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2019
02.04

寒椿

Category: 信心


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今朝の池田先生の「四季の励まし」(3日付聖教新聞)の一節にはこうありました。

「人生の価値とは記録への挑戦から生まれる。自分のこれまでの最高記録をどう更新し、書き改めるか。その挑む姿勢から、勝利と満足の人生が開かれていく。」

「日蓮大聖人は、自らを”法華経の行者”と言われた。行者とは行動の人であり、行動してこそ真実の仏法者である。」



 人と比較するのではなく、昨日までの自分を越えていく・・・それが成長ということではないでしょうか?これまで以上の戦いに挑んで自身を鍛え上げていく以外に、宿命転換も一生成仏も果たせないものと思います。たとえ今はびりっけつを走っていても、また絶望の淵でもがいていても、それでも前に一歩でも1mmでも進もうとする・・・その一念があれば私は大丈夫だと思います。

 逆に自分の智慧に慢じて、学会の活動を馬鹿にしたり弘教の実践に挑戦もしない人が、一番危ない・・・私は常々そう思います。

 あとは「行動」です。私も今日は、内外の方を訪問、聖教新聞の集金も兼ね、法戦のポスターも地域内に数か所、貼らせてもらいました。「この地域の広宣流布は自分が責任を持とう!」「因習は深くとも勇気を奮い起こしてこの道を進むのだ」との思いで、活動に挑戦しています。

 こんな私も時には人の悩みの相談を受けることもありますが、いつも思うことはその人に「信心で打開するのだ」という心があるかどうか・・・それに尽きると思います。その心があれば、もう悩みは解決したも同然です。なぜなら、仏を信じて広布の活動に励んで解決できない悩みなどないからです。

 実は私もなかなか思うようにいかないところを長くやってきましたが、それには深い意味があるのだということを知りました。それはどういうことかというと、すぐに悩みが解決すれば、私のためにならないということなのです。信心しているのにどんどん苦しいところに追いやられる・・・・凡夫ですから、一日も早く楽になりたいと思います。しかしその苦しみによって、本当の信心の世界に入っていける、妙法で立つしかないという自分へと変貌していったのです。

 もちろん私の信心が本物だとか立派という意味ではありません。それでも以前の私を思えば、信心に向かう一念が変わりました。苦しむたびにより真剣に仏法を求め、実践に挑戦する私が出てきました。今となっては「仏様は谷底に私を落とし、そこから這い上がっていくことで、私を一人前の信者に、また幸福にしてあげたいと思われているのだ」と感じられてならないのです。

 最近は写真を撮る機会も減りましたが、先日は配達途中のあるお宅で、一輪の椿の花が目にとまりました。車に戻り、カメラを取ってきて、外気に凍り付いたその赤い花びらに目を凝らしました。その花は私には宿命と戦いながら、人生の冬を戦い生きる婦人部の方の姿を彷彿させました。

 周りの大半の花は散っていたのですが、この花だけはいまだ凛と咲き誇っています。しかも厳寒の朝、凍てついた霜を身をまといながら・・・・「人もこうあらねばならない」私はそう思いました。獄中の戦いを貫き通された厳しい牧口先生のお姿も心に浮かびました。「私の信念など、牧口先生に比べれば、まだまだヒヨコのようなものだ」と、そうも思いました。

 もっともっと強くしっかりとした師子にならねばならない・・・「一生成仏」とはそういうことなのだ。何があろうとも妙法の信念を貫き通す「人間王者」になることなのだ・・・寒椿はそのことを私に教えようとしたのでしょうか?命の限り咲かんとするこの花に応えるためにも、さらなる行動の人となって、娑婆世界に打って出たいと思います。




※タイトル、文中に「椿」と表記しておりますが、後日、よく見ましたら葉の形状から「山茶花(さざんか)」だと気が付きました。タイトル本文などはそのままにしておきますが、一応、訂正させていただきます。
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