2017
01.07

2017開幕です。

Category: 徒然の記




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皆様、新年あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。




 今年は新年勤行会とともに、創価大学箱根駅伝出場で開幕いたしました。駅伝では順位が落ちたかと思うと、また順位をあげてと、ハラハラしどうしの、まさに学会員の人生のような、(笑) レースとなりました。最後は12位という素晴らしい結果でしたね。

 1日の勤行会では、地区で新入会者が2名誕生し、私も前後、家庭訪問、御本尊ご安置とお世話に走りました。一人は高齢の婦人の方でしたが、徐々に親戚からの強い反対が起こり、本人も当日まで入会に苦悩されるという状況で、そのたび激励に伺いました。ある時など朝、6時ごろにお電話をいたいたこともありました。

 紹介者、組織とも連携して、最後は無事に御本尊を受けられたわけですが、まわりの反対もさることながら、結局は本人の意志、決意ですべては動いていくものです。地区一同、必ず入会していただこうとの一念で、年末は唱題にも励みました。本人には「まわりではなく自分ですよ。」と折あるごとにお話ししました。

 これに弾みをつけて、今年は大いに折伏弘教に力を入れるべく、地区の皆さんと団結してやっていこうと思います。

 昨日の聖教新聞『池田先生と共に新時代を進む』には「共々に若々しく張り切って「一生成仏」「人間革命」という自転と、「広宣流布」「立正安国」という公転を、たゆまず進めてまいりたい。」と指導されています。

 自転と公転が絶妙のリズムで動いているのがこの宇宙ですね。我らもそのリズム・軌道に載れば、歓喜に包まれ、自分らしく幸福を開いていくことができます。

 普段の生活や姿にさほど立派さがなくても、心の奥底は池田先生と一緒に広宣流布に向かっていく・・・その心、活動に福徳が集まらないわけはありません。池田先生という師匠も、自分を自転に見立てれば公転の力だとも言えます。池田先生の大きな境涯のギアに、自分という小さなギアを噛ませていけば、その瞬間から師匠の大境涯に連なり、自身も大きく成長することができる・・・そこに「師弟不二」の偉大で不思議な力が顕現するのだと思います。私もさらに今年は「師弟」の道を求めていきたいと思います。

 また先生は四条金吾殿への御書の一節から「法華経を持たれる人は、一切衆生の主であると、仏はご覧になっているでしょう。また、梵天帝釈も、この人を尊敬されるであろうと思えば、うれしさは言いようもありません。」(1134通解)の御文を引かれ、広宣流布に励みゆく学会員こそ、人類の中でもっとも気高き使命を担うリーダーであると述べられています。

 「自分は仏である」「気高きリーダーである」との、自負と確信を持って信心に励むことこそ、歓喜の源であり、自分を大きく育てる柱となる確信だと思います。「私なんかとても・・・」とか「それは無理」とか、「池田先生は雲の上の人」とか、そういう弱気などこか卑屈な根性はきれいさっぱりと捨て去って、胸を張って、「私こそ王者、王女」の気概でいこうではありませんか?

 自分から進んで広宣流布の戦いを起こしていこう・・・その決意で今年もより一層「能動の信心」で前進したいと思います。他者の幸福のため、自身の幸福のため、「人間革命」を満喫し、苦楽ともに思いあわせて題目に励みながら、大勝利に向かって歩む一年でありたいと思います。






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2016
12.12

闘志満々

Category: 徒然の記
 


 来年に向かい、折伏、広宣流布に一念を定めて祈っておりましたら、12月に入り、地区に入会希望の連絡が2件入りました。こちらは山深い過疎の村ですので、突然の入会事件(笑)に驚くやら、うれしいやら、自分でも何か不思議な力を感じています。

 長年、祈り抜いてきた山が動き始め、大きく開きそうな「時」が来たことを感じます。

 「一心」、「一念」というものは波動を起こしていくものです。まして妙法流布を念ずる「一念」です。仏様に通じないわけがない・・・そのことが顕現してきたのだと思います。
いずれも私の個人折伏ではありませんが、地区を運営する立場の者として、新入会ほど嬉しいニュースはありませんね。





