2016
11.12

体験発表

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 先日はわが地域で圏の記念総会があり、圏長から指名を受け、私と家内二人で体験発表をいたしました。

 圏長に「他にもいい人がおられるのにどうして私達に?」と聞きましたら、「今、圏でもっとも輝いているからですよ。」との事。「確かにあちこち輝いていますが・・・(笑)では家内がOKすればやりましょう。」とその場でお受けすることにしました。

 後は家内をどう口説くか・・・作戦を練りつつ帰ってその話をしましたら、「私やるよ!」との返事。拍子抜けしましたが、本来、私とは違って物おじしない奥さんです。

 当日も体験発表が成功するように一緒に題目をあげるつもりが、「私はうまくやる自信があるから」と言って、娘と買い物に出かけてしまいました。(笑)題目をあげないで堂々、学会活動できる珍しいタイプの人です。(決して真似はしないように願います。(笑))

 たいていの人が大勢の前での体験発表と言いますと、尻込みされるようですが、長年信心しているなら体験談を堂々、語れるようでありたいですね。

 どんな小さな体験でも良い・・・機会がめぐって来れば「やります!」と手をあげる方がいいと思います。体験発表をやることが、実は素晴らしい活動であり、勇気を出す体験そのものです。「声、仏事を為す」との言葉通り、多くの人に信心の功徳を語る・・・それは仏を讃嘆することであり、同志を勇気づけることとなり、広宣流布の波動を広げる歓喜と感謝の立派な「化他行」です。

 家内は病によって信心に目覚めていく自己の体験を、私は34年の信心で自分の内面がどう変わったか自身の人間革命を中心にお話しました。そして、最後に地域の広宣流布のために一生懸命戦っていくことを、皆さんにお誓いいたしました。

 「お金が儲かった」「病気が治った」という体験は目にもわかりやすいですが、生命の功徳というものは言葉では説明しにくいものです。しかし、本当の人間革命は「心の財」ですので、あとは自分の「十如是」を見て感じてもらうしかありません。

 その意味で私は当日、内容もさることながら、声の力が大事だと思っていました。「確信ある堂々とした声」、「歓喜あふれる声」、「張りのある健康な声」によって、私の「蘇生した生命」を感じてもらおうと思ったのです。

 会合の後、普段、お話しない会員の方からも「すごく良かった」とたくさん声をかけていただきました。ある婦人部の方からも「初めて聞く体験で感動しました。」「こんないい体験をお持ちの方だとは思っていませんでした。」男子部からも「僕も負けずに頑張ります。」等の声をいただきました。本当に同志はありがたいものです。

 婦人部、女子部の方はストレートにありのまま感想を言ってくださいますね。また壮年の方からも今回は多くの感想をいただきました。私も以前、名前も知らない方の体験談の後、階段を追いかけていって、「良かったです。感動しました。」と言いに行ったことがあります。やる方からすれば勇気を出して発表するのですから、一言でも声掛けしてもらうと嬉しいものです。

 総会の模様は婦人部がアルバムにして先生奥様に届けるそうです。「先生、ありがとうございます。あんなにもひどかった私ですが、こんなにも蘇生して、元気に学会の先頭に立って頑張っていますよ。」そんな歓喜の心をお届けしたいと思います。






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2016
08.31

先生のメッセージから

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 少し前ですが、7月30日付の聖教新聞に、池田先生の全国最高協議会へのメッセージが紹介されました。

 一部を抜粋しますと・・・


 「釈尊、そして御本仏の広大なる慈悲を体し、荒れ狂う娑婆世界で大法を弘通しているのは、学会しかない。戸田先生が「創価学会仏」と言い切られた所以である。」

 「学会が勝ち栄えなければ、広宣流布は断絶してしまう。学会を守ることが妙法を守ることだ。学会を永遠ならしめることこそ、慈折広布を永遠ならしめることなのである」

 「学会の永遠性を確立するのはまさに「今この時」なのであり、この「地涌の本懐」を宿縁深き同志と一緒に、断固と成し遂げていきたい」


そして最後に「原田会長を中心に、油断を排し、一切の魔を打ち破る祈りと「水魚の思い」の団結で、常勝の大前進を」と念願されています。





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 先生が終始、原田会長以下の現学会を信頼し、その前進を見守っておられることがメッセージからもよくわかると思います。
一切の魔を打ち破る祈りと「水魚の思い」の団結で、魔を見破って学会を守っていきなさいとの仰せです。


 近年の一連の改革(広布大誓堂建設、会則改正、新勤行要典)などは私もすべて池田先生のお考えであったと思います。そしてもう一歩深くそれを考えるなら、池田先生が御本仏日蓮大聖人の御仏意を受けて、具体化されていったものだと思います。


