広布の大河に君ありて tori

師弟の月・五月

 5月に入り、学会員にとっては「師弟の月」ともいうべき意義深き月を迎えました。ゴールデンウイークは、私も農作業の合間をぬって、対話と家庭訪問に走りたいと思います。


 この5月3日を目指し、決着をつけたいと思っていましたある婦人の方への折伏が実り、昨夜は婦人部長と共に訪問、無事に謗法払いを済ませることができました。天理教、S会の祀り物、法然の姿絵、真言や般若心経の経本、数珠や仏具と、スーパーの袋いっぱい、邪念の染み込んだ謗法物を処分することとなりました。

 「「ヨン様」の写真はそのままでいいですよね。」といわれるので、壁を見ると、大小たくさんの「ヨン様」が微笑んでいます。もちろんそれはOKです。(笑)




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 聖教新聞の購読が縁で対話するようになり、10年ほどかかりましたが、最近、難聴で悩まれるところとなり、何としても謗法との縁を切って、「一生成仏」の道に入っていただきたいと、私も一念を定めました。「なんとしても」・・・その祈りこそ通じていくものだと思います。

 隣の地区でも青年が折伏を決めており、5月3日、支部で2名の入会となります。「支部長を男にしたい」・・・その願いも叶いました。(笑)

 学会の信心はまさに「師弟」の信心です。池田先生は戸田先生に対し、一点の疑いもない、澄み切った心境であられたと思います。師匠の御構想実現のためにただ一人、「不二」となって命を捧げ、戦われました。反対に己心に疑いのある者は、師の苦境の時、「戸田の馬鹿野郎」と言って去っていきました。また臆病で名聞名利の強き幹部が、まさかの時に師匠を見限りました。人としてあまりにもあさましい姿ではありませんか?「ここぞ」という難の時にその人の本性がたまらずに出るものです。

 ある人曰く、「最近は学会に見切りをつけやめる人も多いですね。」
「「会則の改正」はいろんな意見があるのでもう少し様子を見ます。」
「ネットの反学会の記事のほうが頷けますよ。」等々・・・

 そんな人を見ると、私は学会や池田先生に対する疑念を感じ、歯がゆく思います。またなんと惰弱な「信」であることかと嘆かわしく思います。「学会が隆盛ならついていく、衰退し始めたら去っていく」・・・というのでは、「事業が成功している戸田先生にはついていき、苦境に立てば去っていく」、あの退転者たちと何ら変わらない根性ではありませんか?「その不信に魔が棲みついて、あなたこそ悔いを残すことになりますよ。」私はそう答えるほかありません。

 学会が衰退するならその時こそ、旗を振って自分が先頭に立って戦うべきです。身は学会員でありながら心は学会を冷ややかに眺め、傍観者でいる、そんな「身口意」が一致しない中途半端な信心に本物の功徳はない・・・功徳がないからさらに疑いを強めるという悪循環こそ、魔に支配された姿であると思います。

 「師弟」に生きる人は5月の陽光のようにさわやかに、輝くことができる。そして祈りは次々と成就し、生きていることがうれしいという歓喜あふれる絶対的幸福の世界へと入っていくことができる・・・これが私の知る学会の信心であり「師弟の世界」です。

 さあ、気候も良く一番動ける季節ですね。同志のため、友のため奮闘しゆく日々に、師匠への報恩を重ねながら、走りぬいていきたいと思います。





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反転攻勢の心意気




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今年の桜は雨にたたられることが多かったですが、それでも花の女王らしく、鮮やかに咲いていました。私もゆっくり眺める時間はありませんでしたが、栄光の5.3へと向かい、躍動の季節がやってきたことを実感します。

 信心しているのに、なぜにこんなにも苦しまねばならないのか?そういう思いをもって宿命と戦っておられる人も多いのではと思います。本当に生命の奥深く、謗法の罪、邪宗の害毒というものがしみ込んでいるものと、私も身に染みて感じます。

 その意味で順風満帆な信心などないと言えますが、長い一生、最後まで退転せじと願い、妙法流布に生き抜いていく・・・そして必ず不退転の境涯となって、悩める人々の力になりたいと、そう思います。魔も必死に信者を弱め、信心を捨てさせようとするわけですから、負けるものかと反転攻勢の心意気を絶えず燃やし続けていかねばならないと思います。

 戦う以外に退転を防ぐ手立てはありません。御書を励みに、また池田先生に呼吸を合わせ、谷底から這い上がる思いで信心に励んでいく・・・それが本当の法華経の信者の姿であり、多くの学会の方々の姿ではないかと思います。

 むしろ戦うべき宿業も難も出ずに、安閑とやってるようでは、かえっておかしい。吹き付ける北風に歯を食いしばりながら、宿命と抗い戦う人こそ、真の信者であり、やがて師子王となる人に違いありません。

 「佐渡御書」には、その地域に住んでいて、仮に地頭なりに支払いがたまっていても、そう強く取り立てられることはないけど、そこを出ていくとなると、容赦なく、強く返済を迫られる・・・私たちの法華誹謗の罪障消滅もそういうものだと、わかりやすい譬えで教えておられます。

