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2019
05.10

「自分なんて・・・」という心

Category: 信心




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 長期の連休も終わりましたが、皆様は有意義にお過ごしになったでしょうか。私はさほどの休みもなく、また田植えの準備や野菜の植え付けなどもあり、我が家中心で過ごしました。これから学会の方もいよいよ7月の選挙を中心に慌ただしくなることと思いますが、気を引き締めて戦っていきたいと思います。


 大白蓮華5月号(99p)には戸田先生の次の言葉が紹介されています。

「この信心をして幸福にならないわけがない。心は王者でいきなさい。創価学会の名誉ある一員として誇りも高く生き抜きなさい。」
「自分がどれだけ偉大な存在か。それを皆、忘れているのだ。たしかに家に帰ってもたいした食事もない。家も宮殿みたいに大きくもない。だから自分は・・・と卑下するけども、とんでもない!人間それ自体が偉大なのである。いわんや広宣流布をし抜いていく学会員こそ、崇高な仏だ。最高の人間なのである。」


 本当に勇気の湧く指導だと思います。信心する以上はこういう気概でやりたいものです。
「自分なんて・・・」 そう思う気持ちは誰にでもあると思います。私もかつてはそんな気持ちで生きていました。ところが信心を多少していきますと、そうではないという心に変わってきました。自分ほど崇高な生き方をしているものはいない、自分だけでなく人もまた仏の生命であり王者の生命なのだ・・・とそう変わってきたのです。

 「自分なんて…」と言うのは、一見、謙虚に見えますが、まったく信心に逆行した貧乏臭い心だと思います。それは人として、決して言ってはならない、自分も仏も下げゆく最低の言葉なのだと、今はそう思えて仕方がありません。

 「自分は崇高な仏の生命だ」と思うのか、「自分なんて・・・」と思うのか、それは微妙な一念の違いです。ところがこの一念の違いが人生を、またその人の「一生成仏」を決すると言っても過言ではない。信心をして伸びていく人、人間革命していく人は、自分が仏であることを信じている人、この信心に歓喜と誇りを感じている人だと思います。

 逆に信心しているのに伸び悩む人は、やはり「自分なんて・・・」の一念が奥底にある人と言えないでしょうか。それこそ自分の無限の可能性に蓋をする人間不信です。私も人と話をしたときに、「あなたは仏です。もっと王者の気概で自信を持っていくべきです」と励ましても、「いいえ私なんかとてもとても・・・」という返事が返ってくることがあります。聞いていて歯がゆいばかりですが、「自分なんて・・・」という言葉の奥に無明の心に支配された何ともやるせない諦観を感じてしまいます。

 人を励ますとき、私は「あなたは仏ですよ。尊貴な生命ですよ。無限の可能性があるのです。それをこの信心で出しましょう!」とそう呼びかけたい気持ちでいっぱいになります。またそう呼びかけていくのが、自分の使命だと思い、人に接するようにしています。人を讃え励ませば、自分も輝いていく。人や自分を下げる生命から、人を讃え励ます幸福の軌道へと自分の生命を変革していくことが、人間革命の正しき軌道だと思います。

 
 この娑婆世界は第六天の魔王の世界です。。魔王は私やあなたが仏になることを忌み嫌います。そうなられたら、自分たちの所領が仏国土になってしまい、自分たちの好きなように操れなくなるからです。

 ですから、私達の心にありとあらゆる不信の網を張りめぐらし、生気を奪い、諦めの心、絶望の心で覆ってやろうと狙っています。それが「自分なんて・・・」という卑下の言葉となって出てくる。だから私はその言葉が嫌いです。

 とりもなおさず信心は「仏と魔」との戦いです。それは生命根本の無明とそれを具現化して信心を妨げる第六天の魔王と、仏である自分との戦いです。これから「人間革命」と「広宣流布」を目指して、その戦いの土俵に上がる人が、「自分なんて・・・」という心で勝てるはずがありません。自分を仏と信じ、人間王者と決めきって「必ず自分は勝利するのだ」との心で勝負に挑みたいものです。

 そう決めきれれば、もう勝ったも同然です。仏が魔に負けるわけがない・・・妙法の宝剣をもって、颯爽と勝利を目指して、生活にまた広布の戦いに自分らしく挑んでいけます。そこに諸天もいや増して働き、生命に歓喜と躍動が湧現していくに違いありません。

 いよいよ後半戦・・・私もまた、仏の心こそ我が心と腹に据え、「日蓮と同意」の心で、創価師弟の大道を前進していきたいと思います。




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