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2019
05.13

目先の功徳と三世の功徳

Category: 未分類


 先日は全国の会館で本幹衛星放送がありました。中でも芸術部員のBOROさんの活動報告に多くの方が感動されたようです。私の元にも「良かった!」「感動しました」という感想を寄せてくれた方がおられます。

 なぜに皆さんが感動されたのか・・・いろんな理由があると思いますが、私は宿命に負けずに、信心を貫いてこられた信念の心・声が人々の心を打ったのだと思いました。恵まれた環境と才能でヒット曲を飛ばし、悠々自適の生活ならば、「すごいなあ」と思っても、「人間革命」としてはどなたも感動しないはずです。長年、悩みの中を一筋に師弟に生きてこられたからこそ、今、迷いのない確信の境地に達せられた・・・その声の力を感じました。

 「大阪で生まれた女」がヒットして順風満帆に見えた音楽活動でしたが、所属事務所から「音楽をとるか、信仰を取るか」迫られたそうです。事務所としては創価学会の看板、活動を隠したかったのでしょう。それでもBOROさんは迷いなく「信仰」を取り、その後、何年もの間、仕事も干されたそうです。しかし、屈することなく、信仰根本の大道を貫かれました。

 また離婚も二度経験されたそうで、離婚をした翌日に、学会のセミナーに出て人を励まされたそうです。セミナーの後、対話をした人に「自分は昨日離婚しました」と正直に話をされました。一家和楽を掲げる学会のセミナーで、「家庭不和」「離婚」を語ることは、とてもつらかったことかと思いますが、自分を隠さずに語られた。信心への確信がなければ、なかなかできないことではないかと思います。

 私もかつて関西の会合で、BOROさんの歌を、生で聞いたことがあります。その時は、お話はなく歌だけでしたが、苦労を乗り越えたいぶし銀のような力強い声に、私も感動した記憶があります。「声、仏事を為す」だと思いました。

 事務所から信仰を捨てるように言われた時、BOROさんが、目先の利益を追い求めて、信仰を捨てていたならば、いったいどうなっていたでしょうか?一時は良いものの、最後はどんな形であれ、破滅の人生になっていたのではないかと思います。御聖訓には「善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業因なるべし」(御書232p)と、明確に書き留めておられます。大聖人様の言葉は絶対です。

 信心をしていても目先の利益に目が眩み、三世永遠の功徳を失う落とし穴が往々にしてあるものです。それは第六天の魔王が、信心を捨てさせようとする謀(はかりごと)であり、BOROさんは瞬時にそれを見破り、信心を選ばれました。まさに絵に描いたように、魔王に試されたと言えます。苦難を覚悟で信心を選んだ強い心に、今は素敵な奥さんと巡り合い、さらなる人間革命を遂げられたBOROさんの勝利の姿がありました。

 「三障四魔」の教えにあるように、信心をすれば妻子眷属を始め、職場でまた地域で、信仰を理由に迫害にあったり、信心をやめるように脅されたり、そういう事態に遭遇します。宗門問題でも私たちは試されましたね。私もかつて上司から、「お前の後ろには池田大作がいる」と、責められ、退職へと追い込まれた経験があります。また親からも兄弟からも、「学会に入った親不孝者」と言われた時期がありました。

 しかし私もまた信仰への強い確信があり、頑として信心だけはやめませんでした。今、地域の先頭に立って、同志の皆さんと広宣流布に邁進できる・・・福運の人生の軌道へと生還することができ、元気いっぱいです。私の生命に潜む不幸へと向かう軌道を、「一生成仏」=幸福への軌道へと転換することができたと確信しています。

 三世永遠に信心を退転しない生命こそが、「一生成仏」の生命であり、本物の功徳だと思います。いかに今の姿が貧しくとも、また人に笑われることがあっても、法華経にだけは傷をつけない・・・池田先生と共に、堂々と信仰の道に勤しんでいく。それ以外に、本当の功徳を得る道など、絶対にないと確信するものです。

 さあ、私もBOROさんの体験に勇気をもらい、りっぱな先輩に続いて、さらなる広布拡大の道を切り開いていきたいと思います。心ある皆さんとともに!




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