広布の大河に君ありて tori

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誇り高き「幸の城」



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 昨夜は支部の唱題会があり、新入会の婦人が、紹介者の男子部員とともに参加して下さいました。支部長からも「入会前より、顔が明るくなりましたね」と言われ、30分の唱題を元気にあげられました。何かあるごとに私にも電話が入ります。入会前から築いた信頼関係を大事にして、「学会に入ってよかった」と言ってくださるように、これからも力になっていきたいと思います。

 この信心は実生活と離れてあるのではなく、「信心即生活」とあります。その指導は永遠に学会員の柱とするべきものだと思います。「信心は観念の遊戯ではない」との戸田先生の指導もありますね。信心は行動、実践によって、現実の自分を変革し、周りの環境をも変えていくことを目指します。たとえ相手や環境が悪くても、自分を変革することによって、解決していけるのですから、結局はすべて自分に因を求めるものだと思います。

 その体験をつかんだ人は強いですね。なぜなら何があろうと、自分の信心で解決できることを知るのですから、頼もしい限りではないですか?

 その意味で自身の変革を決意して挑戦の信心をしたいものです。どこまでも自分を変える・・・内道探求の信心です。「自分はこうなりたい」「こう変わるんだ」と決めて挑戦です。確かに決意した時に、すでにそうなっていることが、今では私も感じるようになりました。

 私など仏様が功徳を受けられるようにたくさんの悩みや業苦をつけてくださいました。幸福になるための燃料には事欠きません。(笑)それをありがたいと思うか、つらいと思うか・・・どうせなら「ありがたい、やってやるぜ!」と笑っていきたいものです。

 自分が生きる地区、地域が生活に根差した本当の「人間革命」の道場であり、そこを離れて仏法はない・・・それが「信心即生活」の基本だと思います。私自身は相手も見えない、自分も見せないネット空間を「信心修行の場」と考えたことはありません。一人の人間を信仰に立たせ、自分が「人間革命」していくということも、地域という生活の大地で戦って一つ一つ勝利したいと思います。

 「人柄はどうか?」「生活はどうか?」「信頼はできるのか?」鏡のように地域では自分が映し出され、実像が等身大でさらけ出されます。ええかっこいってもすぐにメッキがはがれるのが実につらいところですが(笑) 現実を直視してこの姿で勝負です。日ごろの振る舞い、人間性が常に問われ、それによって信頼も決まってきます。

 「組織が面白くない」という人の気持ちもよくわかります。私もかつては組織が大の苦手でした。しかし組織がなければ「世界広布」も「人間革命」もできないでしょう。そこに身を惜しげなく投じて戦えば、確かに学会の組織というのは素晴らしい「人間革命」の道場だと必ずわかります。

 現実社会で悩み苦しむ人々が集い、顔と膝を突き合わせ対話する・・・一軒一軒家庭訪問し、唱題会を持ち、座談会を開き、一所に集いあって信心を学んでいく・・・そんな小さな会合を毎日のように私もここ10数年続けてきました。それは鑿(ノミ)で岩盤を打つような地味な作業の繰り返しですが、その中に「人間革命」の真髄があることを確信します。

 学会の組織こそ「師弟不二」「異体同心」の二義が厳然と備わっているご本尊様直結の「修行場」です。 そうであるなら田舎のこの小さな地区こそが私の誇り高き「幸の城」であり、「人間革命の港」です。何よりも私はその場所を愛している・・・今は心からそう思えるようになりました。

 
 「春はもうそこまで」と言いながらまだまだドン冷えの冬ですね。しかし、私の心にはポカポカ温かな春風が吹いています。地区の人たちを愛し、励まし、ともに成長しながら、御本尊と池田先生への「信」の一字をもって今日も前進しています。




