2014
04.09

親の心

Category: 信心
 昔、信心強情な先輩の方から「御本尊様の立場になって自分の信心を考えて見るんだよなあ」と言われたことがあります。その時には、あまりわからなかったのですが、折に触れてその言葉が脳裏に浮かんできますので、私なりに考えたりもしてきました。

 御本尊様は主師親の三徳を御備えですが、その中でも私は親の徳ということを考えることが良くあります。つまり、私たちは子供で大聖人様は親ということになります。親から見れば、どの子もかわいいわけですが、とりわけ、病の重い子や、出来の悪い子には愛情も強くお持ちになるのではないかと想像します。


 私にも高校生の息子がいますが、本当に4歳、5歳のころはかわいかった。名前を呼べばすぐに私の腕にも飛び込んできて「とうちゃんが大好き」とかいいながらニコニコしていた。それが今、高校生になってみると、返事もしない・・・朝でもこちらが「おはよう」といっても、こっちを見ることもなく「・・・ふん」なんて言ってる。「ただいま」と言って帰ってきてもやっぱり「・・・ふん」です。「あのね、ふん(糞)という返事は相手に対してもっとも失礼な言葉だから、それはやめたほうがいい」なんて、ま、笑い話にして怒ったりするわけです。(笑)

 4歳、5歳で無邪気にこちらを信じて飛び込んできた時には、「ああ、この子は何の疑いもなく私を信頼している。かわいい子だな、この子のためなら何でもしてやろう、命だって惜しくないぞ」などと思ったものです。

 それが今、シラッとこちらをにらんで、チョー反抗的な態度で来ると「そんなに偉そうにするなら、ここを出て一人で生きて行けよ」などと思ってしまうわけです。

 子供が成長するという意味では親離れの訓練をしているわけで、これでいいのかも知れませんが、「ほんと可愛くないなあ、腹立つわ」となってこっちもいうことを聞きたくなくなってしまうものです。(まあ、腹の底ではかわいいんですけどね)


IMG_7255a_R.jpg
一つ58円のホームセンターのパンジーがきれいに咲きました。かわいいですね。健気に喜んで咲いています。



 仏様もやはり、多少似たところがあるのではないかと思うのです。(ここからは私の想像です) こちらが苦しくて「もう仏様しかいません。命がけで信心しますからどうか守ってください」と赤子が無条件に親にすがりつくように行けば、仏様も不憫に思われて救ってやろうとお思いになるのではないかと思うのです。

 それを「まあそのうちやりますよ。ちょっと待ってください、私もあれこれ忙しくて。よっこらしょ」的な態度で向かっていけば、怒られはしないでしょうけど、「私も暇じゃないので、もっと困ってる人の方へ先に行きますよ」といって、席を立たれるかも知れないと思います。なんせ一千万以上の人が24時間、御本尊様を拝んでいる時代ですから、仏様も忙しい・・・(笑)

 仏様の立場で考えるという意味では、本当に純粋に信じて、ありのまま、なりふり構わず、ぶつかっていく信心でいいのではと思います。それに喜びや感謝があれば10分のお題目でも受け取ってくださると思うのです。それを知ったかぶりしたり、やせ我慢や義務のようなつらい心で何時間拝んでも、それでは仏様から「なんかかわいげのない信心だね」と言われたりすると思うのです。仏様から見れば、どんな人も、幼稚の凡夫です。また苦楽ともに思い合せて・・・と仰せですので苦しい時は苦しい顔のまま、変毒為薬の感謝をもってひたむきに信じていけばいいのではと思います。


 先生もかつて指導の中で「かわいく拝むのです」と教えてくださったことがありました。そういわれれば、功徳をいただきたいわりに生意気な根性でやってるなあと自分を思ったものです。

 一度、お仏壇の中から自分を眺めて、純真でかわいい顔でお題目をあげているか、それともふてぶてしい顔でやっているか見てみるのも必要ですね。自分の信心に功徳を出してやりたくなるかどうか?(笑)

 「幹部がやれというから、まあやるか・・・一応成果の報告もあるしな、0では格好悪い・・・」なんて思いでやったところで、仏様や先生がお喜びになるか・・・やっぱこの信心はどこまで行っても志、真心・・・「心こそ大切なれ」なんだなあと思います。「喜んでやります。宿命転換させてください。仏道修行がうれしくて、御本尊様ほんとにありがとうございます。」せめてそんな心で日々、健気に信心に向かいたいと思います。そしてかわいい心で南無南無しようではありませんか?そしてこのパンジーの花のように自分らしく清らかに咲こうではありませんか? 