 日蓮大聖人の願いは広宣流布であり、一切衆生の幸福です。一人でも多くの民衆が信心を遂げて「一生成仏」していくために、「創価学会」と「創価三代の会長」を呼び出だされ、平成になっての宗門からの独立、そして今日の改正等の流れと、すべては御仏意、御仏智として創価学会の中に具現化されていった・・私はそう確信するようになりました。

 「後顧に憂いなき」という言葉がありますが、後のものが安心して信心に励めるように、どこまでも手を打ってくださる師匠に「先見の明」を感じるとともに感謝の思いは尽きません。

 インドやアフリカを始め、世界広布は今、歴史的画期を迎え、旭日の昇るがごとき勢いです。その時に長行の五座三座の勤行では世界広布の足かせになります。忙しい現代人にとって、「方便自我偈」を一回にして、お題目をできるだけ唱えるという、現実的、価値的なスタイルも時代にふさわしいものであり、会員に喜ばれ定着しました。

 また宗門の権威に会員を縛り付けるのではなく、伸び伸びと民衆が広宣流布に向かえるようにしてくださったことも、すべては民衆のため、広宣流布のためという発想の賜物だと思います。

 創価学会がなければ世界広布など夢のまた夢です。おそらく他の誰も成し遂げることはできないでしょう。創価三代という御本仏直結の師匠が指揮をとられたがゆえに可能になったことは歴史の事実であり、仏意仏勅の団体として「仏力法力」が流れ通わなければできるものではないことを確信します。

 素晴らしい師匠に連なっていける地涌の菩薩の誉れも高く、皆さんと共に「人間革命」の坂を登っていきたい・・・昇りくる朝の太陽に誓いながら、今日もまた前進したいと思います。





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2016
05.31

宗教界の王者

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 宗門問題が起こり、学会が宗門と決別し独立を勝ち取ったことは、広宣流布が進展していく新たな原動力になりました。それまでは宗門、猊下を仰ぎ、その指南に従うということが在家の条件のようにあったわけですが、あまりにひどい猊下が出てくれたおかげでその足かせもとれることになりました。

 これからは学会独自の進め方で心おきなく広布の戦いができる…世界に向かっていくには申し分のない環境が整っています。聖教新聞もネットで即日世界に発信できます。連日、聖教新聞には海外の広布進展の様子が誌上をにぎわすようになりました。

 世界広布ですので相手はキリスト教やイスラム教社会、そして共産主義社会など…様々な宗教やイデオロギー、文化に、仏法を携えて対話に乗り出す時代です。外国語の一つぐらい話せないと世界広布はできませんが、それができなくても外国語を話せる人を折伏して、海外に向かってもらうという方法だってりっぱな世界広布です。(笑)

 「ハロー、日蓮仏法最高ネ!歓喜、折伏、関西スピリッツ!オー・マイ・ニチレ~ン!」ぐらいの英語力でも相手のハートを鷲掴みにするような生命力があればきっといけますね。(^_^;)


 往々にして私達は考えの違う相手に対しては身構え、理論を用い、時に批判の応酬になりがちです。これは考えて見ますと非常に人として、対人関係の能力の低さを露呈しているように思います。身構えること自体、臆病な証拠ですし、違いを受け入れられない心も自分のキャパシティの狭さに問題があると言えます。これからは自分と相違する人の懐にも飛び込んでいく必要があると感じています。

 宗門などなおさらというしかありません。「歓喜の歌」でさえ、キリスト教讃嘆だとのたまう偏狭な心は、まるで国際性のない人間主義とかけ離れた封建的な島国根性を見るようであります。

 大聖人様もそのことを見越して在家に広宣流布を託されました。そして仏意仏勅の創価学会が出現することは、大聖人様の御一念であったと私は思います。

 池田先生は海外の識者と懇談する際にも、相手の宗教、思想を批判するのではなく、「理解と対話」「尊敬と友情」という人間主義を基調にお会いされます。それは先生の大きな境涯がどんな相手をも受け入れて余りある・・・まさに大海が小河を前にした悠然たるお姿と言えます。

 他宗教の方に会いますと、我々はすぐに仏法の正邪で折伏をしないといけないように思います。私も経験がありますが、そんな場合、「あなたの宗教は間違っている」と一方的に言っても、会話はそれ以上、続きません。また相手がそれで改宗するということもありません。「相手の謗法を破折した。これで与同罪は逃れた」などと思っても、それは独善的な自己満足に過ぎないことが多いものです。池田先生がキリスト教やヒンズー教の識者に「あなたの宗教は間違っている、地獄に堕ちますよ」などとは言われませんよね。