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歓喜は功徳の母




  いよいよ年の瀬も押し詰まってきました。今年は私にとっても非常にいい一年でありました。何より創価学会と共に広宣流布に生きる生命へと、一段と変革を遂げたことが大きな功徳だと思います。私にも「大願」に生きる生命がいよいよ顕現してきたと確信しています。そういう信念を日々、強め、深化させゆく一年となりました。

 その信念が生命に根付いた以上、それに生きぬきたいと思います。同志の方と共に、「創価の大道」をどこまでも生きていきたい・・・それが私の本性であり、それを悟ったことで私の生命も安心なものとなりました。

 実は私には全く逆の方向、すなわち組織を離れ、一人信心をやっていく、孤独な命がありました。入会当初から組織になじめない自分を知っていましたので、ある時、尊敬する先輩に相談しますと、「組織を離れるなら、折伏と題目をやり切らねばならない」と忠告を受けました。そしてその後に「池田先生についていきなさい。」とも言われました。

 その一言があったので今の自分があります。信じた人の言葉というのは、人生を左右するものです。私は長い年月をかけ、組織嫌いの自分と戦い、それをねじ伏せ、ついに勝つことができました。今、同志を愛し、創価を愛し、先生を慕い生きる身となったことは、私の大きな「人間革命」です。

 その自分の心に符号するが如く、今、地区を中心に弘教の息吹が高まり、同志と常に拠点に集い、広宣流布への決意の唱題を重ねています。来年は地区の全員で大折伏戦に挑戦したい・・・その思いを地区の皆さんにも伝えました。





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 私事ですが、今年の出来事として、家内が病を契機に今まで以上に信心に取り組んでくれるようになりました。夫婦で圏総会で体験発表もさせていただいたことで、我が家の信心に弾みがつきました。ひとまず病の方も癒え、仕事への復帰も早々に果し、一家そろって和楽の新年を迎えることができます。

 実は家内と一緒になる時、彼女は信心が好きではなく、「あなたの信心は認めるけど、私には信心を押し付けないで」との約束で結婚生活をスタートしました。

 私は熱心に信心に励んでいましたが、家内はどこ吹く風とばかりに全く無関心です。しかしその間、私は一度も「信心しろ」とは言いませんでした。仏法対話はしましたが、無理に信心させても家内のためにならないことを知っていたからです。一家和楽のために信心をして、その信心で夫婦喧嘩になっては、元も子もありません。

 義務や強制で信心させることほど、愚かなことはありません。「信仰の自由」というということもありますが、そんな信心では歓喜が湧かず、やがて行き詰ることは時間の問題です。家内の方から「信心したい」というまで私は辛抱強く祈りました。そしてその祈りが今年、実を結んだのです。おまけに娘までが家内と一緒に勤行を始めました。今、邪気のない清らかな題目の声が、我が家に聞こえています。

 学会活動から去っていく人の多くは歓喜や、感謝、希望をなくしてしまうからだと私は思っています。その原因は実に様々ですが、歓喜や感謝の念が薄れるにつれ義務や惰性になっていく・・・つまり「やらされている」という受け身の信心になるものです。

 信仰が義務や惰性となった時点から、同じ活動をしても結果はまるで違います。「嫌だな」の心でやれば「嫌だな」が返ってくる。「うれしい」の心でやれば「歓喜」が返ってきます。信心はその一念で180度結果が変わってしまのですから、まさに「心こそ大切なれ」です。

 「嫌だな」が返ってきますと、信心がますます億劫になり、それがひどいと「休眠」「退転」です。それで「創価が悪い」「組織がおかしい」と言うのは、私は間違っていると思います。

 歓喜と感謝の信心に幸福境涯が大きく開いていく・・それが妙法の軌道です。もし私に功徳があるとすれば、それは喜んで信心しているからです。それ以外、理屈も何もありません。同志と集い信心することが楽しく好きなのです。

