広布の大河に君ありて tori

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学会の看板

ある会合での幹部さんのお話から・・・

 「皆さんのお近くの外の友人の方に、創価学会で名前を御存じの方をあげてください・・と聞きますと、たいていの方が「池田大作」とお答えになるのではないかと思います。有名ですから・・・南無妙法蓮華経と同じぐらい流布しています。(笑)ではその次に御存じの方は?と聞きますと、原田会長かというとそうではありません。多くの方があなたの名前、またはお知り合いの学会員さんのお名前を言われるのではないでしょうか?
つまり皆さんは地元の友人の方にとっては、池田先生の次に有名な創価学会員さんになるのです。それだけ責任と使命があるということを自覚してください。」というものでした。

 もっともなことです。地元では池田先生に次いで自分が創価学会の看板を背負って立たねばならないことを、私もよく痛感させられます。特に田舎で会員が少ないと余計に注視されますし、どれだけ一人一人の学会員の存在意義が大きいか・・・よく感じるところです。

 そんな自分が金欠や病気で苦しんでいたり、人間的にぱっとしなかったりするわけですから、(笑)これは非常に申し訳ないなあと思ったりもします。しかし、過去の行いが良くなかったのか、様々な宿業を背負って生まれてきたわけですから、最初から立派というわけにはいかない。また不幸な人間が幸福になることを証明するためには、最初から立派ではうまくない話です。不幸な人ほど使命が大きいとなっていますので、そういう意味では私なんか使命が大きく生まれついたものだと、一瞬、呆然としてしまいます。(笑) さてさて皆さんはいかがなものでしょう?

 私は以前、地区の婦人部の方から「師弟不二」というのが良くわからないと聞かれました。(こちらも聞きたいぐらいですが・・・(笑))それで「師匠と弟子が一体ということですから、あなたが池田先生の心に合わせて、一つの心で広布の戦いをする。生きて行くということではないですか?」とお答えしました。するとその婦人は「そう言われても、恐れ多いですし、やはり先生は凄すぎて雲の上の方です。こんな自分が一緒というのは・・・とても私はそんな立派ではありません。」と返事が返ってきました。「いえいえ、不二なので私こそ、この地域の池田大作だと思って生きて行かないといけません。心の問題なので意識革命しましょう。」と言いますと、その方は、しばらく目をパチクリさせておられました。



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 もちろん、婦人の方の気持ちはよくわかります。私だって先生と不二です・・・なんて人前ではおこがましくて言えないですし、それだけ立派な信心をしているわけでもありません。(笑)

 でもやはり法華経の原理から言うと、師と弟子は一体不二でなければいけないので、そのぐらいの心意気は持って生きる、あるいはいつもそう言い聞かせながらいくべきではないかと思うのです。

 そうでないと池田先生と一緒に学会の看板を背負うわけにはいきません。
その意味で「師弟不二」と言っても、結局は弟子の自覚で決まると思うのです。だから「私なんか・・・」という考えは捨てて、スッパリと「私はこの地域の池田大作です、創価学会です」と決めきってやるほうが、潔いと思うのです。
 
 池田先生は戸田先生とお会いになられた瞬間から、もう師弟不二の世界に入られました。私なんか30年たってようやくぼんやりと気が付いてきたようなものです。それほど毒気が強く染みているのでしょう。

 キリスト教などはいつまで修行しても神にはなれないと聞きます。全能の神はそれこそ雲の上の存在です。しかし日蓮仏法は「あなたが仏です、早く思い出してください。」と呼びかけてくださるのです。一人一人が『南無妙法蓮華経・日蓮』と早く生命に宝塔を建てて幸せになりなさいと、それはもう惜しげもない大サービスの宗教なのです。仏様がそう言ってくださるのですから、こちらは素直に「わかりました。その言葉を信じます。」といった方がいいと思います。「それは恐れ多い」というのは謙虚なようで、時には仏法からそれてしまうと思います。

 私は仏です、日蓮大聖人と同じ生命です、そして池田先生とも不二の師弟です・・・そういう自覚を持って、決めきって信仰していくことはとても大切なことです。私なんかもっと早くからそうすればよかったと反省しています。

