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御書と歩む道

 入会当時、ある方から御書をよく読むようにと教えられ、入会できた喜びも手伝って、わからないままに、けっこう一生懸命拝読しました。その頃は東京にいて、小さな会社で営業をしていました。移動中の電車や一息入れる喫茶店などでも、すぐに御書を開いたものです。

 あの黒皮の分厚い御書は持ち歩きには不便で、人目にもつきましたが、たとえ一行でも拝読したいと思い、欠かさずカバンの中に入れていました。仕事の書類より、御書や大白蓮華など信心のものの方がかさばっていたかも知れません。(笑)

 その頃は初めて知った日蓮仏法に、砂漠で水を得た旅人のような心境でした。(笑) そのおかげでしょうか?今でも何かあると御書の一節が出てきます。何か救いの手が伸びてくるようなそんな感じで・・・それはありがたく思います。

 田舎に帰ってからは、信心も思うようにできなくて、御書もあまり開かないこともありました。最近はまた御書の拝読が日課になっています。御書を読みたくて開きますので、よくいえば自分なりに信心が進んでいるのかもしれません。もちろん、その逆の時もあります。ある方が聖教新聞を読みたくないときは信心がおかしい…とおっしゃっていましたが、その人なりの信心を点検するバロメーターがありますね。


  戸田先生が「御書が分かったといったら増上慢だ、 わかんないと言ったら謗法だ」と言われたそうです。この話を聞いた時、「どっちやねん」と思ったものです。(笑)今ではわかるとかわからないという、拝読の仕方そのものが間違っていると気がつきました。信心をわかった、わからないということも同じだと思います。そういえば、随分、わかろうとして拝読していたなあと自分の増上慢を恥じております。
 御書は大聖人様の魂であり、お心です。凡夫らしく、それに触れさせていただける感動を持って拝したいと思います。



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 境涯で読み方が違ってくると言われますが、むずかしいことは私にはわかりません。ただ最近は御文に接すると、大聖人様にお会いして、直接、お話をうかがっているような気持ちになることがあります。そういう感覚は以前にはなかったものです。それから御書の拝読が楽しくなりました。御書を開くと大聖人様にお会いするように思いますので、それはうれしく思います。

 日蓮大聖人様が大好きで恋しいとなればきっと幸福になりますよね。経文(寿量品)には「心懐恋慕・渇仰於仏」とあります。男女でも恋に落ちると、若い時など会いたくて仕方ない。(笑)恋愛は時に悲しい結末に終わりますが、(そんなこともあったなあ・・・)日蓮大聖人様を好きになって恋い焦がれても、裏切られないばかりか、不思議なことに幸福の方向へとどんどん向かって行きます。

 しかしその道はまた、難信難解の茨の道です。宿業とか魔王の試練とか罰とか、いっぱい邪魔なものが顕れては苦しめられます。歯を食いしばり、一人悩みながら乗り越えていかねばならない。その時、道を照らし、確かな道しるべとなってくれるのが、御書の一節一節であり、それを根本にした学会指導ではないかと思います。

 大聖人様は悩み多き凡夫に寄り添い、語りかけてくださる。励ましては、希望と勇気を与えてくださる。この世の言葉で、御書ほど確かで信じられる言葉はないはずです。まさに「御金言」ですね。

 それを仮名交じりと言って見下し、焼いたり漉き返したりした五老僧・・・大聖人様に信伏随従していなかった証拠だと思います。日興上人様もさぞかしお嘆きになっておられたのではないでしょうか?

  いつの時代にも信心には御書があり、信徒の生活の中に御書は輝いていきます。御文には「此れを八万四千の法蔵とは云うなり是れ皆悉(ことごと)く一人の身中の法門にて有るなり、然れば八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり」(総勘文抄563P)とあります。

  忙しい時はせめて『今日の発心』だけでも拝し、(笑) 大聖人様のお心を学び、御書を身に帯した信者として、魔軍との戦いに勝利していきたいと思います。



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Comment

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おはようございます
私の誇りは 御書の好きなちよさんと言われていること
難しいことは分からなくても 心に触れた感動は まさに自分だけのものです
墨田は 先生から 御書を読もう と指針をいただいています
嬉しい時も 悲しい時も 御書をひもとき 進んでいきます
2014年06月20日(Fri) 09:33
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人に何かいう時に それとなく御文をおもいだすのですが
全部でてこなくて いらいらする時があります。
御書は特に祈祷抄が大好きです。
2014年06月20日(Fri) 09:52
Re: タイトルなし
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ちよさんへ いいですね、墨田区は・・・。私も難しい御書は読めません。(笑)でも大丈夫です。そんな人のためにわかりやすい御文もいっぱい残してくださっています。大事なのは求める心ですね。大聖人様が大好きでお傍にいたい気持ちです。御書を開くと佐渡の大聖人様にも身延の大聖人様にもお会いできます。いつもその地を想像して、対面する思いで拝読しています。「御書の好きなちよさん」ですか?いろいろとキャッチフレーズをお持ちですね。(笑)
2014年06月20日(Fri) 10:51
Re: タイトルなし
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糸吉様 「祈祷抄」が好きだなんて素晴らしいですね。きっと好きなところは「祈りのかなわぬことはあるべからず」のところですかね? こちらも叶うことを信じぬくことが求められますね。これが難しい(笑)勇気と信力と精進が試されます。私も普段、御文がなかなか出てこないですよ。だからまた御書を探して開いて確かめての繰り返しです。それでいいではないですか?
2014年06月20日(Fri) 11:06
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祈祷抄の好きなところは
大地をはさばはずるるとも 大空はつなぐものはありとも
日が西からいずるとものところです。
よく昔は大地をまとにして外れることなんかないよとか
思いました。でもそんな事がおこったとしても
のところなんです。
ご期待にそえませんでした。(笑)
2014年06月20日(Fri) 14:12
Re: タイトルなし
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糸吉様  あ?一往そこだと思いましたが、長いので最後だけ書きました。私もそこしか知らないですよ。(笑)日が西から出ることがあってもとありますので、これは絶対叶うということです。ただし「叶ひ叶はぬは御信心により候べし全く日蓮がとがにあらず」ともありますので、すべてはこっちの問題です。この御文はよく考えないといけませんね。(笑)
2014年06月20日(Fri) 15:41
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私も学生時代は御書を持ち歩いていました。36年前の御書は今でも重宝しています。

余白に日付や場所などを書いてあるページ、今日の発心をはさんであるページを読むと、その当時を思い出し懐かしく思います。
生涯、この御書を手放すことはないと思います。
2014年06月21日(Sat) 03:46
Re: タイトルなし
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うるとらまんさんの歴史が詰まった御書、素晴らしいですね。私も2部持っていますが、もう目が老眼(ワー)でいよいよ分冊のものを買いたいと思っています。ひとつは仕事先で捨てられるところのものをいただいてきたものです。(笑)「一書の人」という言葉がありますが学会員はまさにそうですね。年と共に御書の大切さ、ありがたさが感じられるようになりました。もう異性にときめくこともないでしょうから(笑)御本尊様だけを恋い慕って生きてまいります。よろしく。
2014年06月21日(Sat) 06:49












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