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絶対的幸福

 信心をしてから幸福には相対的幸福と絶対的幸福があることを学びました。私が創価学会に入って一番感謝していることはそういう世界があるということを教えていただいたことです。

 相対的幸福・・・そのことによっていかに多くの人々が、はかない人生を送らざるをえないかということを痛感させられます。言葉の通り、相対的幸福というのは何かと相対したときに感じる幸福です。過去の自分と比べる、周りの人と比べる、そうした物指しを持って自分の幸福を測るのですから、その物指しは一定ではありませんし、常に変化していきます。自分に優越を感じられるときはいいですが、逆の場合は同じ状況にあっても不幸を感じるということになる。自分は同じなのに、周りの姿によって不幸にも幸福にも感じる・・・世の人々はだれしもその生き方が身についてしまって、苦しむことが多いものです。これでは時に他の不幸によって自分の幸福を味わうということにもなりかねません。よく「他人の不幸は蜜の味」ということがありますが、それが世間に潜んでいる悪しき心根ともいえます。それは決して仏様の心ではありませんよね。

 池田先生が愛されるホイットマンの詩には「私は幸福を追い求めない、私自身が幸福だからだ」というすごい言葉があります。これはもう絶対的幸福の境地です。
法華経の世界では、何があろうと、周りがどうあれ、自身が幸福を感じる境涯・・生きることがうれしくてしょうがない・・生命力にあふれ、苦難をバネに強く生きて行く・・・そういう歓喜、歓喜の人生が生死生死と永遠に続いていくと説かれます。

 戸田先生が講演で「私のいただいた功徳がこの講堂いっぱいとしたら皆さんの功徳は手の小指ほどのものです」と言われています。これこそ戸田先生が獄中で悟達された功徳の大きさを示されていると思います。「病気が治りました、家が建ちました。いい生活ができています」というのは仏法にくると手の小指ほどの功徳だというのです。本当の功徳は一生成仏、つまり自身の仏界を開き顕し、仏の生命を悟り永遠の幸福境涯に生きることを意味しています。

そうしますと私たちは一面、今世の病気や貧乏で信心しているように見えますが、実は未来永遠のために信心しているとも言えるのです。それほど法華経の世界は広大深遠です。


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 学会では体験発表ということを大事にします。けれど「絶対的幸福」をいただきましたという体験談はいまだ聞いたことがありません。職場で昇進したり、家族が仲良くなったり、癌を乗り越えたりという体験は多くありますし、それはそれで信心の偉大な功徳に違いありません。しかし私たちが目指す真の人間革命はあくまでも一生成仏であることは疑いないことです。
 
 学会員の方でも死んで成仏すると思っている人が多かったりします。爪上の土の譬えや竜門の滝のお話のようにそれは難事だともいえますが、「やすやすとなれます」「早い遅いはあっても必ず一生のうちに残らずなれます」(趣意)とも説かれています。さあ、どっちでしょうか?(笑)

 外の姿だけでは、信心してない人の方が生活も人間的にも豊かな場合があります。
けれど信心しない人達は本当の意味でこの絶対的幸福の軌道にいまだ乗れていない人達です。その方たちと比べると私たちは数億万倍、幸福者だといわねばなりません。そのことがわかると本当にうれしくありがたくなってくるのです。

 ある会員さんからもっとそういう仏法の深い功徳の話を聞きたいのですが・・・と言われたことがあります。私も聞きたいです。会合でも幹部さんはそういう話はされませんし、やはり目に見えない人の生命のお話ですので、難しいのかもしれませんね。そういう時には「小説・人間革命」「法華経の智慧」を勉強しましょうというのが一番いい答えだと思っています。

 日蓮大聖人様や、創価の3代の会長は法華経ゆえの大難を受けられ、法華弘通を成し遂げてこられました。私たちはこの人生でそのような大難に会うことはないかもしれませんが、師弟の道に連なって生きて行く時、師匠の功徳と等しい功徳に浴することも可能になっていくのです。御書に、「蒼蝿驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ」とあります。これは私たちのような凡夫が法華経に附し、懸って生きる功徳の大きさを述べられた御文ですが、学会の師弟の世界にも通じる御文だと私はいつも思います。


 日々の活動や、唱題は地味な作業かもしれません。また組織など思うようにいかず嘆くこともありますが、必ずその行為は自身の生命に成仏の因となって刻まれて行きます。同生天、同名天がすべて天に報告し、妙の照覧に照らされていくと説かれます。
 だから何があろうとゆめゆめ信心のことだけは粗末に考えてはならないと私は戒めています。苦しいといっても、獄中の牧口先生、戸田先生を思えば、私の悩みなどとるに足らない悩みですね。

 
 今、私は地区や支部、本部の唱題会に参加するのがとても楽しみです。皆さんと呼吸を合わせ題目をあげるのが楽しいのです。池田先生は「拠点にみんなが集まりお題目がたくさん上がっていくところは発展するよ」と言われています。「何の兵法より法華経の兵法・・・」この御文を心肝に染め、来年にかけて唱題の渦を拡大し、広布の突破口を力強く開いて行きたいと思います。


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Comment

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絶対的幸福は自分自身に生きることだと思います。
それに気づいたのは50過ぎてからでした。
失敗よりも人に笑われるののを怖がる自分でした。
何もしなければ失敗はない。でも、そんな人生はつまらないですね。
そんなつまらない人生でも信心で転換できるんですよね。
今が正念場と思っています。
やはり、負けるだろうなと思う気持ちと、今が信心の確信を掴むチャンス、まけるわけにはいかないとの二つの気持ちが葛藤しています。
だから題目を上げることができるとプラス思考でいきます。
寒くなってきました。
お体には気をつけて!
2013年12月06日(Fri) 16:49
Re: タイトルなし
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うるとらまんさん、いつもありがとうございます。
信心は本当の自分を見つけるための戦いですね。
本当の自分がわからない間は迷いの生命、仏とわかれば悟りの生命です。
人それぞれ境遇は違いますが、信心を根本に生きゆくならば自分らしい、
また素晴らしい姿が現れゆくことを信じています。
私達もそれぞれの立場で発迹顕本する時があるはずです。

大変な時のようですが、失敗を恐れずに前進すれば、何か道が開くものです。
私も小舟で大海に乗り出すような心境の時もありました。でも何とかなるものです。
命が残ればいいではないかと思って生きてきました。(笑)

妙法は不思議ですね。どんな結果になっても最後はそのことで幸福になっていきます。

沖縄は暖かいですか?お体を大切にお過ごしください。
2013年12月06日(Fri) 18:08
Re: 絶対的幸福について
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非公開J様

コメントありがとうございます。教えてくださったように、強い強い信心で、現実から離れることなく、依正の革命に挑戦していきたいと思います。「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜・・・」との喜びで日々、御本尊様を拝し、胸中の肉団におわします仏の生命を湧現、実感しながら励んでまいります。これからもよろしくお願いします。

2014年12月17日(Wed) 11:25












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