 異体同心の本質を御書では「水魚の思い」と表現されています。その心に信心の功徳も備わっていく。大聖人様も池田先生も別の世界の人、自分とは違う人と思った時から、血脈はぷちっと切れてしまいます。(笑)

 地域にあって「創価学会の○○さん」そう言われることは人間として最高の名誉です。それで馬鹿にされたり、悪く言われたりするのは、仏法に無知な世間の人の勝手と思えばいいではないでしょうか?(笑)


 どうせやるなら、中途半端ではなく、体のどこを切っても学会魂がほとばしるような、そんな鮮烈な信者になってこの人生を駆け抜けていきたいと思います。それでどこに連れていかれようと本望だと、腹をくくるのが師匠に対する誠意、誠実というものだと思います。



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Comment

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簡単なようで、簡単でないです。
私の支部にいる人で、金銭的にとても不自由なくしかも、そこら辺のお金持ちではないすごい人がいます。その方何をしたらあなたみたいになれるかと、お聞きしたら、池田先生のご指導をそのままやっただけと答えが帰ってきました。
やはり自分がなりたいものになるには、師弟不二しか、ないのですよね。簡単なようで、最も難しいです。
2014年07月20日(Sun) 19:55
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いとよしさん いつもありがとうございます。先生の指導通りやるのはそれは大変です。でもなんとか心を合わせて行く。ダメでもまたがんばって合わせて行く、その繰り返ししかないと思います。魔法のように簡単ではありません。だから一生戦いだと思います。弱い自分に打ち勝って、題目と折伏をやり切るしかないと思います。それが本当にできて幸せにならないなんてことはないからです。私も頑張りますので、いっしょにやりましょう!
2014年07月20日(Sun) 22:54
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それはもう惜しげもない大サービスの宗教
実感
頑張っている姿 その姿自体が仏って ある方に言われて もう嬉しくなっちゃいました
いつも希望を分けてくれる王者の剣さん
感謝 感謝です
2014年07月21日(Mon) 07:48
初投稿です
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王者の剣さん、お邪魔致します(*^▽^*)
『先生の指導通りやるのは大変』そうですよね、

婦人部に対するご指導↓
『御主人が仕事から帰ってきたら三つ指ついて迎えなさい』
これがなかなか実行できません(笑)

でも、『どんなに喧嘩しても朝は笑顔で送り出すこと』
これは今のところ実践できています(*´▽`*)💦

全部が全部実行するのは並大抵ではありませんが、少しでも『先生の境涯に近づこう、触れていこう』という心が大事ですよね。
2014年07月21日(Mon) 21:48
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糸吉いときちと申します。
2014年07月21日(Mon) 22:44
こんばんは。
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ランさん コメントどうもありがとうございます。三つ指ついては戦後の頃のお話ですよ(笑)今は顔見て「お帰り」と言ってくれればいい方です。朝、笑顔で見送りなんてすごいですね。うらやましい限りです。(笑)題目をあげぬいていけば、ある日から香峯子夫人になれますよ・・・きっと.。 そうなると本当の「香峯子ラン」ですよ。(笑)