 私など、今世で真言の家を出て、日蓮大聖人様の仏法に帰依しましたので、さぞかしきつく取り立てられているのだと思います。失業に貧乏、ノイローゼ、激しい神経痛に腎臓癌等々・・・罰も含め次から次へとよく出ました。信心に向かうほど、強い業が出てきます。またそのことを大聖人様は「護法の功徳力」であるとも仰せです。私も今、壮健で意気盛んな信者でいられることにその「功徳力」を感じるものです。

 難が起こった時にありがたいと感じるか、どうして自分だけこんな目に合うのかと思うか・・・一念は微妙ですが、そこが仏になるかならないか、「不信」と「信」の別れ道であり、魔は絶えずそこを狙っているのです。

 宿命と戦い、苦しんでいる人には励ましが必要であり、木が倒れないように支えるがごとく、ともに生きる同志の存在が必要です。私の周りにも、生活、人生のどん底で苦しんでいる人が何人かおられます。ある婦人ですが、乳がんと心臓の病、また神経病を抱えながら、年老いた母親と生活保護を受けながら、細々と生きておられます。かろうじて生きておられる・・・電話越しの声にそんな感じを受けるときもあります。

 私はいつもこの人こそ幸せになってほしい、功徳を人一倍受けさせてあげたいと願い、励ましています。

 またそういう宿命の嵐の中を生きる人を決して、軽んじたり、さげすんだりしてはならないと思うものです。現にこの方も幹部さんの命令的な振る舞いに苦しんだこともあるようです。幹部さんといっても、本当に自分の宿命と泣き泣き戦って乗り越えてきた体験がなければ、私はこうした婦人の本当の苦しい心は理解できないのではないかと思います。

 学会は庶民の集まりであり、決してセレブや社会的な地位の高い人が上位に座する団体ではないはずです。難と戦う健気な信心の人が、中央でなければならない・・・仏様の目的は不幸の人を救い出すことですから、一番苦しんだ人が一番幸福になってこその創価学会です。

 苦難の日々の中にあっても、信心の珠が輝くなら、そこから世界も輝いていくはずです。どんな嵐の中でも黒い雲の奥には太陽が燦々と輝いている。「俺もひどいけどあんたもひどいのか・・・ひどいもの同士一緒に拝もう!」そう声をかけ、我が身だけでなく、友の不幸をも吹き飛ばす勢いで、戦っていきたいと思います。



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「信は強く、信は楽し」

  季節は廻り、ようやく春めいてきましたね。「冬は必ず春となる」・・・これが宇宙のリズムです。桜やレンギョウなどの花々も「いよいよ咲く時だ」と開花の時を待っている、そんな鼓動をこちらも感じて嬉しくなります。

 
 「信心はわかることより変わることだ」とよく言われます。仏法のことを頭で理解できたとしても、自分が変わらなければ何のための信心かわからない・・法華経の学者になるために信心しているのではなく、幸せになるために信心している。学者を目指すなら、疑ってかかっていいかもしれませんが、幸福を目指すなら、信じていくことが何よりです。その原点にいつも立ち返って、自分がどう変わったか、功徳を味わい、噛みしめていける日々でありたいですね。




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  御聖訓には「信は道の源、功徳の母と云へり」(P97)とあります。その信じるというところで道に迷う人も多いものです。それを疑わせ迷わせるために、さも正しげに理屈を述べたり、悪しき情報を流す人もいます。よくよく心しておかないと、「信弱き人」は引き込まれる・・・魔というのはそういう人を幸福の軌道から引きずり降ろそうと、隙(すき)あらば心に取り入ってきます。

 信じて実践していくことで自分が変わっていく・・・それが本当の「信解」だと思います。また自分がいい方向に変わっていくなら、「信は楽し」ですね。御本尊様を強く信じることが「常楽我浄」の人生を勝ち取る根本と確信します。

 学会に入った時も、30数年たった今も、私はただ「信」をもって御本尊様に向かっています。大宇宙と冥合したいと願い妙法を唱えます。私の「信」に「仏」が感応し、幸せを願うその一念にきっと「仏」も時を感じて、春のごとく目覚めていくのでしょう。そして昔のどこか苦しげで悩み深い顔の私が、柔和で笑みがこぼれる人となる・・・それが「変わる」ことであり、「変わった」自分の生命が、今までにない幸福を呼びよせるのだと思います。

 先日、外の同級生の友人と、短い時間でしたが話をしました。彼は大学時代に御本尊を受けながら、田舎に帰ってから世間体と親の反対で、信心を引っ込めました。世間的には教師で生活も地位も安定しています。片や私は親や周囲の反対を押し切って「親不孝者」と呼ばれて、地位も金もない中を喘ぎながら信心してきました。

 「○○君、、前に比べてええ顔になったな」と彼が私に言うので、「外に地位や名誉を求める生き方もあるけど、この信心は生命に幸福を築くんや。生きることがうれしくなってくる、そんな心の幸福が得られるんや。30年信心を貫いて、ようやくそういうところへ来た気がするよ。」といいました。彼はどこかで信心を捨てて生きた人生を後悔しているに違いない・・・私は対話しながら彼の表情にその思いを感じとりました。

 「信は強く、信は楽し」です。人がどう言おうと、学会員として信念を持って生きていくことで私は変わり、功徳をいただくことができました。これが私の真実です。学会員として日蓮大聖人の仏法を信じることができて本当に幸運だったと思います。

 今日よりはさらに後悔のない人生のために、強き信を持って使命の道を生き抜いていきます。




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