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 最初に連絡があったのは、隣の地区の男子部員N君の折伏です。その折伏の相手が私の地区にお住いの婦人ということで、圏男子部長から連絡があり、我が地区で座談会を開き、N君と共に参加していただきました。一人暮らしでやや高齢のかたですが、N君の日頃の振舞に信頼を寄せられ、、今の悩みや今後の事も含め、しっかりとした信仰を持ちたいとのことでした。

 先日、支部婦人部長、N君と共に家庭訪問、その方の話をさらに詳しくお聞きし、また学会の信心について説明もいたしました。そして昨日ですが、「謗法払い」も無事に行うことができました。

 もう一件は地区の婦人部員のTさんから電話が入り、「うちの娘が入会したいゆうてんねん、○○部長、一回会ってやって。」とのこと。それで翌日、訪問して娘さんと面会いたしました。

 こちらは波乱の青春というか、長年、母親に行方すら知らせていなかったようです。その間、同棲した男性との間に男の子二人ができましたが、男性が遊び人で、今も施設に子供を預けたままだそうです。その男性とも最近、不仲になり別れ、それでようやく母親の元へ帰ってきました。

 信心に励むお母さんの姿、生き方が昔と違っていることに気づき、自分も変わりたいとの思いで、入会を希望されています。

 私の方からはこの信心の功徳について話をしました。「まずは子供たちを引き取って、一緒に生活していけるよう、そこを目標にやりましょう!」と励ましました。

 お二人ともおめでたいことに新年勤行会での入会の予定です。これから婦人部と連携をとりながら、魔に隙を与えぬよう、しっかりとお世話したいと思います。

 私の一念は「広宣流布」に定めています。来年の同志への年賀状にも「折伏弘教」と認(したた)めました。地域に革命を起こすぐらいに怒涛の大前進をしていこうと「闘志満々」です。

 今回のお二人の入会はこの地区が発展していく瑞相だと私は捉えています。「これに勢いをつけて、どんどん折伏しなさい」との、御本尊様からの激励だと感じています。竹の節が一つ割れれば余の節が次々割れるように、この「時」を逃してはならない・・・いよいよ一心不乱に「広宣流布」の戦いをしたいと思います。

 折伏戦ほど楽しい活動はありません。それでこそ信心が面白い・・・入会に結び付いたことで地区全体にも歓喜の波動が広がりました。私一人という考えではなく、地区全体で一致団結しての折伏戦にしたいと思います。

  そんなわけで私の2017年はすでにスタートしてしまいました。(笑)
  こうなった以上、年の瀬も正月も返上して、歓喜の闘争です。





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2016
09.09

「感謝するから幸せになる」

Category: 徒然の記



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 <幸せだから感謝する>以上に<感謝するから幸せになる>のである。

 これは池田先生の「ありがとうは奇跡の言葉」(「人生は素晴らしい」より)という一文の中の一節です。信心していくものにとって、この言葉は深く考えるべき言葉ではないかと私は思います。

 世間では「お金持ちになり悠々自適にでもなれば、感謝するよ」といいます。確かにそうかもしれませんが、仏法ではまず感謝できる自分になることが先で、その後に幸せになるのだというのです。ですからお金持ちになろうという願いよりも、感謝して生きていける自分になることの方が先に来るべきなのかもしれません。

 私自身もお金も欲しくて信心してきたのですが、気が付くとお金より「感謝や歓喜」の方が先にやってきました。こんな私にも他者の幸福をガンガン祈りながら毎日を生きる・・・自分のこともままならないのに、そんな世界が俄然、開いてきたのです。

 「ネットだから王者の剣はまたきれいごと言ってるよ」と言われそうですが、「六根清浄」の功徳ある信心をしているのですから、30年もやってそうならない方がおかしいのだとも言えます。

 「感謝するから幸せになる」・・・これを応用しますと、「楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しいことが起こってくる」「元気だから人を励ますのではなく、人を励ますから元気になる」・・・という風にすべて、物事の順序が逆になってくるのです。信心が強ければ病気に感謝、貧乏に感謝、そして御本尊様に感謝となり、それでその苦しい宿命に勝てるのだと思います。

 私の地区でも「今の私では誰も信心しない。もう少し幸福になったら折伏する」という人がいます。それでは駄目ですよね。貧乏でうだつがあがらない自分のままで折伏に歩くから、仏様から功徳をいただいて立派になっていくのですから。