2014年07月21日(Mon) 22:53
Re: タイトルなし
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糸吉さん 了解です。今まで知りませんでした。(笑)
2014年07月21日(Mon) 22:56
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糸吉さん おはよー
「そうなると本当の「香峯子ラン」ですよ。(笑) 」
座布団 1枚
私のブログじゃないから 代わりに 王者の剣さんが あげておいてねー
2014年07月22日(Tue) 10:16
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いえいえ、先生の奥様の境涯には、まだまだほど遠いです( ̄▽ ̄)💦
『貯金はいくらある?』と聞かれて、『まだ一円ございます』とつつましやかに言えません( *´艸`)
2014年07月22日(Tue) 14:11
Re: タイトルなし
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ランさん いろんな話を御存知ですねえ。まさに人は一瞬の一言、受け答えにその人の境涯がでますね。言葉恐るべしです。言葉は言葉でなく命です。池田先生は一言で相手を変えらる・・・同じことです。腹の座った奥様のお答えに先生はどんなに安心されたことかと思います。「まだ一円・・・」の言葉に会長夫人としての妙法流布に命をささげる「ド根性」を感じます。まさに会長就任とともに池田家の葬式を出されていたんですね。いいお話をありがとうございました。
2014年07月22日(Tue) 15:17
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【一瞬の一言 受け答えの言葉に その人の境涯がでる】
【言葉は言葉ではなく命】
↑深いですね。
言葉って大切なんですね。何気に発した言葉、その時の感情でつい口走ってしまった言葉が相手を深く傷つけてしまったこともあったので気をつけます。こちらこそ、ありがとうございましたm(__)m
2014年07月23日(Wed) 07:54
Re: タイトルなし
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ランさん 「わざわいは口より出でて身をやぶる・さいわいは心よりいでて我をかざる」と御聖訓にある通りです。舌先三寸や信念のない言葉、嘘やお追従、人を攻撃する言葉がいかに世の中にあふれているか・・・自分も反省しきりです。浅い生き方の人には浅い言葉が、深き生き方の人からは信念と真実の言葉が紡ぎだされるのだと思います。それは人の魂を揺り動かします。池田先生です。それに比べて自分は・・・コンチキチンですね。(笑)自分を磨き、真実の人になりたいものです。ランさんなら大丈夫ですね。

2014年07月23日(Wed) 09:50
興味深く拝見させていただきました
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※ 私は仏です、日蓮大聖人と同じ生命です、そして池田先生とも不二の師弟です・・・そういう自覚を持って、決めきって信仰していくことはとても大切なことです

まったく同感です。
まず自分自身にこの確信がないと、相手も「仏」であることが信解できないでしょう。
最近の聖教新聞に信心の大先輩のインタビューが紹介されますが、自身の弘教の活動が体験あってはじめて「そうだそうだ」と身で読めるという趣旨の発言がありました。
不二とは、師匠の行動を頭で理解することではなく、同じ事が自分でもできるんだと
覚悟をきめることだと思います。
2014年07月24日(Thu) 17:21
弟子の覚悟
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あべひ様 コメントありがとうございます。仏様と師匠は大山の如くそびえています。あとはそれを求め行く弟子の覚悟で決まると思います。不二の世界をめざして理から出発しますが、色心を仏法に捧げ精進することによって、仏の生命を事で教えてくださるのだと思います。理の上での答えは最初から出ています。身で読むために凡夫が整えなければならないのが、心であり志ではないでしょうか?仏に通じる心と、唱題、折伏の実践無くして仏法を信解することはできないと思います。いつか仏になるのではなく、今仏と覚悟する、決めきる・・・それから仏法が我が生命に、生活に脈動し始めるのだと感じています。
2014年07月24日(Thu) 23:30
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創価の看板を背負って、いざや前進と卒業して30数年となりました。仲間のほとんどは公明党県議市町村議員、学会関係職員、公務員になりました。そんな仲間と、かなりかけ離れた所にいるのが私です。でも、最近は、それもいいのではと思います。人、それぞれ役割があるように思います。自分では、転んでばかりの人生で創価の看板を汚している人生と思っていました。しかし、転んで傷ついて、絶望し、悔し涙を流し、泥まみれになり信心しているのは意味があると思うようになりました。もう少ししたら、確信になると思います。そう思うと人生楽しくなります。
2014年07月25日(Fri) 00:37
Re: タイトルなし
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うるとらまんさん 私も落伍者の人生でした。周りは先生や公務員が多いですよ。彼らは今、退職金をもらって定年後の年金生活のことなど考えています。こちらは貧すれど広宣流布と一生成仏の戦いの真っ最中です。(笑)どちらの人生がいいか、人それぞれですが、私はこの信心に賭けました。誇りこそあれ、悔いなどありません。御本尊様と共に生きていければそれが無上道です。裕福に安穏に暮らしていける福運があるのに、衆生を救うため、自身が仏になるために、わざと今の不遇な境遇を演じているのですよ。「地涌の菩薩」でないとできない真似です。ドンマイ、ドンマイ(笑)
2014年07月25日(Fri) 09:40












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