広布の大河に君ありて tori

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宿命転換の戦い

 創価学会も総本部の完成が目前に迫り、青年部の目覚ましき台頭も連日、聖教新聞等で紹介されています。草創のころ、病気と貧乏人の集まりと言われた学会の姿は、いまや遠い昔のことになったかのようです。学会を牽引されているリーダーの方々も、2世3世の青年部や若い壮年部の方が中心となり、福運も豊かですっきりとした方が多い・・・まさに新しい創価学会の時代が到来しつつあると感じているのは、私一人ではないと思います。


 とはいえ、現実には病気や経済苦など様々な悩みを抱え、日々、戦っておられる方も多いのも事実だと思います。

 本人にとって簡単な宿命転換などありません。崖っぷちで戦っている方にとっては「願兼於業」「転重軽受」と言われても、「一刻も早く助けてほしい、守ってください…」と言うほかない切実な時もあると思います。

 自分の信心が弱いと、つい環境や誰かのせいにしたくなります。その間、何も変わらない、よくなってもまた同じ苦しみが起こる。結局、自分がそれらの苦難をバネに発心して、変革していく以外にない・・・逆に言えば、どんな状況でも自分が変わることによって乗り越えることができることをこの信心は教えています。

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 あたかもサーフィンをするように、波が高ければ高いほど、荒々しければ荒々しいほど、すごいサーフィンになるのと同じです。小さな波では面白くない、人も感動しない・・・それぐらいに思えたら、きっと自分に生命力が付いた証拠です。

 「来るなら来い!俺にはこれぐらい猛々しい宿業がちょうどだ、自分が勝つか、魔性が勝つか、真剣勝負の時が来た」そうやって腹を決めないと絶対に勝てないのが、宿命転換の戦いではないでしょうか?


 悩みに押しつぶされて逃げ出すか、今こそ最大のチャンスの時と信心で立ち上がり戦闘開始するか、まさに勝敗の分かれ目は、自分の心の仏と魔との戦いにあります。負けてなるものかと、なりふりかまわず立ち上がった時、戦いは必ず勝利の方向に向かい始める。大勝利の人生には、大きな苦難こそ善知識となるのです。

 「何故、自分がこんなに苦しまなければならないのか?他の人は随分、楽しそうに生きているのに・・・私だけ宿業が深いのか!」と思うことは、どなたにでもあると思います。ガンジス河の砂の数ほどの生死を経巡ってきたと説かれる私達です。あなた一人が宿業が深いなどと言うことはないと思います。みんな深い(笑)・・・でも信心して出たということは、凡夫にはわからない深い意味があると思うのです。だから軽々に、病気が出たから罰だ、会社が倒産したから信心がおかしいなどと、こちらが勝手な判断するのは慎むべきです。

 大聖人様は、「我等現には此の大難に値ふとも後生は仏になりなん。設へば灸治のごとし。当時はいたけれども、後の薬なればいたくていたからず。彼のあつわらの愚癡の者どもいゐはげましてをどす事なかれ、彼等にはただ一えんにおもい切れよからんは不思議わるからんは一定とをもへ」(聖人御難事)と暖かくも厳しく仰せです。

 これは法華経ゆえの大難に遭われたことについて述べられた御文ですが、私たちの苦難にも通じるお言葉だと思います。「ただ一えんにおもい切れ」とのお言葉に、法華経に生きることの偉大さを強く訴えられているように感じられてなりません。

 何があろうと、仏様にわが生命をおまかせして、強く生きて行く以外にない。「体当たりでこの信心にぶつかる・・それが私のすべてだ!」そう思って信心に賭けるしかなくなったら、私はそれで本望だと思うのです。そういう境地へ達したなら、逆にそれは素晴らしいことだと思います。苦難に負けないで信心で戦いゆくその人こそ選ばれし誉れの勇者です。

  本当に苦しいところに行かないと、その人の本当の信心は出てこない・・・ここに信心の奥深さがあると思います。泣いて御本尊を拝んだこともないような人に信心はわからないとも思うのです。

 魔王の試練は、私たちの信心を破壊するためのように見えますが、実は信心強き人にとっては、自身の仏の生命を顕す絶好の機会です。仏様は私たちの生命に仏の生命を顕すために毎時作是念の思いで、その人に応じて試練を与え、化導なされるのです。
 

 幸いにも私達は法華経の剣をたもつ身です。宿命転換を前にして、臆病や優柔不断では、いかに名刀を持っていても切れない。けなげでまっすぐな信心で、魔王の試練を叩き切り、師弟勝利の実証を私も皆さんとともに勝ち取っていけるよう戦って参ります。




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Comment

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毎時作是念の思いで、その人に応じて試練を与え、化導なされるのです。
よんで学生時代を思い出しました。
そこは学生時代、屋比久さん(生命を語るで先生と対談した方です)から教えてもらいました。
形は広布のために戦っていても、奥底の一念が他の方向に向かっていないか、その奥底の毎時作是念がその人の一生を決定すると指導してくれました。
場所は屋比久さんの自宅で年に数回御義口伝講義を東京在住の沖縄出身の学生部にしてくれました。東大病院勤務という激務の中の渾身の指導でした。
ありがたい先輩でした。あれから30年なりました。

御書への書き込みを読みながら当時のことを思い出し、学生時代のあの熱き思いが蘇ってきました。
2013年09月19日(Thu) 22:43
毎時作是念
編集
素晴らしい方との出会いがあったんですね。膝詰で仏法の奥義を語ってくださる方が身近にいるといないとでは違います。それも宿縁ですね。私も善き先輩に育てていただきました。その感謝の思いで今生きています。「生命を語る」をまた開いてみます。
2013年09月20日(Fri) 11:26












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