 この一文には次のような一節もあります。

 「ありがとう」と言えない時、人の成長は止まっている、成長している時、人は他人のすごさが見えるからだ。成長が止まると、人の欠点ばかりが目につくからだ

 うーん、まさにこの通りですね。「人を見下げて高いところにいたい、自分が中心でないと面白くない」・・・そういう根性の人は「ありがとう」が出ないものです。人の欠点をあげつらうことによって、自分を立派そうに見せる・・・そういう人は成長が止まっていると仰せです。人の素晴らしさを感じることができるか・・・そこに人を鏡として自分の成長も見えるというものです。

 
 昨夜は同中に参加しましたが、素晴らしい同中でした。海外の友の弾ける笑顔・・・「青年よ21世紀の広布の山を登れ」の大歓喜の合唱に私も心が打たれました。家内も感動していました。明日は外部の友人を連れてもう一度、同中参加です。その友人も任用試験を受けてくれることになりました。(笑)

さあ、行動の秋きたる・・・私も一段とエンジンを吹かして、他者の幸福のため、地域を奔走したいと思います。





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2016
08.23

人はみなダイヤモンド

Category: 徒然の記
 

 
 私の地域では昨日(21日)、未来部の「創価ファミリー大会」が開催されました。私も男子部とともに未来部担当者の一人なのですが、若い男子部の面々と活動することは楽しみでもあります。彼等といるとその清々しさにこちらの命の濁りを感じ、また浄化されゆくように思います。命を洗濯するようなその感覚が私は好きです。

 当日、会合では私は記録係ということで、演目のスナップや参加者の集合写真などを撮影いたしました。

 学会の体験談には生活上の功徳の話が多いのですが、私の場合は生命内奥の変革に功徳を感じることが多いです。「功徳とは即身成仏なり又六根清浄なり」(御義口伝P762)と説かれます。自分の生命が月々日々に清らかになっていく。もちろん煩悩も三毒も激しい私ですが、一昔前に比べたら、それらに負けない強く清々しい自分が出てきました。自然と笑顔も多くなり、朗らかに生きる日々になりました。




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 歓喜や感謝など内面から現われる心にも「功徳」を感じますが、、自分の境涯として、どう「モノ」が見えるかということに、より功徳を感じます。日常の人や環境という縁に、それを鏡として自分を見ていく・・・時にはひどい自分が見えたりもするわけですが、そんな時こそ「よし、これを変えていこう・・・」と逆にそれらに励まされもします。

 「たとへば餓鬼は恒河を火と見る・人は水と見・天人は甘露と見る、水は一なれども果報にしたがつて見るところ各別なり」(法連抄P1050 )境涯をわかりやすく説かれた御聖訓です。私達も今まで何気なく見ていた光景が、新鮮に輝いて見えることがあるものです。人間の眼について仏法では五眼があることが説かれますが、日々の信心によって「法眼」や「仏眼」が開いて行けば、当然新しい眼を手に入れたように、世界が違って見えてくるに違いありません。その時にはじめて自分の生命にこびりついていた垢や汚れが落ちたことがわかるものです。

 昨日の会合に集ったメンバーを見ていて、私には一人一人が今まで以上に輝いて見えました。元気な人、そうでない人など様々ですが、どの人も私には尊く感じられました。裏方に徹する男子部、一家の宿業との戦いを体験で語った母子、導師を勤めてくれた高校生、ダンスや歌を披露してくれた未来部の子供たち・・・みんなひとつになって、会場全体が私には「仏界」のごとくに思われました。

 実は会合に来る前に奥さんと意見がぶつかって、私には修羅界が出ていたのです。(笑)ところが会場に着いた途端、その会合の空気に私の生命は清められ、にこやかな心持に一瞬で変わってしまいました。(単純やなあ・・・)気が付くと修羅界はどこへやら・・・

 
 司会をしてくれたのは少し地味な感じの中学女子で、緊張のせいかあまり表情がなくて、最後までいい写真がとれなくて困りました。そこで会合終了後に声をかけて、「ちょっと一枚撮らせて」とお願いしました。

 最初は固い表情だったので、「もっと笑って」というと、はにかみながらも弾けた笑顔が返ってきました。池田先生の信州の花畑の大きな写真の前に立ってもらいましたので、その中にもう一つまぶしい花が咲いたようでした。

