広布の大河に君ありて tori

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身で読む信心

 先日、私の圏でK大会というのがあり、80歳の婦人の方が体験発表をされました。この方は入信が72歳の時ということで信心歴はわずか8年ほど。昨年、腎臓に癌が見つかり、胆のう?にも癌ができていたそうです。それで手術で摘出することになったのですが、高齢ということもあり、大変難しい手術が予想されました。毎日、丑寅の勤行、日中は題目、仏法対話をやりきり、池田先生と奥様に自分で編まれた編み物の服を送られ、そして手術に臨まれたということでした。

 いよいよ手術開始・・・ところが手術室に入っていくときから、自分がどこか楽しい旅行に行くような気分がしたというのです。不思議な事です。そして手術は大成功、他に転移もなく片方の腎臓がきれいに除去できたということでした。10日後には退院。一年たって手術前より健康になりました、と喜々として体験発表されたのです。

 実は私にも同じような体験があります。私も40代の時、癌が見つかり手術に臨みました、開腹手術でしたが、その時、不安よりも絶対に大丈夫というしっかりとした気持ちで手術室に入っていけたのです。家族にピースサインを送って笑顔でした。麻酔が全身を熱のように駆け巡っていく中、意識の底で「ああ、死ぬというのはこういうことなのか?」と思ったことを覚えています。あとはまな板の上の鯉でしたが、5時間ほどの手術は無事に成功。サランラップにくるまれたようにきれいに癌がとれたそうです。あれから10年以上たちますが、元気で生きております。(笑)

 あそこで死んでたら、こうしてブログで皆さんにお会いすることもなかったわけです。その頃、私はB長の役をいただいたにも関わらず、あまり組織にも出ないで、勝手な信心をしていました。それで病気が出た時、「やっぱ、今までの生き方の罰が出たなあ」と思いました。それでも救っていただけたのです。それで変毒為薬したのか、今は学会に対してだいぶ素直な自分になりました。(笑)



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 手術に臨むとき、気持ちだけは「ここが私の竜の口」と、そう覚悟しました。この手術をもって大聖人様、3代会長のご難の一分に変えてください・・・と祈りました。それは私の人間革命におけるひとつの「発迹顕本」であったと、今振り返れば思います。

 先の婦人の方は信心7年目に出た大病です。役職もお持ちではありません。今は歓喜で折伏にも歩かれるようになったそうです。無理に力まなくても、うれしくなれば自然と仏法対話したくなります。策も方法もいらないですね。

 体験と歓喜があればそれが相手に伝わります。信心は体で勝負!こんな体験しました。こんな変わりました・・・そう言えないとせっかくの教学も「絵に描いた餅」で終わってしまいます

 「御本尊様はすごいよ!」そうストレートに言える人が、信心を身で読んでいる人だと思います。私も折伏に行くと「この御本尊様はすごい。もう生きてることが毎日うれしくなってくるんだよ」と、その歓喜を語っていけるようになりました。

 「今日も御本尊様を拝めている。池田先生という大師匠と共戦していける。」それだけで歓喜が湧くのが本当だと思います。何かが叶うから、うれしいというのではなく、瞬間、瞬間、生きていることがうれしい・・・そういう境涯に誰もがなれる信心です。

 その意味で、悪しき宿業、宿命が出た時こそ、「一生成仏」のための最大のチャンスの時。信心を身で読む最高の試練であり、いわば仏様からの贈り物と言えます。それをありがたいとするか、疑って苦しいものとするか、そこにその人の信心が出ると思います。

 まもなく子供たちも夏休みです・・・残念ながら信心に夏休みはありませんが。(笑)
日々、御本尊様に歓喜のお題目をご供養しながら、仏法対話に汗を流す、熱い夏にしていきたいと思います。




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Comment

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手術の前の覚悟がお二人とも似ていますね。
私も病気もしたのですが、最近やっと、あの時辺毒医薬したのだと、感じるようになりました。そして、その事にもっとご本尊様に感謝しないと行けないことに気付きました。大変だったけど我が身のことなので、自分がお題目唱えて、もちろん家族や地区の方のお題目もなのですが、乗り越えたことには感謝です。人からすごいねぇといわれても、もっとひどい人もいるからと、さらっとしてる自分がいます。そして今は自身のことでないことで、大変なおもいをしていますが、それだと、『ご本尊様、とにかく🔵🔵してください。』とか『🔵🔵になりますように』と祈りとにかく必死です。自分の事なら自分だけですむからてす。もちろん家族や地区の方にはご心配かけました。
それこそ病気以上に悩みくるしんで、お題目あげてます。私がこの体験者さまのように、病気を気にしっかり信心に励める様になりましたが、まだまだでした。今はとにかく宿命転換のために、と言いたいところですが、原因が少し落ち着くと、私の勢いも低迷してしまいます。この間妙な不安感で一杯になります。広布さんのように水の信心
まだまだです。これほど、気持ちを左右するのは、難しいとは基本姿勢がしっかりしてないからですよね。
2014年07月13日(Sun) 11:39
Re: Re: タイトルなし
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> 糸吉様 こんばんは。時間がたつと、つらかったことでもこれでよかったんだって思えるようになったりします。他者のために悩めるなんて素晴らしいです。私なんか自分のことで精いっぱいですよ。今月の御書、私はは好きです。「此経難持御書」始めから終りまで信じぬいていくことは大変です。でもそこに仏様からの信用が生まれる。そういう生き方って大事ですよ。「辺毒医薬」・・・素晴らしい当て字ですね。(笑)
2014年07月13日(Sun) 21:46
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 「今日も御本尊様を拝めている。池田先生という大師匠と共戦していける。」それだけで歓喜が湧くのが本当だと思います。何かが叶うから、うれしいというのではなく、瞬間、瞬間、生きていることがうれしい・・・そういう境涯に誰もがなれる信心です。」

同感!
2014年07月14日(Mon) 12:44
Re: タイトルなし
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ちよさん 信心できること自体を喜べるようになると、そこからいろんなことが変わっていくように思います。そういう生命になっていけば、自然と福運も生命力も増していくことができる。自分が幸福を吸い寄せるダイヤのようになると思います。そこへ行くまでが魔王の試練との戦いですね。(笑)もっともっと強力なダイヤになって、人をも幸せに導ける輝く人になりたいと思います。
2014年07月14日(Mon) 14:29












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