FC2ブログ
2018
05.12

Tさんの生還

Category: 徒然の記

 Tさん(婦人部員)と初めて出会ったのは、私が東京にいた今から30数年前、私が27歳で創価学会に入会したころのことです。ある日、八王子であった学会の会合に、創価大学の学生の人たちが数名参加しており、その中にTさんがいました。彼らは創大のある同好会の仲間でしたが、その会合の中で、それぞれ自己紹介となり、Tさんが実は私の高校の後輩だとわかったのです。

 広い東京である日、出会った人が、地方の小さな田舎町の同窓で、しかも宗教のささやかな会合の場というのも奇遇であり、私はとても驚きました。彼女は明るく聡明で、その頃の私は病み上がりのような薄暗い顔をしていましたので、Tさんのことがひときわまぶしく見えたものです。

 その後、創価大学を卒業したTさんは故郷に帰り、数年後、私も父が亡くなったため故郷へと帰りました。Tさんと同じ地域ということもあり、彼女の自宅を訪ねていったこともあります。Tさんは女子部のリーダーとして、多くの部員さんからも慕われていました。私にとっても彼女の存在は、男女という意味でなく、何か特別な因縁を感じさせる人であったと思います。



IMG_8924q.jpg



 それから2.3年のうちに縁あって、Tさんは他県へと嫁いでいかれました。結婚されたので、私も今までのようなお付き合いは遠慮しましたが、彼女なら創価のリーダーとして、あちらでもりっぱに活躍されるだろうと信じていました。

 ところがある頃から、年賀状もこなくなり、電話をかけても出る気配もなく、実家のお母さんに尋ねましたが、口ごもって話をしてくださらないという状況になったのです。

 こちらも心配するだけでいたずらに月日が流れたのですが、そのTさんが先日、突然、私の事務所にやってこられました。それは20数年ぶりのあまりにも唐突といえる訪問でした。

 「やっと会いに来れましたあ!」そう元気に扉を開けて入ってきたTさん・・・その顔は明るく、私は60代、彼女も50代と年は重ねましたが、20数年の空白が瞬時に消えたかのように、昔と変わらないTさんがそこにいました。

 そこで初めて、これまでの事を聞かせてもらったのです。Tさんの体験ですので私が詳しく書くことはしませんが、3人の子供を産んで、その子たちが成長するにつれ、本人にも子供にもそれぞれある病が顕現し、一家で壮絶な戦いを10数年にわたり余儀なくされたのです。

 私は彼女が病と闘い宿命の坂を超えたこと、最後まで自分に負けなかったことを知りました。主人と子供を抱えての闘病生活は、一家にとってどんなに大変だったか・・・それでもこうして、明るい笑顔の人となってここに戻ってこられた。それはまさに「生還」という言葉がふさわしいと言えるものでした。

 彼女に出た宿命の意味を私がどうこう言うことはできませんが、Tさんが「一生成仏」するために越えねばならない魔の試練であったことは確かだと思います。そしてその試練を乗り越えることにより、今まで以上に芯の強い人になられたと感じました。

 彼女と初めて会った若き日のことを、私は今でも鮮明に覚えています。それから30年以上経ち、お互いそれぞれの道を歩きましたが、今、苦しみを乗り越えた彼女と出会ってみると、何も変わっていない・・・「彼女の生命はいつも仏なのだ」・・・ 私にはそう思えるのです。

 妙法を信じ、菩薩の心で愛する人々に題目を送る・・・それは肉眼には見えない世界です。しかし、命の奥深くで結ばれた人と人が、時空を超えた世界で交流する清らかな仏の世界でもあります。汚れた私の生命にもその世界があります。そうした深い仏縁、出会いは、いつの世にも妙法で結ばれた「眷属」となって、自分の人生に現れるものでしょう。

 「会いに来てくれてうれしかった。Tさんが元気になって良かった!」・・・その事を御本尊様に感謝申し上げながら、「一番苦しんだ人が一番幸福になる仏法なんだよ」・・・そう笑顔で彼女に語りかけている私です。




にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ

※先日もある方からお問い合わせいただきましたが、当ブログの記事の転載、他所での利用はすべてお断りしていますのでよろしくお願いいたします。
トラックバックURL
http://mugenkosen.blog.fc2.com/tb.php/268-fe04fce2
トラックバック
コメント
素敵な記事ありがとうございます。

