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2020
03.30

蛟龍(こうりゅう)の淵に潜むは・・・

Category: 未分類


 コロナウイルスの影響で国内だけでなく世界的にも大変厳しい事態となっています。今日(30日)も志村けんさんの訃報に接し大変驚いたところです。目に見えない怖ろしいウイルスが生活空間のあちこちに潜んでいるわけですから、当然のことながら誰もが感染のリスクがあります。それに対してしっかりした意識をもって行動しなければなりません。

 ニュージーランドだったと思いますが、「あなた自身が感染者だという意識で行動してください」と国民にメッセージを出したそうです。私もそれを聞いてそれがあながち大げさでない良いメッセージだと思いました。各人が今こそ冷静にまた賢明な行動、振る舞いで自他共の身を守っていきたいものです。

 学会においても会合はもちろん家庭訪問なども控えるようにとの打出が早くから出ています。折伏や家庭訪問など行動が信仰の大事な柱ではありますが、時を考えれば今は自粛することが賢明な振る舞いとなります。私もメールや電話などを活用し、また同志の皆さんとの同盟唱題などでコロナウイルスの収束、内外の方々の無事を祈っています。



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 先日の「わが友に贈る」でも「教学研鑽や読書に励み思索の時間を作ろう。今は力を蓄える時だ」とありました。今だからこそできることに挑戦する絶好の機会でもあります。この時間を無駄にしないよう、私も教学を中心に力をつけたいと思います。

 それにしても今の状況を見ていますと、「立正安国論」に説かれた三災七難の様相とあまりにも重なって映ります。大地震はもちろんですが、疫病が流行り多くの人が死んでいく状況もその通りです。その上、他国からの脅威、台風などの自然災害、慢性的な経済不況、高齢化社会、温暖化等々、鎌倉時代よりもより一層複雑で多難な時代に我々は生きています。

 「立正安国論」は鎌倉時代だけの話だと思っていたのが、どの時代にあっても座右に置くべき最重要の一書だということにまざまざと気づかされました。科学や医学が発展し、寿命も延び便利にはなりましたが、それが人の幸福感に必ずしも結びつかない・・・そこに境涯革命という人間成長の信仰が絶対に必要だということも痛感します。

 広宣流布が大いに進展した今日にあっても、いまだ謗法の衆生が充満する世界という構図に変わりはありません。諸天善神は法味をなめずして処を去り、娑婆世界は第六天の魔王が支配する世界です。それゆえ人の生命にも悪鬼・鬼神が乱れ入り人身は荒廃し、いじめや暴力、理不尽な殺人、麻薬などの事件が後を絶ちません。

 政治を見てもとても民衆本位とはいいがたく、相変わらず権力者や一部の上流者中心の政治が透けて見えます、私利私欲のために平気で嘘をつくような政治家・官僚がうごめく世界です。政治の乱れは必ず国土の乱れにも通じていくものと思います。そういうドロドロとした政治の世界を見れば若者がますます政治離れになることでしょう。公明党も権力を持つ自民党と連立を組む以上、不正に対し言うべきことはしっかり言わないと、与同罪の誹りは免れえないと思います。

 日蓮大聖人は、一国が正に背き不信謗法であるがゆえに国難ともいうべき大悪が起こると喝破なされました。「日本国に此れを知れる者、但日蓮一人なり」(御書200p)と仰せです。多くの人は謗法や邪(よこしま)な宗教が災いの原因だとはよもや思わない。しかし仏法は人が見ることができない根本からの因果を明らかにしています。そうであるなら、妙法をたもった我々学会員の国土の安穏と平和を祈る力がどれほど今大事か・・・全国津々浦々、学会員の唱題の師子吼ほど、頼もしいものはないと私は感じます。

 仏法の眼はさらに一歩進んで大悪は大善が起こる瑞相とも捉えていきます。長期間、コロナウイルスとの戦いが続くかもしれませんが、必ずこの大悪の後には大善が起こるよう、我々も「変毒為薬」の唱題で祈っていきたいと思います。


 日曜日に関西池田墓園に行きましたが、あちらこちらで桜の花も少しづつ開花の時を迎えていました。その行き帰りの車中で考え事をしてましたら、ふいに私は仏様の声を感じました。それは「いよいよ南無妙法蓮華経だけでいくのだ。妙法一つで前進していきなさい!」・・・と私にはそう聞こえました。私は「そうだ、その通りにやってまいります!」と答えていました。

 どんな悩みであれ、また今回のような厳しい状況であっても、円満な答えは妙法にしかないと確信します。強盛な祈りで諸天を動かしていく、御仏智をいただいて打開していく・・・法華経の兵法こそが最上の答えだと信じて前進するのみです。

 活動自粛の逼塞した状況の中ですが、今は内なるファイトを燃やし、「蛟龍(こうりゅう)の淵に潜むは昇らんがため」との劉備玄徳の言葉を心に刻み、やがてこの難問を乗り越えた躍動の時を創りゆきたいと思います。



「蛟龍の淵に潜むは昇らんがため」・・・(池田先生のご指導より)
人生の逆境や不遇のとき、身の処し方はいかにあるべきか。将来ある皆さまのために、この点にふれておきたい。
 それはまだ蜀の国を起こす以前の玄徳のことである。周囲は玄徳の不遇をしきりに憤慨しているが、彼自身は淡々としている。このとき、玄徳の胸のうちは次のようなものであった。すなわち「身を屈して、分を守り、天の時をまつ。 蛟龍の淵にひそむは昇らんがためである」と。蛟龍とは水中にひそみ、雲雨を待って、時至らば天に昇り、龍となるという動物である。
 皆さまも、自分を認めてくれない環境を嘆くようなことがあるかもしれない。しかし、青年時代は修業の時代である。今後、四十代、五十代になってからの社会と広宣流布の本舞台を胸に秘め、淡々として時を待つ、ふところの深い境涯も必要であると思う。屈するは伸びんがためであり、現在の本分に全力を尽くしつつ、天の時を待つという生き方もあることを知って欲しい。







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