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2018
11.02

浄土と云ひ穢(え)土と云うも・・・

Category: 信心

 人が生きていく上で必要なものはたくさんあるでしょうけど、楽しく生きていくために一番必要なものは、私は歓喜と感謝の心ではないかと思います。私自身、歓喜や感謝には縁遠く、むしろ苦しく不満の多い生命で長年、生きてきたわけですが、ここにきてようやくいろんなところで歓喜や感謝を感じるようになりました。

 そうなってみますとその心で生きていくことが、とてもいいことだということがわかります。心に歓喜と感謝があふれていれば、その人の心は清々しく、人からも愛されるに違いありません。それがまた諸天を喜ばせ、幸せを招き寄せることでしょう。仏法では四恩ということを説いていますが、親や家族を始め、まわりの人に感謝できるようになれたら、それだけで自分を幸福だと感じられるものです。逆に愚痴や批判、不平が心に多い人は、自ら苦を招く因を作っているのだと思います。




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 信心をして功徳を受けますと、生命が清らかになっていくことを感じます。功徳とは悪が滅し、善が生じることだと言われます。また「六根」が清浄になっていくとも説かれています。汚泥に染まったこの命が浄化され、清らかになっていくのですから、おのずとさわやかになります。悶々とした心が風呂上がりのようにさっぱりとしたりもします。そうなると見るもの聞くものが清らかで楽しく感じられる・・・地獄界か畜生界のように感じる私の国土世間も、「ここが宝土なんだ」と少しずつ思えてくるのです。


 自分の生命を仏と悟れば、自分の住む世界が仏国土となることでしょう。仏のいるところ、どこであれ仏国土ですから、仏様が地獄界に行かれたなら、そこはたちまちのうちに仏国土と変じます。餓鬼の生命の人にとっては、どこにいようとそこは餓鬼世界です。境涯が変わらないのに、よそへ移っても、根本的な解決にはならないというのはそういうことだと思います。

 「浄土と云ひ穢(え)土と云うも土に二の隔(へだて)なし只我等が心の善悪によると見えたり」(「一生成仏抄」384p)と、大聖人様が仰せの通り、人の幸不幸はまさに境涯、心の善悪によって決まるのですね。

 私は今では、学会活動が楽しくできるように変わってきました。以前は渋々嫌々やっていた時もあったのです。信心は体、生活は影ですので、信心の活動に不満があるならやはり生活にも不満が出ます。それが今では小さく地味な活動であっても、喜んでやれるようになりました。そうなると活動がそのまま御本尊様への報恩感謝の行動となり、ありがたさの方が勝ってきます。

 学会活動に不満をいう人に対しては「それってもったいない話や。学会は喜んでやればいくらでも功徳がもらえる「宝の山」なんや。おもしろくないというのはやらされてるからと違うか?」と、私は言うでしょう。学会が宝処・仏界に見える私の眼は、学会不信の人から見たらさぞかし「おかしなやつだ」と思えるのでしょうね。(笑)

 信心の功徳はお金には変えられませんが、変革した生命はいつでもどこへでも持っていけます。ですから金の亡者になるよりは信心に熱心な方がずっと得です。信心こそ無上の宝です。私も日々の唱題と学会活動で、歓喜と感謝の生命をさらに磨いて、我が生活、我が人生を一新したいと、そう決意して日々の戦いに挑戦しています。




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