 「さあ、唱題会だ。さあ、折伏だ。」と笑顔で喜んで行動するだけで生命は歓喜に包まれます。結果、「創価の信心はありがたい」と、そう実感できます。単純な話ですが、歓喜に歓喜が倍返しで返ってくるように、いい循環で幸福の軌道に載っていけるのです。

 「能動的信心」・・・それこそが信心の秘訣と言ってもいいかもしれません。誰が反対しようが、歓喜に燃えて、勇んで学会活動をやっていく・・・そういう心の人には自然と福運がついてくるものだと思います。

 今年ほど自分が創価学会員であることを嬉しく思った年はありません。この歓喜にさらに歓喜を重ね、転がるたびに大きくなる雪だるまのように、功徳を増していきたいと思います。

 同志の皆様、ともどもに晴れやかに前進してまいりましょう!

 一年間、私のブログにお付き合いいただきありがとうございました。
今年はこれで終わりといたします。

皆様、どうか良いお年をお迎えください。




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「創価学会仏」の世界



 12月に入り、今年も残すところ、後1ヶ月となりました。まだ一年を振り返るのは早いかもしれませんが、今年の反省もしつつ、そして明年に備え、心の準備もしていきたいと思います。

 世間では「一年の計は元旦にあり」ですが、年が明けて計を立てたのでは遅いですね。「来年の計は師走にあり」です。来年をどう生きるか、戦うか、今年以上に唱題と折伏戦に挑戦している自分を描きつつ・・・スタートダッシュをかけたいと思います。

 「過去は問わない」・・・栄光も挫折もいろんなことがあったとしても、すべては瞬時に彼方へと去ってしまいます。そして未来が止むことなくやってきては、また彼方へと去っていきます。去った過去をくよくよしたところで、幸福の因にはなりません。決意も新たに前進するのみ・・・それが本因妙であり、幸福への前進です。




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 今、わが地区には、男子部の活動家はいませんが、他地区の男子部との交流を私は大事に、楽しみにしています。私自身が27歳の入会と、男子部としては遅かったのですが、今、男子部に接しますと、当時の自分を見る思いで「まっすぐに大きく育ってほしい」と願わずにいられません。

 まさに「光陰矢のごとし」・・・青年はアッというまに壮年、婦人になるのです。老いるということは容赦のない現実ですが、せめて若き時を私のように愚かに過ごさないためにも、学会活動の素晴らしさを語り、青年を励ましていきたいと思います。

 学会では縁する同志を「自分以上の人材に」と言うのが合言葉です。それこそが菩薩行です。相手よりも自分が上にいたいのは修羅界です。その人の一念がどうなのか?人をだませても仏様はお見通しでしょう。それは再び自分に報いとして返ってきます。それ故に自他共の幸福に生きる生き方こそが、未来の幸福を作ることになります。弘教に励む学会活動には「師弟不二」「異体同心」「広宣流布」「人間革命」「世界平和」等々、すべてが包含されており、もっとも確かで理にかなったものだと思います。

 私もできれば来世は19歳ぐらいで、池田先生の元に早々に集って広宣流布に貢献したい・・・これは私の「来世予想図」です。もう放浪、堕落はこりごりですから・・・(笑) 必ずそうなれる信心ですので、来世に行くのも楽しみというものです。

 若木の如く、いつでも青年の心で生きていけるのが妙法です。「自分を高めていこう!」「まっすぐに伸びていこう!」「先生と共に生きていこう!」その心があればいつでも青年です。その一念に御本尊は感応し、その人の生命の隅々にまで、若いエネルギーが、蘇生の滋養がいきわたるのだと思います。


 今月12月号の大白蓮華巻頭言の先生の指導は、苦難と戦っている人への素晴らしい励ましです。特に須達長者のお話、北海道のご夫妻のお話等、私も命に刻む思いで読ませていただきました。

