素晴らしい人材になられると思います。ともどもに前進していきましょう。

王者の剣dot 2018.04.25 22:57 | 編集
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