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2018
12.21

一年間、ありがとうございました!

Category: 信心



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 「光陰矢の如し」・・・一年は早いもので今年も残すところあとわずかとなりました。皆様におかれましてはどのような一年だったでしょうか?時が早く過ぎ去るだけに、一日一日を、いや一瞬一瞬を大切に、仏を求めて生きぬいていきたいものです。「我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」(970p富木殿御返事)との御金言は年と共に、身に沁みるものとなっていきます。

 その意味で学会とともに、池田先生とともに生きる人生ほど、価値多き、実り多き生き方はないことを私は感じます。他者を批判するのではなく、自分を見つめその生命を信心で耕しながら格闘しゆく、その人こそ、「外道」ではない「内道」を生きる人であり、仏法の真髄を悟り、仏となる人に違いありません。

 私もここ数年は、外に花開くというよりは、生命の基底部を「仏界」で、また「師弟」で固めゆく数年であったと実感しています。凡夫ですので、確かに外に鮮やかな花を咲かせたいものです。しかし、仏様の化導は決してそうではありません。どこまでも生命の基底部に「仏」という根を張ることを教え、促されるものだと思います。それができれば、やがて花も実もなることは絶対の道理であるからです。

 根も土台もいい加減なうちに、なまじ花が咲いたところで、そんなものは長続きはしないでしょう。かえってその姿に溺れて怠惰な心を起こし、信心を失うことだってあるでしょう。ですから少ししんどいぐらいのところを行くのがちょうどいいのです。

 海上に嵐が起こっていようと、深い海底は穏やかなように、山頂が吹雪いていても、山は不動で安泰であるように・・・信心強き人の生命は、様々な苦難を悠然と見つめ、乗り越えていく、「大海」「大山」のごとき生命となるのです。

 学会員は毎日、毎日、同じことの繰り返しを重ねながら、日々、仏界という漆(うるし)を倦(う)まず弛(たゆ)まず塗り重ねているようなものです。世間の華やかさも、富や名声を求める生き方とも無縁な、あまりに地味な日々の連続です。勤行、唱題を基本に、真面目に生活と向き合い、夜は協議会や唱題会、友の激励や折伏、法戦にと、休みの日も広宣流布のために身を投げ打って戦う・・・そうしたひたむきな学会員の生き方こそ、「如来の事」を行じることに通じる真正の信仰者の姿だと思います。必ずやその人こそが最後の勝利者となることでしょう。

 それがどれだけありがたく、また尊い無上の生き方であるか、またいかに自身の宿命と粘り強く戦うことが大切なのか・・・そのことを知ることが何より大事だと思います。今、無間地獄とも思える苦難、宿命と戦っている方も多くおられることと思います。しかし、必ず出口は見つかり乗り越えていくことができる。それらの苦難を魔の試練ととらえて、より一層信心に励んでいけば、必ずその人にふさわしい幸福の道が開けていく・・・それが学会の信心の素晴らしさだと思います。

 とりもなおさず、どの人の生命も「仏」という尊極の生命です。各々、その「仏の生命」を顕す以外に本当の幸福はありません。それ以外の相対的幸福はいつか泡のように消えていく・・・たとえ今、栄えている人であっても遅かれ早かれ、名聞名利をはぎ取られ、裸の人間として「死」と向き合わねばならない時がやってくるのです。

 その時に「死」と正面から立ち向かえるものは何なのか?それは自身の生命の「仏界」だけではないでしょうか?「最後まで学会員として忍辱(にんにく)の鎧(よろい)をまとい戦い抜いてまいりました!」と誇らしく言えることが何よりの「冥途の衣装」となることでしょう。その人は必ずや諸仏から讃嘆されながら、大歓喜の生命となって旅立っていくことができる。その時に後悔しても間に合わないのですから、今、信心に励むほかありません。動けるときに勇気を出して立ち上がる・・・賢明な人ならわかることだと思います。

 疑いを抱かず、純真に信心に励む我ら学会員こそ、その誉の人です。あまたの不信の輩の言葉など、愚かな敗残者のものと喝破しつつ、さらなる大成長を期して私も新しい年に向かって飛躍してまいりたいと思います。

 この一年、ブログの方も変動があり、申し訳ありませんでした。今後も時間があれば、思うところを書ければと思います。以前よりも多忙の身となり、更新もあまりできませんので、期待をせずに読んでいただければと思います。

 一年間ありがとうございました。皆様、良いお年を!



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