広布の大河に君ありて tori

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信心の功徳

  創価学会で信心している人にとって、功徳という言葉は日常的に使いますが、その功徳の感じ方はそれこそ十人十色といってもいいのではないでしょうか?

  一人一人、顔が違うように悩みや苦しみもまたその感じ方もそれぞれ違う。それと同様に一人一人が感じる功徳も簡単にこうだと説明できないことも多いのです。
  仏法では功徳には顕益と冥益があると説かれています。たとえば病気がみるみる治り全快しました・・貧乏だったのがお金がこんなに儲かりました、といえばこれは顕益と言えるし、人にも説明がしやすいと思います。聖教新聞なんかの体験談に出てくるのもこうした目に見える功徳が多いです。

  けれど自分は前に比べると精神的にも強くなりました、と言ってもこれは心の問題なので功徳の体験談としてはなかなか伝えにくい話ではないかと思います。一日一日では変化はわからないけれど、10年たったらこんなに成長していました、と言うのが冥益とすれば、末法の信心は冥益が表であり、その究極の功徳が一生成仏と言えます。なぜなら一時の病気や貧乏によって自分の信心を励まし、顕益をあらわしつつ、結果として不動の境涯へと人間革命を遂げていくのですから・・・
   よって病気になったから、会社が倒産したからと言ってその人の信心が駄目だということなどは決してないのです。それはとても表層的な浅い見方です。広宣流布に生きる強き一念があれば、罰も功徳、難も功徳となってその人をより強く変革していけるものと確信します。


  私自身もここ数年、苦境にあり思うにいかないことが多くあります。しかし、年ごとに自分が楽天的にまた陽気に、強くなっていることをはっきりと実感しています。この苦境を笑い飛ばせるようになれば、また一つ宿命の山を克服して、人間革命ができるものと自然と希望にあふれていくのです。

  功徳について日寛上人のお言葉には「悪を滅するを功といい、善を生じるを徳という」とあります。結局、自身の生命に冥伏する悪を善へと変えゆく力用が妙法であり、信仰を真面目に持ち行じていくならば、一時は苦しい姿を現じても、必ず最後は変毒為薬し、人生に大勝利と大果報を得るのは多くの学会の方々が身をもって証明されているところです。

  顕益、冥益いずれにしろ、その理証と実証があるゆえに、創価学会は明るい、そして強い。勇気をもって逞しく人生の壁に挑戦、また挑戦と月々日々に強りながら生きていくことができるのです。

  眼前の苦悩を突き抜けて、希望を持って生きて行けるそのこと自体が、金剛の生命と輝く大功徳に通じていくものと、いよいよ頼もしく思うものです。






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