私も統合失調症を抱えている身ですので、Tさんがどれほどご苦労されたかが身に染みてわかります。

閑話休題。

話は変わりますが、私は10代の後半。

人間関係で行き詰まり、引きこもっていました。

見かねた母が、私のことを心配してある婦人に相談したのです。

数日後、その婦人が僕の元へ家庭訪問して下さいました。

太陽のようにキラキラした目で、じっと私のことを見つめていました。

沈黙は数分続きました。

ふと、「残された時間には限りがあるのよ」と笑顔で仰って帰っていかれました。

その時は、その言葉の意味が理解出来ませんでした。

後日、母からその婦人が亡くなられたことを告げられました。

末期ガン患者だったのです。

余命幾ばくもない体で、最期の最後まで励ましに来てくれたのです。

私は感動で泣きました。

その皺のある柔和な顔はどんな女性より美しく輝いていました。

ふと、王者の剣さんの今回の記事を拝見して、20数年前の想い出が鮮やかに蘇りました。
星屑ビーナスdot 2018.05.12 14:28 | 編集
こんにちは。

ブログ2013年5月10日からスタートされて、5周年になるのですね。
おめでとうございます。
これからも、お元気に過ごされて下さい。そして励ましと勇気を…よろしくお願いします。

私もTさんのように自分が成長出来るよう、仏道修行に励んで参ります。

ありがとうございます。
プリッツdot 2018.05.12 15:37 | 編集
星屑ビーナス様

コメントをいつもありがとうございます。

どんな病も悪しき宿命も、本人にとっては壮絶なものだと思います。しかし、私も多くの人を見てきて、信心の強い人こそ大変な宿命を乗り越えて生きていかれている・・・これもまた真実だと思います。その最たる人が創価の三代の会長先生ですね。「病ある人仏になる」のですから、その人こそ生死を超えて仏となりゆく人だと思います。

Tさんも彼女だからこそ、そこまで強い宿命が出たともいえます。また癌で亡くなられたビーナスさんの知人の方もきっと仏の境涯で三世の旅路をゆかれていることでしょう。病や死が不幸ではない・・・生命を仏と知らないことが不幸なのだと、これを証明するのも妙法をたもった人の使命だと思います。

これからも多くの方の幸福を祈りながら行動していきたいと思います。
共に前進してまいりましょう!
王者の剣dot 2018.05.12 16:00 | 編集
プリッツさんへ

いつもありがとうございます。
そうですね。ちょうどブログを始めて丸5年ですね。どうせ一年ぐらいでやめると思って始めたのですが、我ながらよく続いています。(笑) そろそろ潮時と思いつつ、いつでもやめれる気楽さから書いてきたようなものです。5年ですので一つの節目でいいかなとも思いますが・・・もう十分書いてきましたので、あとは風の吹くままに任せたいと思います。

Tさんがその病を望んだかどうかは別として、結局、人を強くするのは強敵だということですね。悔しい年月だったと思いますが、決して無駄はないどころか、これから思っても見ない境涯がTさんに開くだろうと私は思っています。「一番苦しんだ人が一番幸せになる」それを身で読んだ人は素晴らしいですね。「一生成仏」の記別を受けたような人だと言えます。

ともどもに信心を励まして前進していきましょう!
王者の剣dot 2018.05.12 16:10 | 編集
八王子、創価大学の言葉に、30数年前のこと、ひょっとしたらTさんとお会いしていたかもと、学生時代を思い出しました。学生時代の先輩、後輩等の仲間のほとんどは創価学会職員、公明党議員、教員公務員になりました。私だけが寄り道をしています。私には寄り道が必要だったと、人生を振り返って、そう思います。寄り道していなければ、傲慢で人を見下す人間になっていたと思います。5月3日に一千万の題目をあげ切り、二千万に向かってスタートしました。わたしもTさんのように宿命の壁を乗り越えていくと決意しています。
うるとらまんdot 2018.05.14 15:15 | 編集
読んでいて心がほっこりしました
私も今地区の事で色々悩んでいます
幹部といっても生命は色々ですので
理解できないことも多くあります
しかし今こうやって同じ組織で広布の戦いをしている同志は 決して偶然ではない
過去からの宿縁があり 又自身の生命を映す鏡だと思います
先生からお預かりしている組織
今いるこの場所で お互い切磋琢磨していく
それ以外ありませんね
色々悩みながらも 地区の皆さんが幸せになるよう
そのために自分はどうしたら良いのか
お題目をあげて組織を守っていこうと思います
Tさんのように 自分に負けない信心をしていきます
いつもありがとうございます
チャコdot 2018.05.14 18:23 | 編集
うるとらまんさんへ