 私も一人の須達長者です。今は貧乏の方をやっていますが・・・(笑)
本当に法華経の比喩や説話はすべて我が身に当てはまるものだと思います。

>夫妻で吹雪に胸を張って「創価学会」と書いた信心のゼッケンは、一生涯、命から離さない!」と広布に走り続けた。
と北海道の夫妻のことを讃えておられます。

 我らもその心で進めばやがて仏界に至るのは大聖人様のお約束です。それを知るために、わざと苦難の人生を歩むのです。苦難のない信心は、「変毒為薬」の妙味のない、つまらないものだと言えます。

 最後に、開目抄の一節を引かれ、「自然に仏界にいたるべし」との実証を示せるのが、「創価学会仏」の世界だと結論されています。

 先生の指導に100万馬力の力を得て、吹雪に胸張る青年の心意気で、本年、最後の月を疾駆していきたいと思います。





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烏(カラス)の黒きも鷺(サギ)の白きも



 今月の本幹では四国の愛唱歌「紅の歌」が紹介されました。私も朝の配達時、車中で「学会歌」を聞きながら走ることがあります。ちょうど朝の太陽が空を染めて、「紅の歌」に乗せて、私の心には創価の太陽が昇ります。


 池田先生はご自身の入信について「日蓮仏法の難しいことは何もわからなかった…ただ、権力から弾圧を受け牢獄に入られた戸田先生という人を信じたのです。」という意味の話をされています。きっと出会われたその瞬間に、法華経の「師弟」を悟られたのだと思います。

 私はと言いますと、27歳で折伏を受け、生まれて初めて「妙法」の話を聞いたのですが、他の宗教はことごとく拒否反応が出ていたにもかかわらず、「妙法」だけは何の疑いもなく、命に溶け込むようにその場で入ってきました。そしてその夜から一人題目を唱え始めたのです。自分も気がつかないところで、生命は奥深くその時を渇仰していたのだと思います。まわりにも学会員がいたのですが、みんな私だけは信心しないだろうと思っていたそうです。(笑)

 入会しても私は池田先生をそれほど求めたわけではありません。学会活動にも出ていましたが、信心を教えてくださった先輩が、宗門の話を良くされましたので、お山にも良く行った方ですし、近くの寺院にもよく行っていたのです。
 もちろん出家などは考えたことはありませんが、もしそうしていたら、今頃、放蕩三昧の悪僧として、「創価新報」で叩かれていたでしょうか?(笑)



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 私は心中、僧俗和合を願っていたのですが、ある日、宗門問題が明るみになり、学会が破門されるという事態が起こりました。その時、即座に「これは宗門がおかしい」と直感しました。

 理屈は抜きにして、これだけ創価学会や会員からご供養を受けていて破門するというのは、人の道に外れているというのが率直な感想でした。立派なお説より、やはり人は振舞ですね。正本堂の破壊など、狂気の沙汰としか思えない所業です。

 今となってはその事件によって、自分は学会一筋の道に、池田先生だけを求め行く道へと入ることができたのですから、ありがたい出来事となりました。私の僧侶や寺への尊敬の念も、泡のごとく消え果てました。私の多くの大切な友人が法華講へといきましたので、それはまさしく信仰上の分岐点であったのです。

 振り返りますと、信仰の道も理屈ではなく、過去の宿縁、因果ということに引っ張られていくことを強く感じます。戸田先生は仏法を邪魔する僧について「大聖人様の御時代に、あるいは良観とか、あるいは法然の弟子とか、そういう者(の弟子などになる連中)は、いったい過去にどういう者だったかというと、昔、仏法をくさした外道の者が生まれてきて、仏法をやってですね、そうして今度は正法を邪魔するんです。そうすると今度どうなるか、あいつらが死ぬと、今度は日蓮正宗のなかに生まれてくるんだよ。誠にこれはおもしろいもんだぞ」(佐渡御書講義)と言われています。

 今の所業が因となって、人は次なる生の果報を受ける・・・因を作った以上、その果は避けられないものです。生命の因果を深く知悉されている戸田先生ならではの言葉だと思います。