 彼女にも「仏」を感じながらシャッターを切りました。「この人の生命もまた仏だ。彼女にも無限の輝く未来が待っている。」そう思うと思わず彼女にお題目を送らずにはいられませんでした。

 「今日みたいにどの人も仏に見えてきたら、俺も不軽菩薩やんか、すごいなあ」・・・と思いながら、「いや、そうなるんや。妙法を唱えて仏界を湧現しているんやから、みんなそうなって当たり前やん」と心で納得しました。

 「人はみなダイヤモンド」・・・そんな風に見えたら、その時はきっと我が身にも仏眼が開いているに違いありません。「仏とは究極の人間賛歌の世界や」そんな思いが私の心に広がりました。

 お盆ごろから暑さに少しバテ気味の私でしたが、「創価ファミリー大会」で新鮮な元気をもらいました。座談会、同中とアクセルをふかして、本年の後半戦の開始です。







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2016
08.13

善きことはカタツムリの速度で

Category: 徒然の記



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 日中の暑さは大変なものですが、私の住む田舎では朝晩、少しずつですが涼しさを感じるようにもなりました。一日の変化は大きくなくても、季節は夏の盛りからゆっくりと秋に向かっています。

 「善きことはカタツムリの速度で動く」とはガンジーの言葉だそうですが、信心もやはりその通りかもしれません。私も30年ほど、あまりいいことがない中を辛抱してやってきたのですが、ここ1、2年で大きな変化が現われ、生命に信念とも言うべき何ものかが成就したことを実感しています。

 無冠の友としての聖教配達、拠点会場、王城会、そして日々の勤行唱題、学会活動と、10年20年の陰徳はやはり生命に刻まれ、陽報となってあらわれるものです。地道な精進行に冥益はある・・・これが本当だと思います。

 「祈ってすぐに叶うのは手品の信仰だ。「明日、宝くじに当たりたい」「明日のテストで百点を取りたい」と祈って、簡単にそうなるものではない。しかし、もっと深く、長い目で見た場合に祈った分だけ、全部、幸福の方向に行っているのです。(池田先生・「青春対話」より)

 むしろ簡単に祈りが叶う方が自分を堕落させるとも言えます。思うように行かない中を「これでもか」との思いで、粘り強く信心に励んで行く・・・その試練がいつしか自分の心を金剛の魂へと磨きあげてくれるのだと思います。

 先日、娘と二人、STBモバイルでベートーベン「苦悩を突き抜けて歓喜に至れ」を鑑賞しました。音楽家にとって耳が聞こえないという致命的なハンデの中、また病や経済苦の中で自殺まで考えた境遇から、自分の使命、人生の闘争に目覚め、交響曲第九番「歓喜の歌」などの傑作を生み出しました。自殺して自分をあきらめるか、「死んだ気で戦って見せる」と立ち上がるか・・・その一念の差が人生を大きく分けたのです。「苦悩を突き抜けて歓喜に至れ」・・・これこそ仏法の真髄に通じる人間勝利の言葉です。

 ベートーベンがもし貴族階級にもてはやされ、金銭的にも恵まれた境遇のままであったなら、これほど人の心を打つ作品は作れなかったかもしれません。その意味で、自分が潰されるかもしれない、すべてを奪われるかもしれない・・・そういう逆境、試練こそ、秘められた本当の自分、人としての底力、真価を現わす最高の時であり、条件であることを教えられます。

 「阿頼耶識」と言われる生命の蔵に我らはどのような悪業、宿業を持って生まれたかはわかりません。しかしその絶望的とも言える宿命の奥に「仏」と言う「九識心王真如の都」があることを日蓮大聖人様は教えてくださいました。

 その生命が湧現するところ、どんな悪業も宿命転換が可能となる・・・智慧のない凡夫にも「信」の一字でこの「仏界」を湧現できるのです。この法理を知れば、智慧のない私など喜び勇んで仏を信じ、高らかに題目を唱えたくなります。

「南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤(もっと)も大切なり、信心の厚薄によるべきなり仏法の根本は信を以て源とす」(日女御前御返事、1244P)

 この御文を深く心にとどめながら、今日もたゆむことなく精進していきたいと思います。







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