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2019
04.02

我ら命の青年桜

Category: 徒然の記


 当地でも桜の花が開花の時を迎えました。私もおじさんですが心が春めいて気持ちも華やぎます。(笑)信心や生活も毎日が平凡なことの繰り返しですが、その中でも季節が変わるように節目というのはどなたにも訪れるものですね。

 年を重ねても生命は若返ることができる・・・それが信心する者の強みです。先日、私も20年ぶりにある友人に電話をしましたが、「声にハリがあって、元気ですね」と言われました。「信心してると元気になるんですよ。生きる力が湧いてきますよ。」と私も素直に答えました。




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 入会して長年、芽も出ず、日も当たらず、もがき苦しんできた私ですが、近年になり、新芽が土をけ破って地上に出てきたように、心にも明るい光が降り注ぎます。「御本尊は私を見捨てなかった。これからは妙法だけで生きるのだ。ほかの智慧はなくて大丈夫。」と、心中、安心できるのです。

 入会してから30数年も経つわけですが、その間、陽の当たらない土の中深く、枯れ尽きた生命の根に題目を沁みこませ、陰徳を根気よく積んできたゆえに、ようやく春がやってきたのでしょうか?長い冬の間、あまりいいことがなくても、なんとか耐え忍び、信心から逃げなかった・・・派手さはなくても一生成仏のためにはそういうことが大事ですね。

 世間で言う金儲けには縁がありませんでしたが、信心の財宝をいくらかでも得ることができたと思います。これは来世はもちろん三世永遠に持っていくことができる・・・今世の貧乏や病気など、それに比すれば物の数ではありません。

 根っこが蘇生すれば、必ず地上に芽が出て若木となり、いつしか大樹にもなることでしょう。凡夫ですから、すぐに花も実もほしいのですが、やはり物事には順序と道理があります。「途中はいろんなことがあっても、最後に勝利しなさい」との先生の指導はまことに意味のある深いお言葉です。

 三世永遠から見れば今世は一瞬です。信心を頑張れば仏の生命となって生々世々生きていけます。それゆえ魔王もここぞとばかりに襲ってくるのでしょう。強い信心に立てばなおさらですね。信心する人に苦難や宿業が強く出るのも、これまた道理であり、深い意味があるものです。

 学会に不信をなす人、退転しゆく人は、そこの辛抱が足らず、信心を投げ出してしまう人ではありませんか?その時に退転の言い訳けを決まって人のせいにする。決して自分の不信のせいだとは言わないものです。不信の命に誑(たぶら)かされた自分がわからないのですから、誰かのせいにしないと立場がないのでしょう。

「須弥山に近づく鳥は金色となるなり」(御書1536p)
「諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」(同236p)
「法華経を信じる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(同1253p)・・・私たちが幸福になることは大聖人様が随所に御断言です。確信弱き同志の方には、常に御書を通して励ましを送っていきたいものです。

 昨夜もまた婦人部の方数名と唱題に励みました。唱題の後にある方が「もうどこそこの桜は咲いたかな?」と言われたので、私は、「眼の前にもたくさん桜が咲いていますが」と言いましたら、「いやあ、姥桜と葉桜ばっかりやわ」と笑われました。
 
 姿は老いても、心は青年で生きていく・・・「年は、わかうなり福はかさなり候べし」(御書1135p)といきたいものですね。

 「姥桜 いいえあなたは 妙法の 青年桜と 見えて候 」(剣)

 さあ、大宇宙の法味に浴しながら、時には生命の歓喜を謳う春の花々と語り合いながら、張り切って前進していきたいと思います。





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