 御書には「烏(カラス)の黒きも鷺(サギ)の白きも先業のつよくそみけるなるべし」(佐渡御書959P)とあります。いかなる先業をもったものか、凡眼の私には自身の因果すら見えません。ただ今の自分を見て過去の自分を察すれば、学会と池田先生に縁が強かったことは確かなことです。

 ともあれ私の一生は「創価の師弟」で生きていく人生となりました。その信念が自分の生命に宿っていたこと、それが幸福の土台のごとく生命に現われたことを本当にうれしく思います。晴れ晴れと生きていけるこの「師弟の大道」を我が生命に染め抜いて、今日も地域の同志とともに、朗らかに前進していきたいと思います。





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題目の力




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 朝晩、少しづつ寒くなってきました。聖教配達も朝5時起きですが、布団から出るのに苦労しています。(笑)

 毎朝、配達を終えると、一息入れて、奥さんとの勤行を交えて、一時間ほど題目をあげます。その題目も昔に比べて、強く軽やかにあがるようになりました。

 苦しくても題目、楽しくても題目・・・題目が良くあがっていれば、心には希望が湧き、勇気が湧きます。じわじわと歓喜が体に湧きあがり、人から悪口を言われても「ああ、ありがたい。これでまた悪業が一つ消えた」と感謝の心が湧きます。

 水の流れる如く、毎日題目をあげぬいていく・・・それが私の生きるエンジンです。その積み重ねに確かな冥益が約束されるのだと思います。

 戸田先生は言われています。「(御本尊の利益は)生命力が絶対的に旺盛になるということである。生命力が旺盛であれば、悩みだ、苦しみだ、貧乏だなどと、いろいろな愚痴をいう世界が明るい楽しい世界に変わる。」

 あの人が悪い、周りが悪いと愚痴をこぼすうちは、自分の生命力が弱く、信心が足りないということになります。環境は同じでも信心が強ければそれが楽しい世界に変わる。悩みを題目で楽しい世界に変えるからこそ宿命に勝てるのに違いありません。

 世間では「恨む」「憎む」ということがよくあります。しかし、仏法の世界にくると、どこまでも相手の幸福を祈っていく、その自分になることを目指して行くことを教えていると思います。それは人との間に起こる出来事も全部、自分に因があると捉えていくからであり、その自身の業を転換すること、さらに相手の幸福を祈れる自分になることで「人間革命」を果たせるのだと思います。

 更に戸田先生は、「題目の力は偉大である。苦しい業を感じる生命が、あたかも花園に遊ぶがごとき、安らかな夢のごとき状態に変化するのである。」・・・こうなふうな生命になるともう「絶対的幸福」の境涯ですね。我々も題目でそうなれるに違いありません。

 誰しもある意味、苦しいものです。みんな悩みや病を抱えて生きています。楽な悩みなど一つもありません。それでも生命力強く笑い飛ばして生きていけるのが妙法です。悩みの姿のままで、御本尊様に題目をあげぬいていく・・・そこに不思議にも悩みを見下ろして、宿命転換に挑む逞しき自分が現われてきます。

 10月の座談会御書では「おのおの師子王の心をとりいだして」とありました。師子の心を自分から出しなさいと仰せです。臆病な人にも、魔を恐れず、魔と戦う師子の心があります。信心強き人とは「何ものをも恐れない心」の人だといえるかもしれません。

 決して不幸を恐れない、病気を恐れない、悪を恐れない・・・それらと勇敢に戦う師子王のごとき人間となれば、きっとこの世が花園のように楽しい世界に変わるのだと思います。私もその境涯を目指して、今日も題目で自身を磨いていきたいと思います。

 
 ※創価大学、箱根駅伝出場おめでとうございます!並み居る強豪校の中で3位とは本当にすごいですね。素晴らしいです。これに力をいただいて我らも頑張って行きましょう!

 



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