いいお話をありがとうございます。

学会では創価大学出身者を、少し特別なまなざしで見る風潮がありますが、まったく関係ないですね。人は地位や肩書をはぎ取ってどれだけの人かということです。死ぬときにもっていけるのは赤裸々な因果を持った命だけですよね。この人生でどんな因を積んだか・・・広宣流布のためにどれだけ骨身を削って戦ったか?その因だけが命に刻まれて冥途の衣装となるものと思います。

政治家や幹部になって自分が偉いと錯覚すれば、仏法ではなく世法ですね。世間では褒められても大聖人様からほめられるかは別です。うるとらまんさんだって、本当は肩書の立派な人になれるところを、わざと苦しむ人の中に入り、自身ももがきながら人を救っていく菩薩なんだと思います。それだけ立派なのだと自信をもって進んでください。

かくいう私も真言宗から仏になる道に入り、そういう人たちを救っていく使命がある・・・うるとらまんさんに引けをとらない私なりに茨の道ですよ。まだまだ使命が果たせないですが、妙法の勇者となって残りの人生、弘教に邁進したいと思います。

ちなみにTさんは50代前半ですので、うるとらまんさんよりは少し下になられるでしょうか?私など高校時代創価大学の存在すら知りませんでした。人の道はどこでどう出会うやら・・・不思議なものですね。

途中は人一倍波乱万丈の道でも、最後に勝利するのは信心しきった人だと言われます。そのことを確信して、お互い、珍道中を楽しんでやってまいりましょう!
王者の剣dot 2018.05.14 21:07 | 編集
チャコさんへ

いつもコメントをありがとうございます。

>今こうやって同じ組織で広布の戦いをしている同志は 決して偶然ではない
過去からの宿縁があり 又自身の生命を映す鏡だと思います

その通りですね。組織といっても嫌な人もいますし、いい人もいます。それは生命に地獄から仏界まであるようにありとあらゆる人がいるということだともいえます。そしてその人達は自分の前に現われては命を鏡のように映してくれます。その意味でどの人からも自分を教えられ、また学ぶこともできると思います。

また法華経はどの人も仏の生命であり使命があると説きます。どんな人をも生かしていくのが仏の境涯ですので、そんな大境涯を目指して精進したいですね。

>色々悩みながらも 地区の皆さんが幸せになるよう
そのために自分はどうしたら良いのか
お題目をあげて組織を守っていこうと思います

広宣流布のためにということがどこまで本当にできるか?それがいつも問われます。広宣流布という目的に生きる時、人は本当に桜梅桃李で輝いてくのだと思います。その大きな目的に私も生きていきたい。広宣流布に生きていく生き方が無上道だと、最近はそう思い励むようになりました。本当に素晴らしい世界です。

では共々に前進してまいりましょう!
王者の剣dot 2018.05.14 21:35 | 編集
聖教や大白、セミナーや会合などで読み聴く体験は、
世法では量りがたく、試練に立ち向かっている時には、
他者が第三者的な立ち位置で観る風景からは想像できない
本質というものが厳と存在しますね。
「事象」の奥底にある「真実」を見抜く眼を大聖人、
先生は具体的に教えて下さっているのですが・・・。

先日の支部総会。高齢者介護の現場で奮闘する方の講演。
詳細は書くことが出来ませんが、質疑の時間、
参加者から出た質問は、質問者の親戚の方(未入会)が、
これから置かれるであろう状況は、「不幸」なことである。
それを回避するにはどうすればというものでした。

私には、質問者が勝手にその状況を不幸であると決めつけて
いるようにしか思われません。
挙手をして発言の機会を頂き、世法的な価値観や尺度から推し
量って不幸だとしてしまうのは、本当にそうなんでしょうかと、
そういう意味の発言をさせて頂きました。
御書の一節一節、先生の指導の一言一言を心肝に染めて
さまざまな事象を見抜いて対処していくということは、
凡夫の私などには、すごく難しいことです。
だからこそ、日ごろの鍛錬・精進が欠かせないですね。
福島の壮年dot 2018.05.15 09:29 | 編集
福島の壮年様