 この子には一番に功徳をあげたいなあ・・・仏様からそう思っていただけるような信心とはどういう信心か・・・仏様の立場に立って考えて見るのも大事なことではなかろうかと今日もまた思った次第です。




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コメント
私もよく自分で自分のことは、わかるので、あー、信心って自分を変えるんだよなぁと思っていても、腹をたてたり、冷たくしたり、反省するばかりです。
とくに、ここ2ー3日仏様の心にならなくちゃと猛省します。
でも我がでてしまいます。
めんどくさいときもありますし、多分御本尊からみたら、気分にむらがあって、信用できないと仰せだと、、、でもそこはご本尊様の寛大さで、私も自由の菩薩になるために、辛抱強く見守って頂けてるのかなぁなんて、思います。
信心してても、なかなか自分の根性は変えられない私です。
これも課題で祈っていかなくちゃ。
糸吉dot 2014.04.09 12:48 | 編集
糸吉さま

コメントありがとうございます。「自由の菩薩」うまい!なんだか好き勝手しているみたいでいい名前ですね。(笑)こんなオッチャンですけど恋する乙女のようにルンルンかわいく拝んでいますよ・・・するとなんかいいことがやってくるんですよ。あれれ・・・信心てチョウ簡単じゃん。かわいく素直に拝めばそれでいいんだって、今日の青空みたいにすっきりしました。
王者の剣dot 2014.04.09 12:59 | 編集
王者の剣様

こんにちは。
私も高校生の息子がおりまして・・・
まさに一緒でございます。
母親は特にでしょうが、息子が心配で、頼りなく感じて・・・
かまいすぎて嫌がられている次第です。
・・・が、かまえるのもあと少ししたら出来なくなるって思い、嫌がられてもしつこく声をかけています。
息子なりに悩んでいるときは、御本尊をしっかり見つめ勤行、唱題していますが、いつもはたいていささっと終わって携帯だけは離さず学校へ行きます。
姿が見えなくなるまで見送っているのですが、「チラッ」とこちらをみて終わりです。

御本尊様へ素直に、可愛く・・・どうだろうと考えました。
多分、悲壮感漂う顔しかしていないのでは、反省。

昨日、息子のお母様が亡くなられました。
倒れられてすぐでした。
追悼のお題目を送らせていただいておりますが、こちらの方が動揺している状態です。
本当に何がおこるかわかりませんね。
「只今臨終」の思いで、大切に生きて行かなければと思っています。
長々、すいません。
dot 2014.04.09 14:02 | 編集
なんかこっちまで、ルンルンします。
ありがとうございます。
糸吉dot 2014.04.09 14:17 | 編集
王者の剣様

すいません、先程の訂正があります。
「息子のお母様が・・・」
”友達の”が抜けていました。
自分の書いた文章、しっかり確認しないとダメですね。
失礼しました。
かっこちゃんdot 2014.04.09 14:30 | 編集
かっこちゃん様
私も母親に大事にされるのが好きではありませんでした。今思うと「もう子供じゃないんだからほっといてくれよ」っていう自我の目覚めの時だったのです。「私はあなたを絶対信用してるよ」とだけ言ってほっとくのがいいですが、息子さんはかわいいですしお気持ちもわかります。きっと大人になればまた変わってきますから心配ないですよ。母親離れしたい息子さんと子離れしたくないお母さん・・・みんな通る道です。

 うちの子も三唱すらしませんが、今度創価ファミリー大会で男子部の子に言われて、新高校生として決意発表するそうです。いつか信心すればいいぐらいの気持ちで見守ってやりたいです。心配な気持ちは御本尊様に祈って、子供にはぶつけない・・・私はそうしています。
 自身の最高の仏界を呼び出す信心です。「もう最高!」といって喜んでやっていきましょう。心はどうにでも決意できます。何かが変わってきますよ。
 それにしても何かあれば勤行するなんていい息子さんですねえ。大丈夫ですよ。

息子のお母さまが亡くなられては大変です。ご友人だと思いました。人生、一寸先は闇ですね。
王者の剣dot 2014.04.09 15:01 | 編集
息子はまだ小学3年生。今はかわいいけど中学ぐらいから反抗するだろうな。
楽しく子育てします。
うるとらまんdot 2014.04.10 01:05 | 編集
うるとらまんさんちはいい子ですよ。うちは腹は立つけど、「そろそろこいつも大人になる準備してんだ」ぐらいで見てます。もう一人の立派な人格ですからね。親の価値観や物差しを充てるより、伸び伸びやらせたいんですよ。どんな可能性持ってるかわからないし・・・それでなくても今は萎縮させたがる世の中ですからね。
王者の剣dot 2014.04.10 06:58 | 編集
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