 「理解と納得、共感」を生じさせることこそ、対話であり、折伏に通じていくことを学ぶべきだと思います。その振る舞いがあったからこそ、創価学会は世界に受け入れられ広がりました。他宗がいくら逆立ちしても太刀打ちできるものではありません。今日(こんにち)の世の中で自宗をこれだけの勢いで世界に弘めているのは創価学会だけなのです。

 「創価学会は宗教界の王者である」とは戸田先生の火を吐くがごとき言葉です。まさしく日蓮仏法はすべての哲学の王者です。そして王者の信仰を持った我らはまさに「人間王者」です。ならばそれにふさわしい振舞で仏法の偉大さを周囲に示していくことが使命だと思います。

 日頃、折伏相手は私の人柄や振舞、顔の表情や対話の受け答え・・・そんなところで創価学会を感じ、私の人間性を感じています。たとえお金や名誉、地位がなくても、一人の人間として魅力、味がある・・・明るく輝いて爽やかだ・・・そんな自分でありたいと思います。それもりっぱな「人間王者」の姿ですね。

 さて、今夜は本部唱題会・・・先週も本部長宅の前の川には蛍が飛んでいました。今宵はもっとたくさんの蛍が唱題に集う同志を歓迎してくれることでしょう。「蛍火」に笑われないような「日月」のような明るい題目で、皆さんと呼吸を合わせていきたいと思います。

「此の経文は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし」(千日尼御前御返事1310P)・・・大好きな御文を心肝に染めて、法戦にも悠々歓喜と舞いゆきたいものです。






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2016
05.15

下女のはらよりむまれたり

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 創価学会によって、戦後、多くの人は妙法を知ることができました。貧しさと病と闘いながら宿命転換をかけ、折伏戦に打って出られた先輩諸氏の戦いがあって、私達も妙法をたもつことができました。その恩を決して忘れてはならないと思うとともに、やはりその恩には折伏をもって報いたいものです。私も会う人毎に常に歓喜で仏法を語りゆく自分となりました。

 一人の人を折伏すれば、その人がまた新たに一人を折伏をする。その小さな流れはやがて広布の大河、燎原の火となって、大民衆運動へと広がっていきます。本来、創価の世界は権力でも金の力でもない、歓喜に燃えて折伏に立ち上がった無名の庶民の怒涛の戦いが作り上げた清浄な世界であります。

 今、さも自分たちが正しいように語る反創価の脱会者達も、もとはと言えばみんな創価学会の折伏によって妙法を知り、戸田先生や池田先生の指導、著作によって仏法を学んだ人々に違いありません。

 私の近くの正宗寺院の僧侶も創価出身者であります。しかしながらその大恩を忘れ、自らの保身のために創価を誹謗する変節漢となり果てました。その姿は正義のカケラもない忘恩の徒の姿であり、信念無き畜生を見る思いであります。




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 私の好きな『十字御書』には「蓮はきよきもの泥よりいでたり、せんだんはかうばしき物大地よりをいたり、さくらはをもしろき物・木の中よりさきいづ、やうきひは見めよきもの下女のはらよりむまれたり」とあります。

 楊貴妃(ようきひ)が下女の腹から生まれたように、私達のような穢れ多き悩み多き凡夫に仏の生命はおわします。まさに「凡夫こそ仏である」・・・これが日蓮大聖人様の仏法の肝心、真髄ではないでしょうか?

 特定の権威や御本尊にひれ伏すことなど、もとより大聖人様の仏法ではありません。「竜の口の頸の座」にお供した四条金吾殿に「設い殿の罪ふかくして地獄に入り給はば日蓮を・いかに仏になれと釈迦仏こしらへさせ給うとも用ひまいらせ候べからず同じく地獄なるべし」(崇峻天皇御書1173P)と、大聖人様は仰せになられました。どんない苦しい時であってもこの御文を拝し、「地獄にあろうと大聖人様はここにいてくださる」との確信を燃え立たせてきました。

 どこまでも民衆と共に、民衆に寄り添い、苦悩、苦難を共にされるのが、仏様の慈悲であり振舞です。
民衆の集いである創価学会、信徒を見下し、僧侶が上などと申す根性は、およそ仏法とは縁遠い悪鬼の所業であり、日蓮仏法とは似ても似つかない邪教であります。