お久しぶりです。お元気なご様子で何よりです。
また良いお話をいつもありがとうございます。

人の真価は世間の眼ではわからないことが多いですね。世間は眼に見えるもので判断することが多いですから、生命の中までは見ない・・・いわば「外道の眼」といっていいのかもしれません。

「人間革命」は三世に崩れない幸福を得るためですから、生命の根底までメスを入れることになると思います。それゆえ命がけの戦いになることも必然です。その代りその戦いを経た人は、今度は他者の生命や世の中の事象について、深く洞察できる眼を持つことができるのだと思います。

生命の根底こそが仏の生命と説かれますので、そこを開いた人は他者の生命にも仏の生命を見ることができる・・・それが不軽菩薩の世界でしょうか?そこに行くためには、自身の無明・不信を打ち破らなければならない、苦難を受けて魔王に信を試されるのだと言えます。

そうして体得する幸福というものは、世法にはないものですから、おのずと世法と仏法では、幸福観が違いますよね。仏の幸福とは絶対的幸福であり、世法の幸福とは相対的幸福です。そのため信心するものは相対的幸福に惑わされてはいけないと思います。

記事に書きましたTさんも、世間からは一時的に不幸の烙印を押されたこともあったと思います。しかし、病から逃げないで勝ち超えたことにより、本当に大事なものをたくさんつかまれた。そこにTさんだけが知りうる、幸福の世界があると思います。

自分と向き合い、自分を深く掘り下げ葛藤しゆく中で、より真実へと肉薄していく。それを業病が教えてくれた・・・憎んでも憎み切れない業病が、信心を根本とすることにより、最高の善知識となり、薬となった。その変毒為薬こそが彼女の「人間革命」だったと思います。

私もいよいよ命を磨いて仏となる道に精進したいと思います。それはより多くの人を救うための精進であると信じて・・・

壮年さんもお体を大切に、広宣流布のためにともに戦ってまいりましょう!

王者の剣dot 2018.05.15 22:45 | 編集
こんばんは。
今日、夕方に2000万遍達成しました。
平成25・2~平成30・5の長い年月でした。
更に最終日となるので、10時間唱題に挑戦しました。今回で3度目の達成となりました。
教学、実践をしての題目を1日3時間と決め、数だけにとらわれないように、何のためにと問うことが多かったですね。
10時間唱題をしようと決めた時に、対話をしていた28歳の青年から連絡が来て、会うことが出来ました。
ポストカードの裏に、先生の励ましの言葉を書いたのを渡しました。毎朝玄関に飾って見てますと後日連絡が来ました。写真の方かもしれませんが、それでも先生の言葉が入ったカードを飾ってくれていることは、嬉しいです。
昨日は、他に対話していた人から、どんでん返しのようなことがあり、少し悲しい気持ちにもなりましたが、様々なことで試されているのだと、今日からまた前に進むことが出来ました。
自分と先生の間に人を挟まないと決め『一人立つ』と気づきもあったことは、10時間唱題をして良かったと思っています。
明日は地区で5時間唱題がありますが、頑張っていきます。
プリッツdot 2018.05.19 19:48 | 編集
プリッツさんへ

コメントをありがとうございます。
2000万遍のお題目達成おめでとうございます。
こつこつと励まれる信心は立派ですね。私には真似ができません。
この人生のみならず三世の生死の基盤となっていくものとお慶びいたします。

私も対話に励んでいますが、素直に聞いてもらえないことも多いですね。
田舎ですので因習もありますし、世間体も強いと感じます。その中を語り続けるしかありません。
今日、対話した従兄の奥さんからも「見ていて充実した感じがするわ」と言われました。そう思われることも折伏です。明るさ、勢いで私は勝負しています。(笑)

大事なことは題目と対話を通じて、自分が変革していくことだと思います。
変わっていくことが功徳であり歓喜となって信心が楽しくなる・・・自分が持って生まれた胸中の悲しみを喜びに変えていく、それができるのが信心ですね。

どんな立場であれ、広宣流布に責任を持って生きる・・・職場でもどこでも責任感のある人が一番頼りになります。人はそれぞれ個性や住む地域に違いがありますが、自分のいる場所を輝かせることができることが一番です。それは広布への責任感から光ゆくものだと思います。

更なるステージへとともに前進していきましょう!
プリッツさんにますます福運が増しますようにお祈りいたします。
王者の剣dot 2018.05.20 02:03 | 編集
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top