 知恵ある人もなき人も、平等に唱題行と「信」の力によって得道できる信心です。「愚者の持ちたる金も智者の持ちたる金も・愚者の然せる火も智者の然せる火も其の差別なきなり」(松野殿御返事1381P)聖人の唱える題目も我ら凡夫の唱える題目も、経の心に背くことがなければ変わりはないとまで仰せです。  

 特別な人などいない・・・大聖人様と私達、池田先生と私達は一つであり、師弟の道に生きることを覚悟するなら、仏様の力も先生の力も私達の生命に流れ通い漲(みなぎ)ります。それによって小我が大我に、凡夫が仏になることは、仏法の上での約束であり、100発100中、どなたもそうなることは間違いありません。私がそしてあなたが仏であることに絶対の確信を持たねばなりません。

 今日も「我仏なり、日蓮大聖人なり、池田先生なり」との大確信に燃えて、心一つに高らかに題目を唱え、広宣流布という聖業にともどもに参加し、偉大なる人間革命を成し遂げようではありませんか!





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2016
05.06

信は道の源功徳の母

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 私は凡夫であり迷いの衆生ですが、迷いがあるということは何が正しいのかわかっていないということです。「大聖人様の仏法が正しいとわかってらっしゃるのでは?」といわれても、それは頭でわかっている、身体で少し知っているという程度であって、「まだまだこれからです」というほかありません。

 昔、宗門側の人達が数人そろって私の家へこられたことがありました。手には御書を持って、私に改心を迫るべくやってこられたのです。

 その時、何の御書かも忘れましたが、「この御文に照らして創価学会は間違っている。わかりますよね?」と相手は言うのです。御文といってもわずかに一、二行だったように思いますが、それで創価学会は間違っていると言い切るではありませんか?

 それで私は「御書をわかるというのは私には恐れ多いことであり、私はどこまでも御書を信じていく立場です。」と答えました。創価学会であれ、池田先生であれ、これまでわかろうというより信じてついてきたのです。それで長い年月をかけて心と心が「異体同心」となり、学会は正しい、先生は正しいと生命でわかったのです。生命でわかるともう誰からも何があっても崩されることはありません。

 なまじ頭のまわる方が陥るところは、何でも自分の智慧で浅薄にわかったと思いこむところではないかと思います。その人達も御書は多少拝していたかもしれません。しかし、その読み方は自分達の考えを正しいと思うために御書を利用する読み方であり、それ故に「切り文」になるのだと思いました。その心の底には「御書は読めている、わかっている」という驕慢があると私には見えました。

 戸田先生は「御書がわかったといったら増上慢だ、わかんないと言ったら謗法だ」と言われました。それを読んだときは「一体どうすりゃいいのさ・・・」と思ったものです。(笑)
今になって見ますと、わかるわからないではなく、「どこまでも信じていきなさい」「信解なのです」と言われているのだと思います。

 身体の悪い人にとって、身体の構造を知ることは目的ではなく、身体を治すことが目的です。それと同様に不幸の強い私は、ひたすら幸福になりたい。三世に崩れなき幸福を獲得することが目的なのであって、そのためには何よりも強い「信」が必要になります。その「信」を高めるための教学であり、理論であるはずです。私自身も内なる不信の命を打ち破るために長い時間がかかりました。

 有名な新池御書には「有解無信とて法門をば解りて信心なき者は更に成仏すべからず、有信無解とて解はなくとも信心あるものは成仏すべし」とあります。(p1443)竜女や修利槃特のように、この御文を証明する一人でありたいものです。

 「南無妙法蓮華経」の偉大さ、不思議さなど考えてもわかりません。みんなわからない中を信じて行く。だからこそ仏様も凡夫の「信」の志を尊くまたありがたく思われるのでしょう。その意味で我々にとって「信」こそがすべてだと言っても言い過ぎではありません。

 御本尊様に対して大確信を持つ・・・それができるようになって、私の生命も安心し、迷いの霧は晴れ、歓喜と感謝に溢れた力強いものとなりました。まさに「信」こそ「道の源」であり「功徳の母」です。強く信じる心があれば「信力」「行力」以外の策や智慧など不信の属物のようにさえ思えるものです。

 どんな状況であれ信心が強ければ、生命に勢いが出て立ち上がっていけます。そして「信」のみで我らは「蘇生の道」「成仏の道」に入れるのです。まさに「法華経を信ずる心強きを名づけて仏界と為す」(日寛上人)です。「自分はこの信があればもう大丈夫、人生に勝利するのだ!」とそう言える大信力が出れば即「勝利」の日々となります。

 娑婆世界を悠々自在に舞い、桜梅桃李の花を見事に咲かせるために、創価の皆様、ともに強い信力で前進して行きましょう!





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